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【時事評論2020】

民族問題へのノム思想の考え方

2020-09-15
  前項では筆者の韓国への痛烈な批判と考え方を述べた。朝鮮人がこれを見たら相当な反撃が予想される。だがどんなに非難されようと、現実主義にたつ筆者は自論を曲げようとか、穏やかな表現にしようとかは思わない。はっきりモノを言うということができる一市井の人間として、このサイトを通じて真実をはぐらかさずに述べたいからである。だが前項だけを読んだ人は必ずや筆者のことを高邁で偏屈な民族主義者と考えるであろう。そう思われても仕方がないほどに強烈な論を展開したからである。しかしそれは残念ながら当たっていない。筆者は民族主義を超えた人類主義ともいうべき立場に立っているからである。だがそれを説明する前に、筆者が如何に他の民族の人々と付き合ってきたか、彼らを支援しようとしてきたかを紹介すれば、少しは誤解の払拭に役立つだろうと考えた。
 
  筆者は教員という立場にあったことから、留学生にも多く接してきた。彼らの苦労を思うと支援したいという気持ちになる。台湾のA君はそんな一人であったが、特に学生時代に格別な面倒を見たわけではない。卒業後に日本で就職した彼とは何回か会ったことはある。その後独立して日本と関わりのある商売をしているらしい。毎年正月になると電話を台湾から掛けてくる。
  中国のB君は大連出身である。日本と縁の深いところであることもあり、彼の母親を日本に呼ぶとき保証人になった。これはとても責任の重いことであるが、彼を信用したのでためらいは無かった。彼もまた日本企業に就職したが、結婚して家に招いてくれた。東京に住んでいたので近かったこともあり、都営住宅を訪問した。精一杯の中国料理でもてなしてくれたが、満腹後に皿一杯の水餃子が出てきたときはうんざりした。だがその美味しさは今でも忘れない。日本にいる間に彼は子供を連れて家族で我が家を訪問してくれた。その後独立して大連で会社を立上げ、日本人を何人も雇っているという。
  中国のC君は国費留学(日本の国費)で日本に来ていて知り合った。かなり押しの強い自信満々な男であったが、その気風の良さが気に入った。しばしば我が家に来て私たち夫婦が親代わりを務めた。彼が大学院に進学して指導教員と衝突し、母国に帰ったしまったことが残念でたまらず、中国を夫婦で訪問して向こうの両親に「残念なことになって済まない」と詫びた。詫びる必要はないのだが、そうしたい気持ちになった。中国では最大限のもてなしを受け、親族を集めて歓迎会も開いてくれた。彼が結婚した時は日本からプレゼントも送った。暫くメールでやり取りしていたが、中国での反日運動が盛んになった頃から差し控えた。中国の大学の日本語学院で教えている彼の立場を考えると、日本人と付き合っていることが知られると何があるか分からないからである。
  マダガスカルから留学生として来ていたD君夫婦も何くれとなく応援した。カネの支援も多少なりともした。家族的な付き合いが続いたが、残念ながら旦那は博士課程を修了間際で断念し、小さな企業で働くことになった。奥さんを看護士にする途が開けて、その応援もした。だが奥さんは職場になじめず、他の病院に移った。それは応援を無にするような行為であったため、その後は付き合いは途絶えている。だが電話があればいつでも相談に乗ることにしている。
  ベトナムから私費留学で来ていた小柄なE君とは今でも家族ぐるみの付き合いだ。彼は新聞奨学生をしながら日本の国立大学を卒業し、さらに奨学金を得て大学院修士課程を修了した。とても気の付く頑張り屋で気に入っている。彼とはしばしば食事をしたり、家に来てもらって友好を深めた。卒業式に着る服がないというので、妻が安物だが一揃い買って上げた。だがアパートの火事でそれは焼失してしまった。そこで私の背広を上げて何とか間に合わせた。今は仙台の近くで一流企業の子会社に勤めている。遠いが2度も遊びに来てくれた。
 
  私がこのように外国人を大切にするのは、彼らが一生懸命に頑張っている姿に感動するからである。日本人にはその姿を見ることは滅多に無いし、見たとしても応援の必要はないのが普通である。つまり外国人であろうが日本人であろうが、一生懸命に真面目に生きようとしている人を応援したいのである。そこには民族がどうのこうのという視点はない。だが国家と国家という次元でモノをみると、それは個人と個人の付き合いとは全く異なる問題が出てくるのである。だがベトナムや台湾のように、日本と仲良く付き合ってくれる国家に対しては、日本人として最大限の応援は惜しまない。できることは限られているが、国際親善という種蒔きは、何時か何かしらに通じるものがあると思っている。
 
  ノム思想ではこの民族問題に対して、住み心地の観点から同民族同国家主義を唱えている。これは「民族自決」の精神に通じるであろう。奴隷制を放棄したアメリカは、代わりに移民国家となって成功した。それはフランスも他の欧米諸国もほぼ同様である。だがそのツケが今廻ってきている。民族問題はシリア難民が大量に生じたことで一気に移民問題にまで発展したが、結局他民族を経済的理由だけで受け入れてきた姿勢が問題であったのであり、その融和には少なくとも3世代という長い時間が必要である。日本も朝鮮から多くの難民を受け入れて縄文時代から弥生時代に変革した。得失はあるが発展したことは間違いないし、もしかしたら皇室というものも朝鮮系が混じっているかもしれないと思う。だが現代の日本では祖先の出自は全く問題となっていない。それは縄文人から引き継がれた融和性にあると思われる。世界の民族が融和性を備え、経済的競争原理から共生的融合に向かえば良いのであるが、残念ながら現代は競争の原理がより強く働いているため、融和が困難になっているのである。アメリカの人種問題も、プアーホワイトと呼ばれる貧しい白人が失職するという経済的競争の結果が原因となっている。
 
  未来世界では各国をできるだけ同民族で揃えて同化政策が取られることになる。各国間の経済競争が無くなるため、貿易というものもほとんど無くなる。日本の江戸時代がそのモデルになるであろう。言ってみれば国家単位の自給自足時代に入ることになる。すでに他国に移民している人も、長い時間を掛けて同化していくことにより、より良い成果を生み出すだろう。大坂なおみというテニス選手がその模範を示してくれた。彼女は人種問題を強く意識して、全試合で被った帽子に、アメリカで殺された黒人の名前を印した。日本語のほとんど話せない帰化日本人であるが、その精神は正に日本人そのものであり、行動は正にアメリカ人であった。その両方とも素晴らしいものである。民族に隔たりを作らない姿勢は未来の精神でもある。だが、だからと言って世界が人的交流を深めて国際結婚を増やしていくのが最善だということにはならない。融合には長い時間が必要であり、短期間にそれをやろうとすると拒否反応が起きてしまうのである。その意味でも未来世界ではできるだけ人的交流を防ぎ、ネットによる文化交流・技術支援などが推奨されるのである。その仕組みについてはまた別の項で説明する機会があるであろう。ここでは字数の制限からここで終わりにしておきたい。
 
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