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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2022】

民族大移動(11.19追記)

2022-02-26
  民族が移動するとき、その理由はいくつかに絞られるだろう。①新天地をもとめる・②戦争により棲家を追われて難民となる・③国家分裂により強制移動させられる・④戦争や飢餓を回避するため他国に逃れる・⑤社会体制を嫌って亡命する、等である。以下ではその事例を挙げるとともに、その背景をも分析してみたい。特に民族移動の結果もたらされる人間界のストレスについても考察したい。さらに、前項でも触れた、住民投票についても提案したい、

  ①新天地を求める:これはホモサピエンスがアフリカから世界に拡散したことから始まったと考えられる。出アフリカは2度に亘って行われたと考えられており、1度目は7万年前(40~50万年前とする説もある)、2度目は4万年前であるとされる。それぞれ理由があったようで、13万5千年前と9万年前にも東アフリカでひどい干ばつが発生していたことが関連するかもしれない。2018年の研究ではイスラエルで発見された人類は17万7000~19万4000年前のものであるとされ、人類誕生も30万年前に遡る可能性が指摘されている。この結果からすると出アフリカも20万年前頃から行われていた可能性があるだろう。これら諸説は生物の生息域拡大原理に沿っている。
  ヨーロッパのピューリタンなどが新天地を求めて北米大陸に渡った話は有名である。これは植民地時代の話であるが、彼らは支配者となるために新天地を求めた17世紀、約40万人のイギリス人が植民地アメリカに移住したといわれる。半数のみが永住し白人移民が85-90%を占めていた。1700年から1775年にかけて、35万〜50万人のヨーロッパ人が移民した。1836年から1914年にかけて、3000万人を超えるヨーロッパ人が米国に移住したといわれる。19世紀後半から20世紀初頭の移民は主に南ヨーロッパと東ヨーロッパからであったが、カナダからも数百万人の移民がいた。1965年以降はほとんどラテンアメリカとアジアからの移民である。現在のアメリカ(2015年)は全世界で最多の4700万人の移民を擁していると言われている。まさにアメリカは移民国家である。

  ②戦争による難民:現代で最も多い事例であり、その主要なものはイスラム教と関係している。すなわち、イスラム過激派が分離をもとめて反政府行動を起こし、内戦になるケースが多い。その最大のものはIS(イスラム国)によるイラク・シリアに跨る地域で内戦を起こし、一旦は消滅させられたものの、現在もなお各派が各地に残存する。これらのイスラム過激派が生じた一因として1916年のイギリス・フランス・ロシア帝国による国境制定が「サイクス・ピコ協定」という密約を含んでいたことに起因していると言われている。原理主義者は統治という概念を持たず、略奪・殺害によってその勢力を拡大するのみである。現在(2019年末)の世界の難民は8000万人ほどだとされており、その大部分が宗教が絡んだものとなっている。1942年2月にイギリスは植民地インドの総督にマウントバッテン卿を任命したが、彼はイギリスをインドから撤退させる使命を帯びていた。その中でヒンドゥー教徒とイスラム教徒の関係が悪化し、インド統一交渉は決裂。ガンジーは隠遁してしまった。唯一の解決策としてイスラム教徒の国・パキスタンを分割独立させることだった。1947年8月14日にインド・パキスタン両国が独立して誕生するが、パキスタンはインドの東西に分割された。問題はインド中のイスラム教徒がパキスタンに移動し、パキスタン領となった地域からヒンドゥー教徒がインド領内に移動することだった。イスラム教徒・ヒンドゥー教徒の双方に数百万人の難民が生じたのである。双方が移動に当たって衝突し、200万人が死亡し、1400万人が家を失ったという。インド独立の日から2週間も経たないうちに数千人のイギリス人将校・部隊が英国に帰還した。すなわち急ぎ過ぎたことがこの災禍をもたらしたのである。
  同様のことは米軍のベトナム撤退アフガニスタン撤退でも起きた。ソ連がこの地に軍事介入して失敗・撤退したあと、アメリカが替わって軍事支援したが、20年の泥沼化によって撤退を強行したバイデン大統領は、急ぎ過ぎたためにアメリカの信用を失墜させた。この時には大量の難民を生まなかったが、残された旧ガニ政権の役人や米軍協力者はその後に続いて迫害されている。何事も急ぎすぎは良くない結果をもたらす

  ③強制移動:近代における強制移住の端的な事例は植民国家による奴隷を強制移住であろう。分かっているだけでも1700万人に及ぶと言われる。
  アメリカでは1830年に先住民を保護区に移住させたが、その数は1万6000人と少なかった。ナバホ族は生まれ故郷に帰還が叶ったが、その帰路で多くの犠牲者が出たという。1920年代から1930年代にかけてソ連では朝鮮人移民の強制移住が行われた。これについては人数は分からない。
  1939年から南米の日系人がアメリカの指示で日系移民排斥ムードが高まっていたペルーを筆頭に、南米12ヵ国の日系人が合衆国へ追放されたということもあった。
  戦時中にはアメリカ在米日系人が12万人強制収容された。だが殺害されることはなく、戦後自宅に戻った。2022年にはバイデン大統領がこのことを謝罪している。
  ドイツではユダヤ人などがゲットーと呼ばれる強制収容所に入れられ、ホロコーストによって250万人が殺害され、その他多くの人が絶滅収容所で終戦を迎えた。終戦間際、ユダヤ人は収容所から収容所へ食料もなく冬の中を無理に徒歩で移動させられた(死の行進)が、その過程でさらに10万人が犠牲となったという。ナチによる犠牲者については正確な資料が残されていない。ドイツ降伏直前や収容所の解放直前、戦犯追及を恐れる関係者によって総括書類が破棄されたことが理由の一つとされる。マダガスカルに600万人を移送する計画もあったという。
  南アフリカ連邦では1948年にアパルトヘイトが法制として確立され、1951年のバントゥー統治機構法で黒人を南アフリカが制定した「部族」に分類し、居留地を各部族ごとに割り振り、黒人による行政機関である地域統治機構を設置した。1954年には各民族の個別的発展という政策が掲げられ、白人と黒人の居住地を分離させる政策が取られ、黒人地域に関しては10の主要集団ごとにバントゥースタンを創設した。1976年以降、トランスカイが独立し、1981年までにボプタツワナ・ヴェンダ・シスカイが続いたが、1994年にこれらの国名は消滅している。この政策により強制移住させられた人は350万人に上る。

  ④避難:これについては歴史上無数の事例があるが、具体的に数字が分かっている事例は意外と少ないようだ。長らく反米左翼政権が続いたベネズエラでは、国外に逃れた人は390万人、国内避難民は約4800万人、庇護希望者は約410万人いるとされる。これは亡命とほぼ同じことであり、弾圧からの避難とみることもできる。
  珍しいことではないと思われるが、飢餓による他国への避難もあり、その場合他国に定住することが多い。1845年から1849年の4年間にわたってヨーロッパ全域でジャガイモの疫病が大発生し、壊滅的な被害を受けたことにより、特にアイルランドのジャガイモ飢饉により、大勢のアイルランド人がアメリカ大陸などに移住を余儀なくされた。約100万人が餓死および病死し、数百万人が主にアメリカ合衆国やカナダへの移住を余儀なくされた。現在、約3600万人(総人口のおよそ12%)のアメリカ人がアイルランド系であると自認しているという。
  今回のロシア・ウクライナ戦争によって、ウクライナから隣国に避難する避難民は300~500万人になることが予想されている。これがもし定着したとすると、民族大移動に相当することになるだろう。各国とも受け入れには消極的である。そこに文化・政治上の軋轢が生じるからである。
  最近話題になっているのが気候変動による海面上昇などで住む土地が無くなることでの移住がある。国際移住機関(IOM)・国内避難監視センター(IDMC)・世界銀行などの調査によると、2021年に約2370万人が災害によって国内移動し、2050年までには約2億1600万人が気候変動の影響によって国内で住む場所を変える可能性があるという。
 
  ⑤亡命:1945年9月2日にベトナムに共産主義政権(ホーチミン政権)が誕生し、1975年4月にカンボジアにポル・ポト政権が樹立され、1975年12月にはラオスにも社会主義政権が発足した。これら一連の社会主義かを嫌うか、あるいはその迫害を逃れてボートピープルと呼ばれる海上難民が続出した。これは④避難と同類であり、区別することはできない亡命と言った場合、個人的な事例が多い。ベトナムはその後資本主義を取り入れて発展したが、中国に取り込まれたカンボジアラオスは最貧国のままとなって、一帯一路による債務の罠で中国の属国と成り果てている。

  人類が以上のような理由から移動をしていった結果として、人種の分岐と混交・文化の多様化・技術の伝播が起こり、それは受容と協調による新規文化を誕生させるという善の面も多かったが、一般的には民族間の闘争や支配権の拡大に繋がった。現在進行形のロシア・ウクライナという同根民族間で起きた戦争は、悪い側面が表れた結果であり、プーチンという独裁者一人によって志向されたものである。

  紛争対象地域で住民投票を行うというのは一筋縄ではいかない。特に現代ではロシアのような略奪国家がこれを利用し、クリミア侵攻を正当化した例がある。自分の住みたい場所として育った地を望む人が多い一方、民族・宗教・政治の違いが移動を希望する人を生み出しているからである。現在はこのような問題が国家に存在するため、住民投票が正当な目的のために行われる事例はほとんどない。だが未来世界では、民族・出自・宗教の違いで民が差別されることはなくなり、飽くまでも人格だけで上下が決まるため、住民投票で政治的区割り(国・地方自治体)を変更することも可能になるであろう。

  ノムとしては、未来世界においては可能なかぎり同民族・同宗教が集合体を作ることが望ましいと考えている。日本人の場合、それを強く感じるのは、日本では1万年以上を掛けて民族意識が醸成されてきたという歴史があるからであり、それは他民族にはなかなか理解できないものであると思うからである。生活する上で他民族が少し混じるのは大いに活性化をもたらすが、過剰な他民族の混在は不安定をもたらす。事実、外国人が入ってきたことにより、日本の治安は悪化したと思っている。そのような現実から、民族の違いや宗教の違いがもたらす軋轢が想像以上に大きいと思うからである。もし未来人がその軋轢を超越できるならば、必要以上に分離をする必要はないし、民族・宗教の多様性が国家に活気を与えることになるならば、むしろ民族混在・宗教混在の方が望ましいのかもしれない。だが現在の状況と近い将来の想像を考えると、まだ人間はこれを克服しているとは思えないことから、国家の中に地方という形で各種民族・宗教を分割して統治を行うという方が、安定をもたらし易いと考える(21.6.2「現実主義」・21.11.18「本能論 」)。その場合、国家同士の競争は無くなっていると仮定しなければならず、競争が残っている限り、それは他者排除の方向に向かうであろう。国家の競争が無くなるということは、必然的に世界が連邦という唯一の主権母体の下に統一されていることが前提になる。すなわち民族に移動があることは歴史上の事実であることから、未来世界では各民族・宗教に基づいた国家区割りが改めて定められ、数百年という長い時間を掛けて徐々に国民移動が行われることがあってもおかしくない、ということになる。その場合、国家の人口密度が適性に考慮されなければならない。最終目的は、全ての世界民が居住地に安住できるようにすることにある。


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