【時事評論2021】
他者への愛
2021-05-13
5月10日の産経新聞の一面に、旧ソ連時代(スターリン)から続くタタール人(主としてクリミア半島に居住していた)への弾圧の記事がトップにあり、その下に定例掲載されている「朝晴れエッセー」があった。その2つの記事を読んだとき、昨日書いた「愛を科学で証明できるか?」という項と結びついた新たなテーマが浮かんだ。それが「他者への愛」である。前項では日本人の愛の形について述べたが、この2つの記事の前者には西欧の愛の形が、後者には日本人の愛の形が象徴されていたように思えたのである。以下では、前項で書き尽くせなかった「愛の普遍性」について述べ、その中に他者への愛を位置付けたいと考えた。
西欧人の愛は自己中心的であり、自分に快感を与える場合にのみ相手を愛するということを、表現は異なるが前回述べた。それを科学的に証明しようというドイツ人ら西欧の科学者の的外れな研究についても紹介した。そして日本人ならば、同じ研究をするにしても、もっと本質的な視点から研究を進めるであろうとも書いた。そしてその違いは、西欧人の愛の捉え方と日本人の愛の捉え方に根本的違いがあるからだと考察した。日本人の愛(もともとこの言葉は「愛しい」という動詞で使われ、名詞として使われたことはないであろう。名詞化したのは西洋の愛の概念が日本に入ってきた明治以降であると思われる)はアニミズム的日本教の影響もあって、もっと普遍的なものである(3.22「西洋の合理性の矛盾 」参照)。
それを端的に示してくれたのが朝晴れエッセーの57歳の女性読者が書いた文の中に表れていた。内容をかいつまんで説明すると、国道に落ちていた教科書を気にした女児2名が、それを拾おうと歩道から身を乗り出そうとしていた。バスに乗っていた著者はそれに気づいたが、乗客は騒ぎ出すだけで行動はしない。その時運転手が飛び出して女児らを歩道に戻し、教科書を拾って運転席に戻った。著者がその経緯を聞くと、「あの子たちのではなかったんですが、教科書が心配で拾おうとしたらしいんです。他校の児童のものだったみたいなんで、私が届けようとおもいまして」と笑って話してくれたそうだ。著者は思わず「ありがとうございます」と礼を言ってしまったという。この話に筆者も感動し、なんて日本人は優しいのだろうと惚れ惚れしてしまった。この話に登場する女の子2人・運転手・著者のおばさんに共感しただけではない。落ちていた教科書を救おうとした女の子のモノに対する愛情(敢えてそう呼びたい) が、日本人の持つ「もったいない精神」に基づいていたにせよ、立派な心がけだと感心した。
この話にはいろいろな状況論が考えられるが、その情景は日本人にとって決して珍しい特異なことではなく、普通にあり得ることだと思うのである(1.18「状況理論(1839文字) 」参照)。だが海外では決してあり得ないことだと推察される。日本では財布を落としても持ち主に戻ることが多いということが世界的に評判になっているようだが、それは外国では決してあり得ないことだからなのであろう。女の子が教科書に対して抱いた感情は、武士が落ちていた刀に対して抱く感情と似ているだろう。つまり教科書は生徒らの「魂」なのである。それを見た乗客が心配そうに見ているという景色も日本人らしい。思いはあっても行動に移すことはなかなかできないのが日本人である。運転手が機敏に状況を察知し、生徒を歩道に戻し、それが彼女らのものでないことを確かめ、自分が届けようと思い立ったというのも日本人らしい。私も同じ状況であったらそうするだろう。そして極め付けは、エッセイの著者が思わず「ありがとうございます」と礼を言ってしまったことである。これは著者が他人事ではないと思っていたこと、運転手の配慮に感銘を受けたこと、自分がやりたかったことを運転手がしてくれたことへの感謝などを示している。全てが絶妙に日本人の素晴らしい他者への愛に満ちている感動的な話である。
これを外国人は説明できない。おそらく「なぜ?・なぜ?」が連発されることであろう。だが日本人の愛の態様が普遍性を持ち、他者・物に対しても愛を感じているということが理解できれば、何も不思議なことではないと気付くのである。日本人はそれを「愛おしい」と表現する。物や動物に対する愛おしさは「供養塔」という日本独特の墓に見られる。福島県では人が住むことのできなくなった地域にイノシシが繁殖し害獣となったが、これを駆除する際に猟師たちは手を合わせて動物らの魂のために祈る。6万頭も駆除したが立派な供養塔を立てて鎮魂した。それは外国にはあり得ない話である。
最初に述べた現代のロシア政権がクリミア半島でタタール人迫害を続けているということは、この日本での話と対極にある。彼ら外国人は個人主義に基づいているため、相手の弱い状況や民族感情を思い遣ることはない。飽くまでも生存競争における強者の立場からものを見ている。ロシアにとっては領土拡張が強者の特権であると考えており、国民の8割以上がこれを熱烈に支持した。そしてその後に民族融和を図るわけでもなく、ただ弾圧して言うことを聞かせようと焦っている。それは現代においては国際情勢の不安定さを招き、後々の紛争の種になることが分かっていても、ロシア人には民族融和という手段を考える余地はない。同様に共産主義国家の中国が、チベット・モンゴル・ウイグル族に対して民族融和を図ることもない。日本が台湾や朝鮮を支配した時とは全く異なる状況がそこには展開されている(2.27「日本の江戸時代の統治と安定 」参照)。
日本は朝鮮を併合することに反対の意見が多かった。だが朝鮮内部からの併合要請もあり、ロシアの南進政策に対抗するためにはやむなしという事情から併合に踏み切った。そして併合するからには朝鮮民族を日本民族と同じに扱い、朝鮮に力を付けさせてロシアに対抗できるようにしようと決意し、莫大な国家予算を投じて開発を行い、さらに朝鮮民族に対して日本と同じレベルの教育を施した。それまで朝鮮では平民に教育など施しておらず、殆ど文盲状態であったからである。そして日本人と同じ扱いにするために、創氏改名(任意)を施した。朝鮮の大部分を占めた平民は姓を持たない者が多かったことも背景にある。日本人らしい名前は朝鮮の商人に都合が良かったらしく、改名を申し込む人が多かったという。だがそれは後に民族に対する侮辱だとして反日の口実となった。善意は悪意にすり替えられたのである。日本政府は朝鮮族を日本国臣民朝鮮族として扱ったが、朝鮮人はその好意を全て恨みに変えた。怨念の民族と言われる所以である。
西欧人の他国支配は全て西欧人の利益のためであった。それに対して日本の統治はその民族のためであり、かつ日本にとって有益なことでもあった。つまり日本人は非常に他者・他物に対して愛着を持つのである。それは現在にも繋がっており、日本人は外国人に対して非常に親切で融和的である。さすがに近年では中国人と朝鮮人に対しては警戒感を持つが、他の知らない国から来た人々には総じて親切で警戒感を持たない。それは真に征服されたことのない(敗戦で占領統治下にあったことはあるが、政府は機能した)民族の平和ボケでもある。その日本精神は滝川クリステルによって、「おもてなし」という言葉で世界に広まった。日本人は他者に対してだけでなく、モノに対して愛着を持つ。古い家屋を大切に手を掛けて保存し、古い骨董をこよなく愛す。これらは自己を他者に没入させることで、愛の思いが生じていることを示しているだろう。すなわち日本人の愛は普遍的であり、永遠的であり、そこに差別はない。
その意味で日本人の愛というものに対する感性は、未来の模範となるだろう。現代は全てが自己利益追求・自国利益追及の原理から至るところで争いや戦争が生じているが、未来ではすくなくとも戦争は無くなり、人々は平凡な日々を心豊かに過ごすことになる。その時に最も重要になるのが他者への想い、他者への愛であろう。それさえあれば、どんなにつまらないように見える平凡社会であっても、人々の心は豊かになり、生き甲斐を持つことができるようになるのである。
日本は朝鮮を併合することに反対の意見が多かった。だが朝鮮内部からの併合要請もあり、ロシアの南進政策に対抗するためにはやむなしという事情から併合に踏み切った。そして併合するからには朝鮮民族を日本民族と同じに扱い、朝鮮に力を付けさせてロシアに対抗できるようにしようと決意し、莫大な国家予算を投じて開発を行い、さらに朝鮮民族に対して日本と同じレベルの教育を施した。それまで朝鮮では平民に教育など施しておらず、殆ど文盲状態であったからである。そして日本人と同じ扱いにするために、創氏改名(任意)を施した。朝鮮の大部分を占めた平民は姓を持たない者が多かったことも背景にある。日本人らしい名前は朝鮮の商人に都合が良かったらしく、改名を申し込む人が多かったという。だがそれは後に民族に対する侮辱だとして反日の口実となった。善意は悪意にすり替えられたのである。日本政府は朝鮮族を日本国臣民朝鮮族として扱ったが、朝鮮人はその好意を全て恨みに変えた。怨念の民族と言われる所以である。
西欧人の他国支配は全て西欧人の利益のためであった。それに対して日本の統治はその民族のためであり、かつ日本にとって有益なことでもあった。つまり日本人は非常に他者・他物に対して愛着を持つのである。それは現在にも繋がっており、日本人は外国人に対して非常に親切で融和的である。さすがに近年では中国人と朝鮮人に対しては警戒感を持つが、他の知らない国から来た人々には総じて親切で警戒感を持たない。それは真に征服されたことのない(敗戦で占領統治下にあったことはあるが、政府は機能した)民族の平和ボケでもある。その日本精神は滝川クリステルによって、「おもてなし」という言葉で世界に広まった。日本人は他者に対してだけでなく、モノに対して愛着を持つ。古い家屋を大切に手を掛けて保存し、古い骨董をこよなく愛す。これらは自己を他者に没入させることで、愛の思いが生じていることを示しているだろう。すなわち日本人の愛は普遍的であり、永遠的であり、そこに差別はない。
その意味で日本人の愛というものに対する感性は、未来の模範となるだろう。現代は全てが自己利益追求・自国利益追及の原理から至るところで争いや戦争が生じているが、未来ではすくなくとも戦争は無くなり、人々は平凡な日々を心豊かに過ごすことになる。その時に最も重要になるのが他者への想い、他者への愛であろう。それさえあれば、どんなにつまらないように見える平凡社会であっても、人々の心は豊かになり、生き甲斐を持つことができるようになるのである。