【時事評論2022】
日本は中国を肥え太らせた責任がある
2022-06-07
日本は太平洋戦争の敗戦により、中国に負い目を負った(21.8.16「太平洋戦争は避けられたか?」)。戦後はその贖罪意識が政府にも国民にも植え付けられたため、中国支援に殊の外熱心になった。日中国交正常化を急いだのも、主たる目的は中国に於けるアメリカとの経済競争に遅れまいとする動機からであったが、中国への贖罪の意味も大きかったと思われる。そうした日本の善意は、現在から振り返ってみれば、善を以て悪を為したとしか言いようがない。中国が日本や米国の支援を受けて改革開放に舵を切り、自力で急成長を始めたあとも日本は無用なODA支援で中国を肥え太らせた。そうした経緯をもう一度振り返ってみるのは、反省のためにも有意義であろう。以下の見解は6月6日に「東洋経済オンライン」に掲載された鈴木一人(東京大学公共政策大学院教授、アジア・パシフィック・イニシアティブ上席研究員)の論文を参考にしており、一部はそのまま転載した形となっている。
戦後処理の一つであるサンフランシスコ講和会議以降も、日本は台湾を中国の代表として認めていたが、当時の吉田内閣の反対を押し切って中国の招待を受けた緑風会の議員が日中民間貿易協定を結び、1950年代に4次にわたって更新された(20.8.31「台湾における日本の貢献と裏切り」)。しかし、国交回復前であり、CHINCOM(対中国輸出統制委員会)の制約や決済方法の複雑さなど、さまざまな障害を抱えたうえでの貿易であり、その経済的なインパクトは大きくなかったという。風向きが大きく変わったのは石橋湛山内閣、池田勇人内閣の時からであり、この頃から対中貿易に前向きになり、中国も「友好貿易」を進める姿勢を強める中での、LT貿易の開始である。LTとは中国の中華人民共和国アジア・アフリカ団結委員会主席廖承志(Liao)と元通産大臣の高碕達之助(Takasaki)の間で結ばれた覚書に基づくものであり、国交回復前から「政経分離」の原則に基づいて貿易関係が築かれていった。
国交正常化(1972)後の日中経済関係は、それ以前からの関係に加え、鄧小平が1978年に来日し、日本の産業やインフラの整備状況を視察したことが、「改革開放」路線に大きな影響を与え、日本の産業発展モデルに対する関心が高まったことで大きく展開する。この時期は中国が日本に接近する段階ではあったが、後の飛躍的な経済発展の基礎作りに日本が大きく貢献した時期でもある。文化大革命後の旺盛なインフラ需要や農業改革などへの支援、さらには賠償請求の問題を不問にした一方で、中国に対するODA(政府開発援助)として円借款を中心とする援助を行った。こうして、日中経済関係は、「政経分離」の原則を貫くことで、日本側にとっては、中国への進出によるビジネス上の利益と日中関係の安定化に寄与し、中国側にとっては日本の技術指導などを通じた近代化の推進と経済発展を実現するものとして双方にメリットのあるものとなった。
だが1989年6月の天安門事件は、中国の経済発展が民主化に向かっていくという楽観的な見通しを否定する衝撃的な事件であり、その経済発展を支えてきた西側諸国が中国と距離を置く出来事であった。天安門事件直後に開かれたG7アルシュサミットでは、武器禁輸や世界銀行の融資凍結などが合意され、日本も円借款を停止した。しかし、近年公開された外交文書で、日本は当初から中国を孤立化させることに反対し、制裁に消極的であったことが明らかになっている。日本は「政経分離」の原則を踏まえた経済関係の継続を優先し、サミット直後に行った円借款凍結も1990年11月には解除した。これは世界に先駆けて中国の経済包囲網を打ち破った形になった。日本に続いて世界各国も雪崩のように中国市場を求めて経済関係を復活していった。
2001年の中国のWTO加盟もそうした流れの中にある。中国には国内政治や制度上、WTO加盟の障害となる案件があまたあったにも拘らず、日本やアメリカはこれらに目をつぶり、世界の諸国も中国の参加に賛同し、満場一致の可決であった。当時の日本は中国の改革開放が、やがては民主化に導く切っ掛けになるだろうと予測し、多国間貿易の枠組みに取り込むことで東南アジア諸国に広がるサプライチェーンの一環とする構想を描いていたようである。だがその期待は2005年から始まる反日運動によって水を掛けられ、2010年の尖閣問題勃発による反日過激運動、および中国政府によるレアアース禁輸措置が、日本に決定的な打撃を与えた。中国は何も変わっておらず、民主化の兆しは全く無いと判断させられたからである(20.9.22「先進国の中国に対する戦略の行き詰まり」)。
この事件を皮切りに、中国との貿易関係は政治と切り離されたものではなく、政治的目的のために貿易を「武器化」することが現実となることが認識されるようになった。中国のレアアース禁輸は日本がWTOに提訴して勝訴したが、こうした貿易の「武器化」は日本に対してだけでなく、台湾の果物やオーストラリアの農産物や鉄鉱石・石炭、ノルウェーのサーモン禁輸、リトアニア製部品を使ったEU製品の禁輸など、例を挙げればきりがないほど続いている(20.6.26「報復国家・中国への不安と恐怖」)。この事件から「政経分離」の原則は消滅し、経済安全保障が日中関係の焦点となっていく。アメリカはトランプ政権になってその姿勢を明瞭にし、中国との経済戦争にのめり込んでいく。日本も同調を求められ、しぶしぶ5G通信機器から中国製品を排除せざるを得なくなった。勢いに乗った昇龍中国はコロナ禍を契機にマスク外交・ワクチン外交などで世界に勇躍した。これも貿易を外交武器化した事例の一つと言えよう(20.5.14「コロナ後の経済は中国の圧勝か?」・20.5.28「中国の世界制覇戦略に見る「孫子の兵法」」)。
そして中国が領土・海域での覇権を求めていく流れの中で、世界秩序が明らかに混乱するようになった(20.4.11「中国軍が西太平洋進出 」・20.4.22「中国が牙を剥き始めた」)。アメリカも対抗してトランプがWTO上級委員の任命に対して拒否権を発動した。WTOは以降、その権威を失い、機能不全に陥った。2010年にレアアース禁輸がWTO規約に違反するという判決が出たことで、中国が武器をひっこめたのが唯一WTOの存在を確かめる一助となった。だがもはやどの国が経済制裁と称して貿易を武器化しても、WTOはそれを止めることは出来なくなったのである。
こうした背景から、中国への警戒心を隠さない自民党の重鎮である甘利明が中心となって、「経済安全保障戦略策定に向けて」と題する提言書が2020年12月に出され、2021年5月にも経済安全保障戦略を「骨太の方針」に加えることを求める提言が出された。これらの提言を受けて、2021年に発足した岸田内閣では経済安全保障担当大臣を設け、若手の小林鷹之を大臣に据えて、経済安全保障推進法案の策定に注力し、2022年5月に同法案が国会で可決された。だが日本は米国の姿勢とは明らかに異なる経済戦略を取っている。いわゆるデカップリング(中国離脱)に向かっているわけではなく、TPPへの中国参加表明を断るわけでもなく、中国を含む多国間枠組みであるRCEPを推進している。日本としては中国との自由貿易を捨て去ることはできないと考えているからである。一方、基幹インフラや戦略的重要物質に関しては自立性を高めていくことになるだろう。
だがこうした二枚舌のような中途半端な政策は間もなく破綻するだろう。中国が台湾に侵攻することで、ロシアのウクライナ侵攻と同様なことが起こるからである(20.2.10「中国が四面楚歌で台湾に手を付けるか?」・20.9.22「中国が日本に対する先制攻撃を示唆」)。西側諸国は一斉に中国包囲網で結束し、日本がその例外となることを許さないであろう。もしそれでも日本が中国との関係を断ち切ることをしなかったならば、日本は世界で孤立することになる(6.1「中国の運命共同体となるな!」)。
戦後処理の一つであるサンフランシスコ講和会議以降も、日本は台湾を中国の代表として認めていたが、当時の吉田内閣の反対を押し切って中国の招待を受けた緑風会の議員が日中民間貿易協定を結び、1950年代に4次にわたって更新された(20.8.31「台湾における日本の貢献と裏切り」)。しかし、国交回復前であり、CHINCOM(対中国輸出統制委員会)の制約や決済方法の複雑さなど、さまざまな障害を抱えたうえでの貿易であり、その経済的なインパクトは大きくなかったという。風向きが大きく変わったのは石橋湛山内閣、池田勇人内閣の時からであり、この頃から対中貿易に前向きになり、中国も「友好貿易」を進める姿勢を強める中での、LT貿易の開始である。LTとは中国の中華人民共和国アジア・アフリカ団結委員会主席廖承志(Liao)と元通産大臣の高碕達之助(Takasaki)の間で結ばれた覚書に基づくものであり、国交回復前から「政経分離」の原則に基づいて貿易関係が築かれていった。
国交正常化(1972)後の日中経済関係は、それ以前からの関係に加え、鄧小平が1978年に来日し、日本の産業やインフラの整備状況を視察したことが、「改革開放」路線に大きな影響を与え、日本の産業発展モデルに対する関心が高まったことで大きく展開する。この時期は中国が日本に接近する段階ではあったが、後の飛躍的な経済発展の基礎作りに日本が大きく貢献した時期でもある。文化大革命後の旺盛なインフラ需要や農業改革などへの支援、さらには賠償請求の問題を不問にした一方で、中国に対するODA(政府開発援助)として円借款を中心とする援助を行った。こうして、日中経済関係は、「政経分離」の原則を貫くことで、日本側にとっては、中国への進出によるビジネス上の利益と日中関係の安定化に寄与し、中国側にとっては日本の技術指導などを通じた近代化の推進と経済発展を実現するものとして双方にメリットのあるものとなった。
だが1989年6月の天安門事件は、中国の経済発展が民主化に向かっていくという楽観的な見通しを否定する衝撃的な事件であり、その経済発展を支えてきた西側諸国が中国と距離を置く出来事であった。天安門事件直後に開かれたG7アルシュサミットでは、武器禁輸や世界銀行の融資凍結などが合意され、日本も円借款を停止した。しかし、近年公開された外交文書で、日本は当初から中国を孤立化させることに反対し、制裁に消極的であったことが明らかになっている。日本は「政経分離」の原則を踏まえた経済関係の継続を優先し、サミット直後に行った円借款凍結も1990年11月には解除した。これは世界に先駆けて中国の経済包囲網を打ち破った形になった。日本に続いて世界各国も雪崩のように中国市場を求めて経済関係を復活していった。
2001年の中国のWTO加盟もそうした流れの中にある。中国には国内政治や制度上、WTO加盟の障害となる案件があまたあったにも拘らず、日本やアメリカはこれらに目をつぶり、世界の諸国も中国の参加に賛同し、満場一致の可決であった。当時の日本は中国の改革開放が、やがては民主化に導く切っ掛けになるだろうと予測し、多国間貿易の枠組みに取り込むことで東南アジア諸国に広がるサプライチェーンの一環とする構想を描いていたようである。だがその期待は2005年から始まる反日運動によって水を掛けられ、2010年の尖閣問題勃発による反日過激運動、および中国政府によるレアアース禁輸措置が、日本に決定的な打撃を与えた。中国は何も変わっておらず、民主化の兆しは全く無いと判断させられたからである(20.9.22「先進国の中国に対する戦略の行き詰まり」)。
この事件を皮切りに、中国との貿易関係は政治と切り離されたものではなく、政治的目的のために貿易を「武器化」することが現実となることが認識されるようになった。中国のレアアース禁輸は日本がWTOに提訴して勝訴したが、こうした貿易の「武器化」は日本に対してだけでなく、台湾の果物やオーストラリアの農産物や鉄鉱石・石炭、ノルウェーのサーモン禁輸、リトアニア製部品を使ったEU製品の禁輸など、例を挙げればきりがないほど続いている(20.6.26「報復国家・中国への不安と恐怖」)。この事件から「政経分離」の原則は消滅し、経済安全保障が日中関係の焦点となっていく。アメリカはトランプ政権になってその姿勢を明瞭にし、中国との経済戦争にのめり込んでいく。日本も同調を求められ、しぶしぶ5G通信機器から中国製品を排除せざるを得なくなった。勢いに乗った昇龍中国はコロナ禍を契機にマスク外交・ワクチン外交などで世界に勇躍した。これも貿易を外交武器化した事例の一つと言えよう(20.5.14「コロナ後の経済は中国の圧勝か?」・20.5.28「中国の世界制覇戦略に見る「孫子の兵法」」)。
そして中国が領土・海域での覇権を求めていく流れの中で、世界秩序が明らかに混乱するようになった(20.4.11「中国軍が西太平洋進出 」・20.4.22「中国が牙を剥き始めた」)。アメリカも対抗してトランプがWTO上級委員の任命に対して拒否権を発動した。WTOは以降、その権威を失い、機能不全に陥った。2010年にレアアース禁輸がWTO規約に違反するという判決が出たことで、中国が武器をひっこめたのが唯一WTOの存在を確かめる一助となった。だがもはやどの国が経済制裁と称して貿易を武器化しても、WTOはそれを止めることは出来なくなったのである。
こうした背景から、中国への警戒心を隠さない自民党の重鎮である甘利明が中心となって、「経済安全保障戦略策定に向けて」と題する提言書が2020年12月に出され、2021年5月にも経済安全保障戦略を「骨太の方針」に加えることを求める提言が出された。これらの提言を受けて、2021年に発足した岸田内閣では経済安全保障担当大臣を設け、若手の小林鷹之を大臣に据えて、経済安全保障推進法案の策定に注力し、2022年5月に同法案が国会で可決された。だが日本は米国の姿勢とは明らかに異なる経済戦略を取っている。いわゆるデカップリング(中国離脱)に向かっているわけではなく、TPPへの中国参加表明を断るわけでもなく、中国を含む多国間枠組みであるRCEPを推進している。日本としては中国との自由貿易を捨て去ることはできないと考えているからである。一方、基幹インフラや戦略的重要物質に関しては自立性を高めていくことになるだろう。
だがこうした二枚舌のような中途半端な政策は間もなく破綻するだろう。中国が台湾に侵攻することで、ロシアのウクライナ侵攻と同様なことが起こるからである(20.2.10「中国が四面楚歌で台湾に手を付けるか?」・20.9.22「中国が日本に対する先制攻撃を示唆」)。西側諸国は一斉に中国包囲網で結束し、日本がその例外となることを許さないであろう。もしそれでも日本が中国との関係を断ち切ることをしなかったならば、日本は世界で孤立することになる(6.1「中国の運命共同体となるな!」)。
そもそも貿易というものを否定的に考えて自給自足に価値を置くノム思想からすれば、日本が鎖国していた江戸時代に最高の平和を築いた実績を持つことから、中国との貿易を断つことは、未来世界への足掛かりを日本が創ることができるのではないかと考える(20.9.7「ノム思想(ノアイズム)とは何か?」・21.5.25「江戸時代のシステムと未来世界のシステムの比較」・6.3「貿易論」)。そうした長期的視野に立てば、日本は目先の利益だけを考えて中国という邪悪な世界制覇を目論むならず者国家との付き合いを止め、また成長至上主義に立った経済の考え方を止め、日本独自の自給自足的運営を模索すべきである(21.5.24「経済成長至上主義の蹉跌」・21.12.6「中国の恫喝外交文言集 」)。岸田首相が唱える「新しい資本主義」をすら超えて、未来志向の考え方を取り入れていくべきである。それは江戸時代の繁栄と似たものを生み出すだろう。鎖国は決して悪いものではない。経済競争を否定することで自国だけの繁栄を創り出すことは夢ではない(21.5.25「江戸時代のシステムと未来世界のシステムの比較」)。
ただしそれには条件がある。世界が統一されて貿易が禁止され、資源が各国の実情に応じて分配されるという前提であり、そのためには唯一の主権を持つ世界連邦が形成されなければならない(21.3.28「世界連邦の可能性」)。だがそれが実現するためには、世界は大災厄としての第三次世界大戦で、一度は文明が破壊されなければならないのである(21.3.27「第三次世界大戦後の現実 」・21.6.22「宣戦布告なき第三次世界大戦」)。話が飛躍しているように思われる読者もおられることだろうが、詳しくは他項を参照してもらいたい。
本項のテーマに戻ろう。以上に述べたことから、共産主義から始まった中国を手助けして昇龍に育て上げた日本の貢献は、今となっては誤った選択であったことが判明している。それはそれで歴史の運命なのであろうが、別の選択をしていれば歴史はまた違ったものになっていたかもしれない。そうした意味で、日本が善意から為した中国支援という行為は、傍若無人な大国を育てた結果に終わっている。そのことを真剣に反省しないかぎり、日本の未来も、あるいは未来世界における日本の役割もないであろう(20.11.13「米国の衰退と中国の台頭・日本の役割は?」・22.5.14「日本の歴史に学ぶ未来社会のあり方」)。