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【時事評論2021】

江戸時代の安定の秘訣1・通貨

2021-08-15
  世界の安定を政治面から考えた場合、その最も好例となるだろうとノムは鎖国政策下にあった日本の江戸時代を推奨したい。その制度については他国の人々はほとんど知る由もないであろうし、現代日本人にとっても知らないことが多い。ノムは投資をしていた頃、某投資会社から送られてくる雑誌の記事の中の、江戸時代について書かれた井川香四郎の文章に非常に興味を引かれた。彼の描いた江戸時代の生活にまつわる記事から多くを引用して、政治的安定の理由を探ってみたい。これはかなり多くの項目に亘ることが予想されるので、テーマ名に番号を付して連載物としたい。

  政治的安定で最も重要なのが経済の安定であり、その基となる通貨を最初に取り上げたい。江戸時代はコメ本位制と言って良いように、藩の規模や武士の俸禄はコメが基準であり、藩は〇〇万石、武士は〇〇石取り、で評価された。だが徳川時代(江戸時代)にはれっきとした通貨があり、金・銀・銅貨があった。特に初代の家康は佐渡を初めとする諸国の金山を開発し、そこを幕府の直轄地とした。それにより経済の活性化と幕府財政の安定化が図られたのは当然であった。だが通常では通貨発行権というものは政府(江戸時代は幕府)が握るものだが、当時の江戸幕府は発行権を持ってはいるものの、実際には民間の鋳金業者にそれを委託していた。室町時代から続く後藤家という家柄がその鋳金業者である。後藤家は単に技術的なことに関わっただけでなく、幕府の金庫番としての役も果たしていたらしい。

  何代目かの後藤庄三郎(今日の日銀総裁)の下には、年寄や勧請役などの幕臣が付いており、鋳造過程の監視や保管に当たった。職人は鑑札を与えられて出入りしたが、丸裸にされて検査されたという。元々後藤家は彫金を生業としていたため、江戸時代の金貨は世界で最も優れた技術で作られたが、なぜ家康が貨幣鋳造を町人に委ねたのかについては諸説あるようで、一説には合議制の幕府に任せると思うような采配ができないので、徳川が富を独占する体制にするために民間に委託したのではないかという。こうしてできた金座と呼ばれる場所に、今日の日本銀行本店があるという。こうして後藤家は室町時代の初代五島祐乗以来、豊臣秀吉の造った天正大判・家康の造った慶長大判などを手掛けた。町人といっても名字帯刀を許された特権階級であり、工人の中でも最高位であった。芸術の道でその名が知られる本阿弥家との繋がらいもあったという。今日で言えば、勘定奉行の下ではあるが、日銀総裁と財務大臣を併せたような権威もあったらしい。

  非常に興味深いのは、これが世襲で代々受け継がれたにも拘らず、不正めいたことが無かったようなのである。勿論後藤家は繁栄をしたであろうが、後藤家としては大任を任されているという自覚と誇りによって、自戒を怠らなかったのであろうと思われる。これは一般則である「役職世襲は腐敗をもたらす」という原理から外れた例外であるが、その日本的伝統は、天正年間に織田信長が催した上覧相撲が始まりと言われる相撲の行司家柄の最初は木瀬姓から始まっているが、江戸時代になって勧進相撲が盛んになると、京都の五条家と江戸の吉田司家が相撲の家元として名を上げる。宝暦年間(1751-1764)頃には、現代に続く木村家も出てくるが、幕末になって木村家と式守家の二家のみが残った。吉田司家は横綱認証権限を持っていたが、それが廃されたのは1986年になってからだという。現在は行司は相撲部屋に別々に所属しており、これも不正を生む温床と考えられがちであるが、これまでに行司の不正判定を聞いたことがない。すなわち、役の家柄による独占と世襲制は西欧民主主義に於いては最悪の制度に思われているが、日本ではその原理は当てはまらないのである。2021年の立行司である式守伊之助は41代を数える。

  日本では歌舞伎・茶道など、多くの伝統的技芸で伝承が見られるのは、こうした家元制度のようなものがあったればこそなのかもしれない。それはまた、家柄の権威や信頼性を維持するのにも役立っている。だが残念ながら、通貨では時の情勢で金・銀貨の純度や大きさが変わったりしたが、一説では信用度がそれほど落ちたり、インフレになったりしたことはなかったと言われる。天保一分銀(1837)は銀の含有率を落としたことで知られる。むしろアメリカで貨幣流通量を金準備高に合致するように1/3近くに絞らせた結果、経済に致命傷を与えたという事例もあるようだ。日本では江戸時代以前の7世紀後半に銅銭や銀銭が使われたということがあったそうだが、質の悪化等で貨幣の信用は失われ、10世紀半ばを最後に16世紀まで国家の新貨幣発行は行われず、この間、中国からの渡来銭が使用されたという。16世紀後半になると、戦国大名により鉱山開発と併せ金銀貨がつくられ、徳川家康が1601年に慶長金銀を発行、その後、江戸幕府は寛永通宝を発行し、金貨・銀貨・銅貨等の三貨制度が整うこととなった。ここに統一政権による日本独自の貨幣体系が成立したと言われている。こうした経緯を考えると、家康が通貨発行を民間に委ねたということが、さまざまな教訓を包含していることが分かるであろう。その手法に普遍性はないが、民の持つ誇りなり矜持というものがあれば、腐敗というものも防ぎ得るという一事例となっている。

  徳川家康が鎖国という体制を敷いたのも賢明なことであった。それによって多国からの経済侵略・文化侵略を防いで独自の高い民の文化を形成することに成功した。平和を永続させるために江戸時代から学ぶことは多く、特に鎖国政策は未来世界を展望する上で欠かすことのない重要性を持つ。明治維新で鎖国から脱却したのには功罪があるが、基本的には鎖国時代に成熟した文明が一気に外に対して華開いたため、日本人が傲慢になる切っ掛けを作ったとも言えるが、ある意味では明治維新は状況論からすると止むを得ない選択であったと解釈すべきだろう。幕末に金銀比価の違いから海外に金が大量に流出したことは、幕府制度の根幹を揺るがすことに繋がったとも言われる。通貨は政治の安定・国家の安定に直結することであり、近年でも不安定な国が外国からの投資の影響でデフォルト(債務不履行)に陥る事例が多発しており、未来世界の経済では、①無利子・②準固定物価・③利益のための投資なし、の原則を作ることになるだろう(20.11.28「未来世界の経済を考える」)。これらの原則により、①世界は進歩を遅らせ、②先進国の優位性を無くし、③経済破綻という状況を無くすことが可能になると思っている。江戸時代の経済がこれらの要素を持っていたとは言えないが、少なくともヒントを与えてくれていると思われるのである。


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