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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2022】

人類の戦争史

2022-04-07
  人類は知能を持ったために、動物界で唯一「戦争」という特殊な闘争を行うようになった(21.7.4「戦争論 」)。それは動物界で言うところのテリトリーを守るための闘いではなく、テリトリーを拡大するために行われることが多い。すなわち組織拡大の原理に沿って、領土拡大・覇権拡大を図るために行われる(21.6.9「自己組織化と自己崩壊化」・21.10.14「拡大の論理から縮小の論理へ」)。今次のプーチンによる侵略戦争がそれを端的に表していることは言うまでもない。ウクライナのゼレンスキー大統領は「彼らが快楽のために人を殺し、強姦をした」と国連安保理でビデオ演説して人間のむごさを指摘したが、それは多くの戦争に付随してきたことであり、プーチン戦争では異常なほど多いという点だけが異なっている。その残虐なやり方もまた、動物界にはないものであり、生存競争を超えた、知的好奇心から出てくる犯罪である。必要を超えた殺し合いが人間の戦争にはつきものである。既に人類史については概略をまとめているため、本項では人類の戦争史についてその概略と要点をまとめたいと考えた(2.25「人類史」)

  あいにく本項の許容されている字数で戦争史をまとめることは不可能であるため、戦争の地域特性・戦法の変遷・戦争の未来について述べるだけとする。息子がネット上に見つけた日本の戦争史を地図上に時系列に動画としてまとめたものを見たが、それは爆発の炎として戦争が描かれていたものの、戦争の規模は表現されていなかった。だが早回しで見ると、戦争が何時頃に多く起こったかがよく分かり、これを世界史に当てはめ、かつその規模が炎の大きさで分かるようにしたら素晴らしい教育教材となるだろうと思った。残念ながらノムにはそうした動画を作る能力も時間もないため、本項で本質論を述べるしか手は無い。誰か世界の戦争史についてもまとめてくれると非常に有難い。

  人類の初期、採集や狩猟によって生活していた人類には戦争というものは無かった。争いくらいはあったかもしれないが、ほとんど個人的なものであり、集落のリーダーによって仲裁された(未来世界では連邦が仲裁)。歴史的にみて非常に興味深いことは、日本の縄文時代が1万年という長きに亘って平和であったということである。争いの痕跡が考古学的調査で発見されておらず、逆に多数の文化的・芸術的遺産が発掘されている(21.11.5「縄文人の文化と現代への継承」)。世界の発掘現場の多くには争いの跡が見られるようであり、その意味で縄文時代というものは特異なものなのかもしれない。縄文時代は旧石器時代から新石器時代に亘るが、石器という未熟な技術だけでヒスイに穴を開けて勾玉という独特な飾りを作り、複雑で抽象的な造形物である火焔土器を作った。採集・狩猟生活は仲間との協調を前提として成り立つので和が尊ばれたと思われる。

  だが外来人(渡来人)がより高度な文明と技術をもたらし、農耕が始まるようになるとその平和な生活は一変したようである。環濠集落というものが見られるようになり、外敵の襲来があったことを窺わせる。それは穀物の貯蔵が原因であった。集落の拡大に伴って、穀物や果物(栗)などを保存する倉庫が必要になり、高床式の倉庫が作られたが、それを狙って外敵が侵入するようになった。当然そこには争いや闘争が生じた。さらに集落が拡大し、連合を組むようになって部族というものが生まれた。部族間では女の交換が行われたり、女が自ら血の拡大を求めて他部族に溶け込んだ。そして闘争があった際には女の略奪もあったと想像される。この頃の争いの原因は、食糧の不足した時期や旱魃などによる飢餓が最も大きな理由であったと思われるが、次第に部族の勢力範囲が拡大するにつれ、境界域での争いが生じ、それは部族同士の戦争に発展することもあったと思われる。

  日本の例で言うと、弥生時代に入ってから高度な文明が入ってきたが、そこには大々的な争いは少なかったようである。和人は尊厳を保ちながら渡来人を受け入れた。北九州の辺りでは渡来人が多かったために渡来人部族間闘争は多かった。そしてその中の、多分和人が支配する部族が争いを嫌って本土に渡り、途中で多くの部族が合同して大和政権を作ったとする説がある(1.4「邪馬台国考」)。その経緯を記した古事記・日本書記には「国譲り」という神話があり、それはどうも史実らしいことが分かってきた。つまり争いを避けて合議で和したということである。日本は古来から争いを避ける民族であった(後の大政奉還・江戸城無血開城)。だが世界を見ると、石器時代からも争いの痕跡が見られることから、人種による気質の違いが原因かもしれない。

  国家というものが出来ると、そこには自分の国は自分らで治めるという統治意識が生じ、それは今日で言うところの「主権」の概念の誕生となった。主権を持つ国家同士では、見依や競争心からどちらが上かという意識が絶えず生じた。日本は中国に比べて新興国に近い存在であったが、大和王権はかなり誇り高い意識を持っていたようで、中国への使節に「日いずる国(日本)から日没する国へ」と書いた国書を持たせた。だが当時の中国の皇帝は大人(たいじん)であったため、それほど怒らなかったそうである。だが国家というものは常に競争意識に煽られる特性を持つその競争は武力経済力人口の3つの競争となった。そしてどちらが覇権を持つかに国の運命が掛かってくるようになったそこに戦争というものが手段として登場するようになる。戦争は競争で生じるストレスの解消として位置付けられる(20.11.30「ストレス論」)そのストレスは戦争が起こることである程度解消される(日本の敗戦はその好例)。

  多くの戦争では最新の武器を使い、多くの兵士を持つ方が有利であったが、士気の高さと戦略の巧妙さが勝敗を分けることが多かった。これは戦史を辿ると明らかなことである。そして重要なのは、今日の軍事で言うところの兵站(へいたん:兵糧・武器などの備えと前線への送達)が重要である。急ごしらえの派兵はこの兵站の準備が足らず、負け戦になることがある。プーチン戦争はかなり長い準備期間があったににも拘らず、3日でキーウを占領できると誤った判断をしたために兵站を準備せず、兵糧と燃料に欠いて進軍が止まった。そして市民からの略奪も始まった。ついには撤退したことから、キーウ戦は負け戦となった。日本でも同様なことがあり、幕末に起きた内戦では、幕府軍の方が圧倒的に兵士の数は多かったが、少数精鋭の薩長軍に負けた。やはり兵站を欠いたからだという。一方、豊臣秀吉が明征伐(朝鮮での戦は途中の戦争であったとされる)に出たときには、十分な兵糧を用意したために、戦意の差もあって連戦連勝した。だが秀吉の死によってこの戦争は引き分けとなった。プーチン戦争には大義が無かったために、愛国教育だけで戦意を鼓舞しようとしたが失敗し、結局国民の議論を封じることによって嘘のプロパガンダだけに頼ったことが失敗の原因となった(3.5「プーチンの失敗の原因」)。ロシア軍の兵士の士気の低さと練度の低さ、そして統制の取れていない様は呆れるばかりである。とても軍事大国とは言えない。

  戦争の勝敗を分けるのは、軍の統率が取れているかどうかにも掛かっている。日本が日清・日露戦争で勝利したのも、軍の統率がとれていたこと、士気が高かったこと、練度が極めて高かったこと、などが勝因の一端と言えるであろう。日露戦争でも分かるように、ロシアという国家の規模は大きいが、軍の規律は極めて悪く、将軍や指揮官でさえ負け戦になると降参してしまう。だがプーチンは核兵器に絶大な信頼を置いた。それ故に無謀な戦争に乗り出したのである(3.16「なぜプーチンは無謀な戦争を始めたのか?」)。そして何よりも国民の圧倒的支持がなければ戦争は継続できない国民にも不屈の精神がなければならないのである(3.6「現代の戦争における国民の在り方」)。プーチンは戦争の口実を無理やり嘘で広めたために、その嘘がバレたときに国民は一斉に反旗を翻すであろう。ウクライナ側の士気が高いのは、大統領が逃げ出さずに戦う意思を示しているからである。被害が大きければ大きいほど、その士気は高まるだろう。

  戦争がどんなに悲惨なものであったとしても、戦争は現状では無くならない。世界のストレスの解消法が戦争だけだからである。第二次世界大戦後に科学者らが世界連邦の形成を唱えたが、それには主権を1つにするという最も大切なことが盛られていなかったために、いつの間にか棄てられた。国際連盟から国際連合という組織に衣替えはしても、実態が変わらなかっただけでなく、常任理事国を戦勝国と称する5つの国家に限定してしまったために、余計に戦争を止める手段が無くなってしまった。ウクライナのゼレンスキー大統領が、「戦争を止められないのなら、安保理は解体せよ」と主張するのは当然のことであり、ノムもそうすべきだと考え、西欧が中心となって新たな枠組みを作るべきである。(3.12「国連が無能な理由」)。そして憂慮すべきことに、武器の進化が戦争の本質を変えてしまったことが、現代の戦争の最大の悲劇であろう(20.9.30「兵器開発の現在と未来 」・21.9.22「AI兵器の脅威・中国のドローン偵察攻撃機」・21.10.6「武器と武力(軍力)」)

  第二次世界大戦末期に、アメリカがドイツとの核兵器開発に遅れまい(ドイツはまだその体制ができていなかったことをアメリカは知らなかった)と急いで原爆を開発し、必要は無かったにも拘らず、ソ連の参戦の前に日本を降伏させなければ、日本がソ連と米国によって分断統治される可能性があったためと、日本本土決戦が多大な兵士の損失を招くことを危惧して、原爆を2つの都市に投下した。日本が降伏していなければ、3発目は東京に投下する予定であったとされる。ここから現代の戦争が、人類の生存に直接影響を及ぼす可能性を生んだと言える。そして核戦争は相互確証破壊というリスクがあるため、実際に起こることはないだろうという安易な予測がなされてきた。確かに77年間は核の均衡の下に核戦争は起きなかった。だがプーチンはその常識を覆した。プーチンが具体的に核による恫喝をし、軍事訓練をし、核戦争への臨戦態勢を命じた。法的にもプーチン単独で核のボタンが押せるようになった。今やプーチンが追い詰められれば、いつ世界の主要都市、少なくとも160ヵ所(もしかしたら600ヵ所)にICBMが発射されるかもしれない事態となっている。今後どのような事態の推移となるかはノムにも読めないが、第三次世界大戦が起こる必然性は変わらない。それがプーチンによって起こされるのか、習近平によって起こされるのか、だけの違いである。

  では未来では、戦争はどうなっていくのであろうか。ノムの予想では、第三次世界大戦後の荒廃した世界の中で、生き残った人々の間で恒久的な平和を希求する動きが出るだろう。だが一方、生存のための競争はまだ残っているため、各地で生存競争に由来する内戦や対外戦が起きるだろう。ノムはこれを戦国時代と呼ぶが、その嵐の中から優れた指導者が現れ、各国を束ねて連合を形成するだろう。そしてその連合に対抗する勢力との一騎打ちがあり、最終的に世界は一つの連合体になるだろう(21.3.28「世界連邦の可能性」)。これは日本で統一的な政権として徳川家が支配するようになる際、関ケ原の決戦があったのと同じである。そして優れた指導者が連邦を形成し、各国の武器を連邦に集約することによって、連邦内の戦争をまず無くすと思われる(徳川家は265年間の間戦争を無くした)。次に抵抗勢力としての個別国家に服従を迫り、従わない場合は連邦と敵対国家の戦争となるだろう。それが最終戦争になれば最善のシナリオとなる。

  未来世界では世界は統一されており、それは自然の摂理、ないしは科学的理論によっても必然なことである。組織は拡大し、分裂するとともに連合し、最終的に1つの組織に集約されるのである(21.6.9「自己組織化と自己崩壊化」)。そして各国は主権を放棄し、武器も持たないことになる。そうすることで戦争はやろうと思ってもできないことになり、もし連邦に反抗的な国家がでてきたとしても、連邦が軍を差し向ければ直ちに政府や国民を制圧することができる。連邦は世界の賢人の集まりで形成されているため、1国の利益を代表する者はいない(21.11.20「賢人とは? 」)。世界をどう秩序立てて統治するかだけを考える人間が集まっているからである。こうして人類は初めて戦争を無くすことができるが、同時に戦争の原因である競争を制御しなければならない(20.9.7「人間は「競争」、および「競争心」を克服できるか?」・21.1.7「制御思想」)。競争には悪い競争と良い競争があるため、良い競争は奨励するが、悪い競争は政治によって制御する必要がある(21.1.31「良い競争と悪い競争」)

  戦争という手段が無くなった世界を想像してもらいたい。例えば国家で考えてみれば分かることであるが、誰かが政府に不満を持ち、徒党を組んでデモをし、破壊行為に及んだとしても、オウム真理のように武器まで用意しなければ、それは法律の範囲で制御可能である。日本ではオウム真理教に怪しい噂がありながらも、宗教団体ということで公安は強制調査ができなかった。事件が起こってやっと警察などが捜査に入り、実態が明らかになったのである。未来も同じ事であり、各国が密かに武器を製造したり、開発したりする可能性はゼロではない。そのため連邦は全世界の国民を中国のやり方と同様な方法で監視し、人間としての尊厳を損なわない範囲で強制調査もできるようにする(20.8.4「監視と共助」)国家を監視するというのではなく、個人を監視することで反乱の芽を摘むのである。各国のトップリーダーも全て賢人であることから、国家、ないしは政府が連邦に反抗すること自体が考えられない。こうした人類の叡智が未来世界では実を結び、世界はやっと戦争から解放されるのである(20.12.1「自然の叡智と人間の叡智」)


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