【時事評論2021】
ノム思想の特徴
2021-08-28
「ノム思想」というものが、これまでの思想と決定的に異なるものであるということを、強調しすぎる嫌いはないであろう。それを以下に示したい。
1.市井人(素人)が創ったものである:これまでの思想は、哲学者や思想家と言われる専門家が創り出したものであり、個別思想としてかなり多くの人が唱えたものがあったとしても、それらは宇宙の諸事象、地球の自然界の事象、人間界の事象という全てを解き明かすことはしていない。ノム思想はそれに対し、以下にものべるように、宇宙の存在そのものから説き起こし、人間の存在の意味まで説明する思想を展開している。そしてこのような膨大なものを、市井人が考えたということは重要な意味がある。またそれが、抽象的なものや精神論に堕すことなく、科学的な論証を基に人間界の競争・闘争などの理由を解き明かしたということは画期的なことであり、これまでの思想には無かったものであると自負している。
2.思想史の系譜を継いでいない:ノム思想と比肩し得る思想を他に知らないため、ノム思想を思想史のどこに位置させるべきかと言えば、その答を知らない。ノムは思想史そのものを体系的に学んだことがないからである。古代までの思想家は利害からではなく、単に発想から多くの思想を編み出した。そしてそれは中国の儒学に見られるように、多くの流派を生み出した。その流派が生じたこと自体が利害関係がそこに生まれていたことを傍証するものである。現代でもその流れは継続しており、たとえば戦後の東京大学の経済思想はもっぱらマルクス経済学に支配されたという。多くの学者がどこかの派閥に所属しなければ、その地位は得られなかった。孤高の思想家というものは世にほとんど知られていないため筆者もその全てを把握できないが、中には独創的な思考をした者もいたようである。旧陸軍の中の石原莞爾という人物は「世界最終戦争論」を説いて一世を風靡したようだが、その結末は本人にとってふがいないものに終わった。それは理想論だけに頼って人間や組織の本質を見誤ったからである。
3.完全に独創的:ノムはその人生の経験と、多少の歴史の勉強を基に、「事象がなぜ起こるのか」という問いから発して事象の諸原因・その過程と原理・予想される未来、という視点から解明を試みてきた。その基礎になっているのが自然科学の諸法則や諸原理であり、その基礎は学んできたつもりである。そのため最新の科学的知識も多くはその意味を理解できているつもりであるし、それ以上にその意義を理解しようと努めてきた。そのため、導き出された結論は、世界のどこにもない独創的なものとなった。これは個々の学問で偉大な業績を上げた学者には無し得ないことである。また独創性を維持できたもう一つの理由には、「本を読まない」ことがある。これはノム思想の萌芽を感じ始めた30歳代前半からであり、一冊の本を読み終わるとその著者の考え方に影響されている自分を発見したことが切っ掛けであったと回顧する。それ以来、資料として参照すべき本は購入したが、必要なところだけをめくるだけで通しで読むことはしない。つまり自分の思考の参考となる資料集めはするが、「本=著書」という思想の塊を読むことは止めたのである。それが経験だけから思考する癖をつけることになった。すなわち筆者の思考の原点は直観というひらめきにある。
4.全ての事象の解明が可能:ノム思想によって全ての事象についてその原因・過程が解明できた。人間界以外の自然界についてはそのほとんどが現代の科学的知見によって支えられている。だがまだ未知の領域は山ほどあり、その前人未踏の領域についてもノム思想はある程度の予測を可能にした。特に人間界での事象については、人間の進化と本能を基礎に論を展開しているため、根源的な解明に繋がっており、人間自身や社会というものについての理解は明快なものとなっている。そして人間界の未来予想という点でも多くの予測的中を経験してきたことから、その的中確率は高いと思われる。だが事象の解明はできたものの、人間の持つ価値観というものが変遷することから、価値観の予想についてはまだ十分ではない。価値観というものが主観に基づいているため、状況論からしか予測できないからである。未来の状況が正確に予測できたならば、その時点で人間が持つ価値観もある程度は予測可能になると思われる。
5.事象の捉え方が網羅的:ノム思想では事象を全て関連したものと捉えているため、個別事象についてもそれがどのように全体と繋がっているのかを解明できる(6.14「個と全 」・8.24「未来の全体主義と現代の個別主義 」)。ノム思想は言葉で表現されているためその表現や理解には限界があるが、人間の頭脳およびAIはこれを統合的に理解可能であろうと思われる。そのため、個々の事象についての説明はいつも全体との繋がりの中で説明され、その理解を容易にするためにしばしば関連事項を引用する。ノムはノム思想を曼荼羅のようなものだと表現する。そこに世界の全てが象徴的に描かれており、それは全て統一的な原理・原則によって支配されている。またノム思想をパッチワークによる絵模様だと表現することもある。部分だけを見ては全体を理解できないが、部分が無かったら全体もないことになる。また全体は部分から伸びた糸で繋がっているのであり、「無関係」という概念は存在しないことになる。
6.作者はほぼ完全に自由な立場にある:これまでの思想は、たとえばソクラテスの哲学は奴隷の下支えの下に創られたと考えられるし、マルクス主義は学会や大衆での功名という報酬があった。過去に遡れば遡るほど自由な立場で思想が形成されたが、現代に近づくほど思想は生業化した。現代は人類の終末期にあり、科学的にも情報的にも最新の知識が庶民にも得られる時代となり、本来なら現代の学者が学問の再統一化を図らなければならないのだが、知識が余りにも膨大なために統一思考ができないでいる。そのため根源的な発想ができなくなっており、さらに学問そのものが予算や報酬という制限を受けることで縛られてしまっているため、人々の期待に添わない研究は闇に葬られていると思われる。ノムの生活の糧は安定しており、利益や名誉を求める動機も無いため、執筆に対する制約条件はほとんどない。他者や組織、そして大衆に媚びる必要もない。過激な思想だと見られることへの忖度もない。そのためほぼ完全に自由な発想、自由な表現が可能になっている。
以上に挙げた理由から、ノム思想は思想史から外れた単独孤高な存在となっていることが判るであろう。これは自慢でもなんでもなく、ただ事実を述べているだけである。特に最後の6番目のことは重要であり、今日の学者が独創的な研究ができなり理由が、人並みの生活を保障されながら論文を書く必要のために、学会・所属組織に忖度しなければならない立場にあることによる。筆者が若い学生の時に、老後に希望を持ったのは、そうした忖度が必要のない立場に憧れたからである。40余名が参加した数年前の同期会で「若い時に抱いた老後への憧れ」について述べたことがあるから嘘偽りではない。そしてその時に抱いた憧れが今実現していることに感謝するのみである。
これを書いた翌日の産経新聞「産経抄」に、「能力の低い人ほど自分を過大評価するという事実」について記事があった。これを見て苦笑してしまった。本項はまさにノム思想というものについて過大評価しているように見えるからである。誰かがそう指摘してくれれば、「ではその根拠を示してください」とお願いできるのだが、誰も指摘してくれないことから自画自賛で終わってしまう可能性が強い。だが筆者はこの産経抄の指摘は真実であると謙虚に受け入れたい。そして自分が「能力が低い人」であることを十分知っていると認めたい。だからこそノム思想を主張しているのであり、1.で強調したように、専門家ではなく素人の書いたものであることを誇りに思っているのである。このノム思想が哲学者や思想家によって作られたものであったとしたならば、それは単なる絵空事でしかない。だが利得に全く関係のない能力不足の素人が書いたものであるならば、そこには真実が表現されているのではないだろうか。改めてそう認識した次第である。(8.29追記)