【時事評論2021】
武器と武力(軍力)
2021-10-06
昨今の中国の領土拡大路線によるさまざまな軋轢が、日本の尖閣諸島にも及んでいる。中国の論理からすれば大陸棚とやらの海底下の地形にすら自国に有利なように領海概念を広げ、そのうち日本海溝・琉球海溝を根拠に日本列島をも領土に組み入れる算段なのであろう。中国の侵略熱は尖閣諸島だけに留まらず、中華大帝国を建設するために、とりあえず日本は属国扱いにするであろう。それが実現すれば、習近平の唱える「中国の夢」が実現したことになる。
日本は敗戦国としてむりやり米国から日本国憲法を押し付けられた。そこには「不戦条項」・「非軍備条項」が盛り込まれており、戦後のGHQの洗脳計画により、日本人の一部(不思議に左翼)がこれを有難がって「平和憲法」と称して護持しようとしている。だが人類の歴史で武器と武力を持たずに国家の安定と永続性を保てた国家は存在せず、日本も事実上米国との間にある日米安全保障条約によって守られ、戦後まもなく勃発した朝鮮戦争に乗じて、米国の依頼で自衛隊の前身が作られ、その後世界でも指折りの軍事大国になった。作為的に作られた空想憲法と現実が乖離していることは、日本人ならば誰でも知っているはずである。
このことから分かることは、人間はその誕生の当初から武器を持つことで勢力範囲を拡大してきたということである。生存競争に打ち勝つためには武器が必要であり、人間は知能という武器と加工した武器(ナイフ・槍・斧・弓)を持つことにより、身体的武器を極力減らしていった。鋭い爪も頑丈な牙も持たない、体毛のない弱い皮膚を持つ人類がこうして生まれた。そして支配者は屈強な人物から、知能の優れた人物へと移行していった。その集団では、他集団との闘争や戦争で勝利するために、いつも最先端技術に基づく兵器が製作され、それを得たものが支配者として君臨した。現代で言えば、アメリカから中国へとその覇権力の移行が進んでいると見ることができるだろう。
日米安保条約に安穏としていた日本では、岸田内閣発足とともに憲法の縛りを乗り越えて、武力の自主独立を目指そうとしている。だがおかしなことに原爆で敗戦したとも言えるような経験をしたにも拘らず、復興独立したあとも日本は非核三原則を守ろうとしている。それが高度に戦略的な思考からそう考えるのであればノムも賛成だが、国民の反戦意識という心情的なものを根拠にしているのだとすれば、これほど愚かな思考はないであろう。隣の家が火薬(原爆)を仕込んだ弓矢を我が家を標的に沢山垣根越しに揃えているのに、我が家は争う(戦争)のは嫌だと言って盾だけを用意しているのと同じだからである。過去の歴史を振り返れば、そうした姿勢を取った国家は少なくとも一時的に敗退した(第二次世界大戦におけるポーランド・朝鮮戦争における韓国・湾岸戦争におけるクエート)。最終的にはこれら国家は再び再興しているので、長期的に見れば国を奪われたわけではないことから、ノムはそうした意味で日本が非核戦略を取ることには賛成なのである。
それに対して武器や武力だけに依存した国家は必ず滅びる(9.22「AI兵器の脅威・中国のドローン偵察攻撃機 」)。鉄文明を誇ったヒッタイトや火薬技術を持った唐、世界で最高の核戦力を誇ったソ連がそうであった。彼らには統治という、より高度な知恵が無かったからであると言えるだろう。対してアメリカは現状でもロシアに核戦力で劣っているように見え、恐らく中距離核戦力では明らかに中国に劣っている(7.12「戦争の技術革命・AI兵器の登場 」)。そうした状況の中で、盾においては世界有数の戦力を持つ日本は、まことに中途半端な位置にあり、それが丁と出るか半と出るかは未知数である。アメリカがいまや一国で中国に対抗できないことを悟り、民主国家同盟を形成してこれに対抗しようとしているのは賢明な策であり、日本もその強力な一翼を担っているが、そもそも戦争に勝とうという気概のない日本は必ず一度は国土が焦土と化すのを覚悟しなければならない。そこからの復興力が日本の唯一の武器となる(20.9.23「兵器開発の現在と未来 」・7.4「戦争論 」)。
一方強権国家と化した中国は、中枢が無くなることで百家争鳴が始まり、混乱と無秩序のカオスの世界にいきなり突入する。中国は細分化されるであろう。勿論それを機にチベット・内モンゴル・新疆ウイグルなどの自治国は独立する。経済的覇権というものは第三次世界大戦後の世界では意味をなさず、如何にして自給自足できるかが最大の課題となるであろう。その意味では原始的生活に近い国家が最も強力な生存可能性を秘めている。だがそのような状況になっても武器の重要性は変わらず、それは国内でのサバイバル闘争に使われることになるだろう。アインシュタインが予言したように、こん棒が最強の武器になるかもしれない。現代工業が失われれば、銃器などは銃弾の補充がなされない限り無用の長物になるからである。
だがノムには第三次世界大戦後の世界が原始時代に戻るとは思えず、アインシュタインは比喩的に冗談めいて予言したに過ぎず、彼が科学的に推論したのでないことは確かである。ならば冷静に戦後を想像してみると、一部に工業生産力が残ることから、再び現代文明が蘇るのにはそれほど時間が掛るとは思えない。ただ気候条件などが現在からそれほど大きく変化しないことを条件としており、もし核の冬などが到来して極寒と飢饉が発生すれば、人は工業生産に血道を上げる余裕もなく、生きることにのみ必死になるだろう(1.21「衰退期のサバイバル術」)。そうした状況においても武器の重要性は変わらない。食料を奪うために武器が使われることになる。その際には高度な武器は役に立たないので、毒矢を用いた吹き矢やボウガンなどが最も威力を発揮することになるだろう。
日本は田園都市構想を含めて、壮大な防衛国家を目指すべきであり、隣国からの侵攻に備えなければならない(2.9「田園都市構想」)。そうした研究は現代の最新兵器開発費からすれば、ほんの微々たる費用で可能である。日本は予算をそうした第三次世界大戦後の世界に照準を定めて立て、今から準備していくことが「急がば回れ」の故事に則った賢明な対策となるだろう(20.7.20「日本と世界の戦略 」)。