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【時事評論2022】

縄文時代の奇跡(22.9.5追記)

2022-05-22
  縄文時代とは、日本に人類が到来してから弥生時代に移行するまでの旧石器時代と新石器時代を合わせた時代を指し、およそ1万5000年前から3000年前までの1万年間以上に亘る時代を指すとされる。最近の研究では弥生時代は従来の縄文時代に食い込んでいるとされ、この縄文時代の区分は当然変更されるであろう。そしてこの1万年以上に及ぶ縄文時代という長い時代は、恐らく世界を見回しても極めて特異な特徴を持っていたと考えられている。2021年7月27日に「北海道・北東北の縄文遺跡群17ヵ所」が世界文化遺産に登録されたこともあって、近年その特異性に注目が集まり、学会でもテレビでもしばしば話題になっている。だが多くの番組では、ノムの主張のメインである「闘争のなかった時代」ということに触れているものはほとんどない。だがこれが縄文時代の最大の特徴ではないかとノムは主張したい。以下ではこれを論証したいと思う。

  後日談になるが、2022年9月4日にNHKの「Cool Japan」というシリーズ番組でも「縄文」というタイトルで取り上げられた。この番組では珍しく「狩猟・採集時代には珍しい争いの無かった時代」を強調していた。コメンテーターの各国の人が語る意見も素人としては素晴らしいものであり、どれも納得いくものであった。解説者のiu学長の中村伊知哉によると、土偶の1つがオークションで1億9000万円で落札されたそうである。また彼は、縄文時代が現代の国連が唱えるSDGsのヒントになるだろうとの卓見も披露した(21.8.25「国連のSDGs政策の欺瞞」・21.11.2「カーボンニュートラルとSDGsは可能か?」)

  ノムは歴史に疎い人間であるから、具体的に論証することは難しいが、これまでに縄文時代について書かれたものやテレビ番組として視聴したものを見る限り、この時代に人々の間に闘争があったという論を見たことがない。闘争が始まったのは弥生時代からであり、それは農耕が伝えられて大きな集落から大きな部族に転換したことが大きな要因であったと考えられる。すなわちコメの生産は大きな集落を持つほど労働力が豊富なために有利であり、その結果得られた収穫物は、分配や盗難から守るために、警備された倉庫に備蓄される必要があった。その警護は環濠集落への転換となって表れている。すなわちこの頃から収奪などの争いが生じていたことを傍証している。

  かつて見た某番組で、縄文時代には争いの痕跡が見つからないということを学者が語っていたことが非常に強く印象に残っている。数々の高度な文化を物語る土偶や土器が発見されており、その中にはユダヤ土偶と称せられている異文化の混入も見られるが、それでも争いの痕跡としての殺害された人骨などは発見されておらず、武器による傷跡もないという。少なくとも大規模な騒乱や闘争は無かったと考えられている。1万年という長きに亘って争いが無かったという歴史が他にあるだろうか、という疑問が浮かぶが、残念ながら世界史にも疎いため、他国のことは分からない。

  もし本当に、縄文時代には争いが無かったと証明されれば、恐らくそれは人類史でも奇跡的なことであったに違いない。そこでノムは、なぜこの時代に争いが無かったのかという理由を以下にいくつか考えてみた。
 1.争いの元である食料については、採集生活を営んでいたため、争う必要がなかった。
 2.栗の木を集落の周りに栽培し、植生を変えたことで食料に困らなかった。
 3.そのため、本来なら狩猟・採集民族は移動して生活するのが普通だが、縄文時代は定住した。
 4.集落の規模は小さく、集落は接近しておらず、土地を巡って争う必要がなかった。
 5.人口密度が低いため、集落の中では、お互いに親戚同士の感覚があったと思われる。
 6.当時では狩りも行われていたと考えられるが、それは集落の共同作業としておこなわれたために、集落内の結束は極めて強かったと想像される。
 7.土器などから推察されるのは、この時代に祭礼があったと推測されることから、やはり結束は強かった。
 8.かなり日本国内の広い地域と交流があったことが推察されていることから、人々は調和・寛容の心をもっており、遠来者を歓迎する風潮があったと思われる。

  一方、弥生時代への過渡期においては、すでに集落は部族というより大きな集団に発展しており、既にこの時代には、顔を知らない人々同士の集合体になっていただろう。それをまとめるには、それ相応の実力者がリーダーにならなければならず、その実力は当初は尊敬される人物の鷹揚な心によって、多くの人に気前を示すことで養われたと思われる。だが産物の大小、リーダーの人気の大小が競争を生み出し、より多くの産物を得るため、より多くの人々を支配するために、武力が使われるようになり、ここに至って闘争というものが生じたと考えられる。すなわち、集団の規模が大きくなって、人々の間に無関係という関係が生じたことにより、集団内の関係性が薄れたことが争いの原因になったと思われるのである。

  そこで地域ごとに豪族に匹敵する有力集団が登場するようになる。特に外来人の多かった北九州や中国地方にそうした豪族が多数誕生しているようである。そうした豪族同士の争いが生じたため、縄文由来の倭人はこれをなんとか収めようと努力したようである。そしてノムの考えでは北九州から畿内に移動した豪族が中心となって、倭人中心の政権が誕生したのではないだろうか(1.4「邪馬台国考」)。本来なら外来人の方がより高い技術を持ち、より高い文明(文字を含む)を持っていたことから、外来人中心の政権ができてもおかしくないと考えられるのだが、これもまた奇跡的に倭人が中心になって政権がまとまった。それは倭人が持つ調和性・協調性にあったのであろう。古事記や日本書記の中に「国譲り」神話というものがあるが、それは倭人であったればこそ為し得られたことであり、本来なら闘争になっていたところを、倭人がお互い同士話し合いで物事を決着したことを象徴しているのだと思われる。

  先だって見たテレビ番組では、日本書記を編纂するのに大きな役割を果たした藤原不比等は、最初は中国人を書記として雇ったようだが、編纂が進むにつれて中国人を減らし、倭人を採用していった、ということが、文体や用語から分かるという非常に専門的な解説を学んだ(21.11.5「縄文人の文化と現代への継承」・1.4「邪馬台国考」・2.17「藤原不比等の偉業」)。これもノムの解釈に沿うものであり、技術・文化・文明をより高度な他者から学び、それを会得して自分のものにするということに、倭人は長けていたのであろう。決して争って技術を得たわけではないし、他者の文化・文明を滅ぼそうということもしていない。縄文時代から現代に至るまで、倭人・日本人は外来の技術・文化・文明を吸収し、学び、適合させることでより高いレベルにまで発展させてきた。そうした観方を縄文時代から弥生時代への変化に適用させると、諸々の疑問が解けるように思われる。

  西洋でも東洋でも、他国の歴史はほぼ闘争の歴史であったように思われる。日本が明治維新以来、そうした外国の事情に目を奪われ、自国を守るという大義のために富国強兵に及んだのは自然なことであるが、複雑な国際情勢(西欧の植民地主義・市場拡大・利権獲得)の中にあって、西欧流のやり方を真似たのもまた必然であった。だがその手法は同じであるが、心としては他者を支配するというような傲慢さを日本人は持たなかったとノムは考えている。それは朝鮮併合や台湾併合などにも表れており、その地の人々の向上を願って莫大な投資を行ってインフラ整備と技術伝授に努めた。留学生を多く迎え入れて、日本人と同等な教育を施したことからもそれは明らかである。

  日本は開国してから73年を経て、世界最強の米国と戦争に及んだ。それも逡巡しながらの決断であり、追い込まれたネズミが猫に飛びついて反撃を仕掛けたのと同じであった。幸いなことに(?)敗戦し、戦後は米国支配の下で統治を行い、その間に多くのことを学んだ。その状況は弥生時代の大和政権とかなり近似しているのかもしれない。建前は自主であり、日本人による統治であったが、肝心なところはより上位者であるアメリカに握られていた。だがその外来者であるアメリカから技術も文化も文明も吸収し、あっという間にアメリカに次ぐ経済大国(1964年)に成り得たのも、縄文時代と同じ奇跡であると言えるだろう。その奇跡を成し遂げる原動力は、古代から変わらない、他者を受け入れ他者とともに発展しようとする、自主的でありながら寛容な精神なのだと思わされる(5.14「日本の歴史に学ぶ未来社会のあり方」)

  蛇足になるが、以上の歴史から、平和を維持するために必要な条件とはなにか、を学ぶことができるだろう。以下にそれを列挙してみる(5.14「日本の歴史に学ぶ未来社会のあり方」・5.20「平和は創造するもの」)
 1.人口は適性な規模に制御されなければならない。国家の領土・人口も適性に制御されなければならない。
   (21.1.7「制御思想」)
 2.民族は可能なかぎり、統一されていなければならない。
   (20.9.15「民族問題へのノム思想の考え方」・2.26「民族大移動」)
 3.国家は思想的に統一されていなくてはならない。
 4.経済は競争下にあってはならない。
    20.11.28「未来世界の経済を考える」・21.2.4「市民経済の平準化」・
 5.世界の人々の交流は、和のために為されるべきであり、利得のためであってはならない。
 6.人は「自得」のために生きるのではなく、「利他」のために生きるべきである。
   (21.5.13「他者への愛」)
 7.国家も「国益」のために存在するのではなく、「共栄」のために存在すべきである。
   (20.3.30「共存主義しか道はない」)
 8.国家の戦争を無くすためには、世界は統一されなくてはならない。

  未来世界がこれらの条件を満たすものになるためには、さらに以下の条件を加えるべきである。
 1.世界人口を20億人に制限しなければならない。
   (21.10.29「人口爆発の脅威」)
 2.世界の主権は世界連邦にのみ存在すると規定されなければならない。
   (20.12.26「主権論」・21.3.28「世界連邦の可能性」)
 3.世界各国に存在する武力は、連邦に移譲されなければならない。
   (21.10.6「武器と武力(軍力)」)
 4.各国の情報は、連邦を通じて世界に発信されなければならない。
   (21.2.1「ノム世界の情報システムの提唱」・21.7.17「情報伝達の原理」)
 5.各国はその歴史・伝統を重んじて自治を行うが、連邦の規定に従わなくてはならない。
   (20.12.15「AIによる歴史検証」)
 6.各国は連邦の定める基準に合わせ、かつ伝統を生かすようにすべきである(度量衡・暦・通貨)。
   (20.12.29「仮想通貨」・21.8.15「江戸時代の安定の秘訣1・通貨」)
 7.連邦に従わない国家は連邦から追放され、資源的・経済的・情報的に孤立することになる。
   (20.12.7「刑罰と追放・死刑廃絶に向けて」)
 8.他国に対して暴力的侵攻(移民・国境侵犯)を行う国家は、連邦から資源的・経済的・武力的制裁を
   受ける。

  以上のことについては長い説明が必要であり、それは別項に於いてほぼ述べてきた。参照項を読んでいただければ幸いである。


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