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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2020】

共存主義しか道はない

2020-03-30
  人類は今コロナ禍と戦っているが、それは殲滅思想に基づくものである。自然界で人間の敵であると見做したものを絶滅させようという考え方であり、それは政治にも反映されて北朝鮮や中国のような絶対専制独裁主義が生まれた。しかしある生物を絶滅させることは生態系における自然の摂理をむりやり捻じ曲げることに通じ、決して良い結果は生まれない。ウイルスに対する耐性を免疫機能として持たせることが自然の摂理に適うことである。幸い致死率の低いウイルスであり、共存をまず考えるべきである。
 
  前回の論でも述べたがウイルスと共存することが自然な対処の仕方であるが、人類は天然痘を撲滅したという実績があることから、コロナウイルスも撲滅できると確信している。それはワクチンという武器を手に入れたからである。だが自然界の敵はそれほど甘い存在ではなかった。敵は変異という手段でこの攻撃を何度もかわしてきた。それはインフルエンザとの闘いでも分かることである。
 
  人間の慣れというものは時には有効である。米国ではインフルエンザが猛威を振るい、感染2200万、入院21万、死亡1万2000を数えているようだが、日本では話題にもならない。今回のコロナウイルスが新型だということだけで世界・マスコミ・人々は恐怖におののいている。天然痘のように、治ってもあばたが残るわけでもないのに何を慌てふためいているのか?
 
  人類は誤った対処をしている。医療崩壊を起こさないために臨界点に達しないよう感染者を減らして時間稼ぎをしようとしている。それは以下の図に見るように可能かもしれない。だがそれはコロナ禍を長期化(数年)させ、都市封鎖・地域封鎖・国家封鎖を行い続ければ、経済を崩壊させることになる。その得失を誰も論じない。それは生命尊重主義が人々の間に蔓延しているからである。人間は科学技術を信仰し、いつかは死ななければならない運命にあることを否定するようになった。  
  死は人間にとって忌むべきものではなく、むしろそれは生態学的に必要なことである。それが自然の摂理であり、植物は長く生き永らえても良いが、動物は死ななければならない義務がある。そうしないと生態系が破壊するからである。人間にその覚悟ができたならば、あとは何時・何処で・どのように死ぬかだけが問題となり、どのように死ぬかについて人間の持つ自由意志を認めて「安楽死」を取り入れるべきである。それは死に伴う苦しみを逃れさせてくれるであろう。
 

 
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