【時事評論2022】
平和は創造するもの
2022-05-20
「平和」という言葉はとても心に響く心地よい言葉である。歴史的にも古代から人々はこれを求めて止まなかった。だが現実には、平和を口実に戦争を起こした王や皇帝、そして独裁者も多い。民主的国家でさえ、平和の確保を口実に敵国との戦争に参加してきた。多くは「国家の危機」として訴えることが多いが、一方的侵略戦争の場合は、「隣国に住む同胞の安全と平和のため」に解放戦争を唱えることが多い。ドイツのヒトラーは開戦演説でポーランド侵攻を「平和のための攻撃」と称した。ロシアのプーチンは「ウクライナの中のロシア人を救済するため」と称した。ヨーロッパの小国に限らず、アフリカでも中東でも、内戦などで市民は度々戦争の惨禍に遭遇し、時には支配者が入れ替わってきた。ポーランドの場合は最初ドイツに占領され、次に攻め入ったソ連に占領され、ドイツが対ソ戦に及ぶに至って再度ドイツに占領された。
人類は未だに真の平和を手にしておらず、戦争の繰り返しという愚かなことをしている。それは国家という群れの集団に主権というものがあるからであり、主権が1つにまとまらなければ戦争からは逃れられないという真実を述べたのは、ノムの知る限りではアメリカのエメリー・リーブスによる『平和の解剖』という本の中で主張されたものが唯一であろう。第二次世界大戦末期に書かれたこの名著は一般にはほとんど知られていない。戦後に科学者らが唱えた世界連邦にはこの「国家の主権の放棄」という理念は盛り込まれなかった(21.3.28「世界連邦の可能性」)。現代ではこの主権の放棄という概念はほとんど論じられておらず、現代に世界連邦を実現させることは不可能であるとノムは考えている。それが実現するには、世界が大惨事(大災厄=第三次世界大戦)に見舞われ、文明が破壊されたのちでなければ、人類はその重要性すら考えないであろう。日本の平和を希求する人々の主張を見ても、「日本の主権」を守ることの重要性は説かれても、世界が主権を1つにまとめることの重要性について論じた人は居ない。人間がまだそれを論じられるほどには脳的に進化していないことが最大の理由である。すなわち競争原理から離脱して、調和原理に基づく世界観を持たない限り、人間は競争(経済競争・戦争)に明け暮れることに意義を見出すことしかできないのである(20.9.7「人間は「競争」、および「競争心」を克服できるか?」・20.9.16「競争はいつ芽生え、何をもたらしたか?」・21.1.31「良い競争と悪い競争」)。
そうした考えからすれば、平和は自然に生まれるものでは決してない。生物界を見てもわかるように、自然の摂理では「食物連鎖→弱肉強食→生存競争」があるのであり、人間界もその枠内の存在でしかないからである。もし人間が知能により、少なくとも人間界の中で平和を達成できるとすれば、それはかなり高度に脳が進化したときに初めて達成できることであろう。人間は競争から生ずる争いを防ぐために、まず「社会の法制度」というものを編み出した。さらに「民主化」というイデオロギーも生み出した。だがそれでも争いは止まなかった。人間界に競争のない閉鎖的な安定をもたらすには、これまでの経験からすれば、①強力な独裁体制(ローマ帝国・日本の徳川時代)・②善政(同前)、が必要であり、ノムの考えによればさらに付け加えて、閉鎖的社会・ゆるやかな進歩が必要であり、それを実現する具体的ビジョンと思想が必要であると考える(21.5.24「江戸時代のシステムと未来世界のシステムの比較」)。それがノム思想から得られた結論であり、具体的な未来世界をノムはこれまでの各論において表現してきた(20.9.7「ノム思想(ノアイズム)とは何か?」・20.11.28「未来世界の経済を考える」・21.3.29「未来世界の「四権分立」」・21.10.26「未来世界の医療」・4.24「未来世界の精神文明と自己実現」)。
すなわち、平和という状況は人間界に於いてのみ存在し得るものであり、それは人間が恣意的に創り出さなければ生まれないものである。生命が自己組織化という自然界の現象から生まれた秩序であるという考え方が理解できれば、世界連邦というものが、国家の乱立という無秩序から生まれる秩序ある組織であり、それもまた自己組織化の原理から生まれることを理解できるであろう。これは非常に科学的な解釈であり、自然界には熱力学の法則によるエントロピー増大(秩序→無秩序)もあるが、特定の領域内では自己組織化(無秩序→秩序)という変化もあるのであり、生命体は自己組織化による秩序化であり、世界連邦も自己組織化の最終的局面における秩序化であることが理解されるであろう。生命が放っておいても無秩序の中から生成したように、人間界においても必ずや世界連邦が誕生するのは必然であり、それがいつ実現するかという時期の問題だけである。
だがその誕生には人間のたゆみない努力が必要である。その努力は強いて為すべきものではなく、放っておいても人間はその努力をするようになる。人間はそう仕組まれており、脳をそのように進化させてきた。科学という客観性・普遍性を持つ手法を編み出すことができたのも、そう努力したからというよりも、人間の脳の本性がそれを求めたが故に誕生したのである。それには人間の歴史から見ても、数百万年が掛った。だが科学の誕生は真理の探究に止まらず、そこから生まれた技術によって人々から大いに高く評価された。また科学がもたらした知識は人間を大いに興奮させた。科学と技術が高みに達したとき、人類は原子爆弾という最終兵器を生み出した。そしてそれは既に使われている。
このことから分かるように、科学は決して平和を作りださないし、反って人類を破滅させることになるだろう。それもまた科学の宿命のようなものであり、人間に競争がある限り、その開発は止まることはない。こうしてみると、平和というものは人間が制御された環境の下でのみ創り出せる創造的なものであることが分かる。科学から競争を廃することが如何に大変なことであるかということは、想像しただけでもそのことの困難さが分かろうというものである。科学に携わる研究者は意識しようとしまいと、発見・発明の競争の中にある。もしこれが未来世界において、制御の下に、競争や利益のためではなく、人間のために有益で地球環境にも障害を与えない技術というものが探求されたならば、人間は決して原爆などというものを発明しない。技術が人間生活の利便性を高めたとしても、それが地球環境にとって良くないことであれば、未来の科学者はそれを発明しないのである。それには制御が必要であり、心の制御・思想の制御・利益抑制の制御などが含まれる(21.1.7「制御思想」)。そして未来世界の進化した人間は、それをごく自然に行えるようになるだろう(21.4.8「ホモサピエンスからネオサピエンスへの進化」)。そしてその成果は、環境保全を実現した技術の発展と、世界の平和(連邦による制御)となって、我々の未来の子孫が享受することになるだろう。