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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2021】

江戸時代のシステムと未来世界のシステムの比較

2021-05-25
  江戸時代(1603–1868年)という日本の17世紀から19世紀にかけての安定した時代に、ほぼ鎖国政策の下に経済が発展し、当時世界最大の100万人都市としての江戸が栄え、全国的にも265年という長期に亘って政治的に安定した理由を探ることは、未来世界において各国がほぼ独立して自給自足経済を営む上で非常に参考になるはずである。幸い3月23日にNHK高校講座として「江戸時代の経済と産業の発達」というテーマの番組があったお陰で、歴史を余り勉強してこなかった筆者にも分かりやすい形で大筋をまとめることができた。この分野の問題には素人であるが、斬新的な発想でこの問題に取り組んでみたい。恐らく過去に、学者であっても江戸時代と未来世界を比較するという試みを行った人はごく少ないと思われる。

  筆者が最も強調したいのは、たとえ他国との間で貿易ということが無くても、資源さえ世界で適切配分されれば、江戸時代と同様に国家はそれなりの発展が可能であると考えることにある。江戸時代には人間力と動物力、そして水力だけがエネルギー源であり、それによる物質循環が自然生態系と同様に行われていた。そして絶対権力により、安定的な政治が営まれていた。であったとすれば、今日的な地球温暖化と言う問題も、戦争や内戦という事態も避けられるかもしれないと思われるのである。江戸時代は西欧文明が形として入ってくる以前の旧文明の状況にあった。石炭も石油も使っていなかった。すなわち地球の貯蔵系エネルギー源ではなく、薪や炭という循環型エネルギー(再生エネルギー)を使用していた。また将軍という絶対権威が全国を統一支配していたため、戦争や内戦が無かった。幕末に不安定になったのは、地震や飢餓もその一因であったにせよ、開国を迫られたことによる内政不安から生じたことである。ここに筆者が、江戸時代を未来の世界のモデルとして考えたい理由がある。まずは経済という視点からその理由を考えてみよう。

  最初に江戸時代が世界史に於いて極めて珍しい事例であることを強調しておきたい。それは鎖国によって他国を侵略することが無かったにも拘らず、国家の発展が世界でも有数であり、高度な文明・文化を創り出したことである。しかも、江戸の政治経済都市としての特徴に加え、大坂の経済都市としての特徴、京都の朝廷による独特の朝廷文化、という3つの要素を兼ね備えていた。全国的レベルで見ても、水上交通・五街道の整備が為されて、各藩が独立して自治を営んでおり、それぞれに地場産業的な要素を持っていた。いわばローマ帝国と似たようなシステムが構築されたのである。それは参勤交代という世界に無い権力掌握の手法があったことで、全国の大名やその家臣・旗本・御家人らが江戸に居住したことが、江戸を栄えさせる原動力となった。人口は最大で100万人に達しており、当時のロンドンが86万人、パリが55万人だったことと比べてもその巨大さが判る。人口密度は現代の1位であるモナコの2万人(1平方キロ)に比べても遜色のない1万人であったという。2位のシンガポールの8千人より多いのである。

  それだけの人口を養うための食糧は、幕府直轄地の年貢米や大坂などからの集荷によって賄われた。幕府の経費や人件費もこの年貢米によって賄われた。諸藩の国力は石高で表され、コメによって俸禄が決まったのである。つまり当時の日本はコメ本位制であったと言えよう。これは古代ローマで塩本位制であったのとよく似ている。日本は海産物にもめぐまれていたため、日本橋の魚市場が賑わった。だが江戸は新興都市であったため、物資の多くを上方(かみがた)と呼ばれた関西の京都・大坂に頼ったとも言われる。天下の台所と呼ばれた大坂は東北からの産物も集まる集積地であった。人口およそ42万人であったと言われ、当然の結果として大坂は商人の町として発展した。京都は古都としてかつて最も栄えた都市であり、人口は約34万人であったという。天皇の在所として御所があり、朝廷や寺社の多くが存在したため、古来の伝統工芸である西陣織・友禅染め・清水焼があったことで勢いを維持していた。

  日本では海上交通も発達したが、他国侵略を全く考えなかったためにそれは軍船とはならず、商船しか無かった。このことは重要であり、国家間の紛争が無かったことから軍備に無駄な費用を回すことなく、インフラ整備に全国力を回すことができた。また技術開発に回す費用も必要なかった。大坂から江戸に物資が頻繁に回送され、菱垣廻船(ひがきかいせん:木綿や油)・樽廻船(酒)が使われたという。北陸地方と江戸を結ぶ海上商路として東廻り航路、北陸地方と大坂を結ぶ西廻り航路も後から開拓された。道路は五街道と呼ばれた江戸・日本橋を起点とした奥州道中・日光道中・中山道・甲州道中・東海道が整備された。脇街道と呼ばれた全国への支線はほぼ全国に張り巡らされた。街道には一里塚・橋・関所・宿場が設けられ、人々の行き来は監視下にあった(古代ローマには一里塚に相当するものはあったが、関所に相当するものは無かったと思う)。宿場には庶民のための旅籠(はたご)と大名や武家が利用する本陣があった。配送・通信システムとして問屋場(といやば)というものがあり、人足や馬が用意され、飛脚による通信網もあった。

  諸藩はその所領に新田開発を行ったことで耕作地を拡大した(これは未来的には良くないことである)。農業技術は『農業全書』などにより全国に伝わり、農民が見ても分かるように絵図も入っている(技術の後進国移転に通じる)。備中鍬(びっちゅうぐわ)や千歯扱き(せんばこき)、灌漑用の踏み車・唐箕(とうみ)などは全国にすぐに伝わった。人の糞尿は下肥え(しもごえ)として樽と両天秤で運ばれ、他にも肥料として干しイワシや油の絞り粕が利用された。これらは金肥と呼ばれ、購入によって手に入った。無駄のない循環型システムである。漁業も大規模に行われ、蝦夷地(北海道)や松前のニシン漁、九十九里浜のいわし漁が有名である。織物業・陶磁器・漆芸・酒造・醤油造・和紙生産など、各地で特有な産業が興り、特産品と呼ばれた(反画一化)。それを取りまとめる問屋商人が生まれ、原料と資金を調達した。今でいう資本家である。付け加えると、日本は675年に天武天皇が「肉食禁止令の詔」を出して以来、武家も庶民も原則として肉食をしなかった。これは未来の食事のあるべき姿として模範になることであり、世界に誇るべき食文化であると言えよう(「和食」は2013年に「世界無形文化遺産」として登録された)。

  こうした産業が各地に興ると、それに伴って金融業も発達した。庶民も含めて貨幣経済が全国に浸透したのは江戸時代であると言われる。徳川家康の時代に設けた金座・銀座で金貨・銀貨が鋳造され、統一貨幣がこの時になって作られたという。家光の時代には銭座(ぜにざ)で寛永通宝(銅銭)が大量に作られた。だが江戸では金貨が、大坂では銀貨が主として使われたという。貨幣交換のための両替商が生まれたが、多くは大商人が兼業していたという。これが為替や貸付などの金融業に発達していく。江戸時代の小判である1両という単位の今での価値は約10万円に相当した(時代により変化した)。銅貨では4000枚に相当する。

  日本の家屋は木と紙でできていたため、火事が最大の災害であった。江戸には火消し制度という現在の消防制度があった。火消の役割は火の場所を示す纏(まとい)役と延焼を防ぐために家屋を壊す役を担っていた。江戸での大火は49回あったとされ、小さなものを含めると1798回だった。1657年の明暦の大火では江戸の1/3が焼失し、江戸城の天守閣も焼けた(関東大震災や米軍による大空襲被災に相当)。江戸は男性の比率が高かったため、喧嘩っ早い性格が特徴と言われた。そのため「火事と喧嘩は江戸の華」とまで言われた。それは災害を受け入れてそれをも文化としてしまう日本人らしい気質を表していると言えるだろう。また火事が多かったことで、建築業としての大工の仕事が多く、それがまた江戸を活気に満ちた大都市にした理由の1つとなっている。

  筆者はまだ江戸時代というものを十分研究し尽くしたとは思っていない。それは江戸時代の自然環境が衰退していたのではないかという疑念があるからである。だが以上に述べたことから、未来世界のヴィジョンに通じるものがあると高く評価している。それを以下に列挙してみよう。
 1.265年という長期に亘り、安定した庶民文化が栄えた。
 2.高密度の人口密度の都市が、国内物流で自給自足的に支えられた。
 3.江戸の庶民文化と称せられるように、庶民の満足度は非常に高かった。それは多様性に富んでいる。
 4.内戦・戦争はなかったが、厳しい「改易」という藩に対する処分があった。
 5.システム的に物質循環が理想的に行われていた。
 6.化石燃料を使わなかったので、温暖化寄与率は極めて低かった。
 7.鎖国であったにもかかわらず、世界に先駆けて株式制度・先物取引制度などが誕生し、先進的であった。
 8.アニミズムと神道、そして仏教や禅宗による汎神的・神話的宗教である日本教が庶民の道徳を支えた
 9.技術の寡占化や秘匿は無かった(日本人の美徳)。
 10.家内工業に留まっていたので、資本と労働の分離は明確ではなかった。
 
 こうした日本独特の背景が、最高の文明を生み出しことは確かであり、それを未来世界に生かすことは有益である。以下には江戸文明から学んだ未来ヴィジョンを示したい。
 1.絶対権力が安定をもたらし、それは民の信頼を得ていなければならない(連邦制と各国自治・賢人政治)(3.28「世界連邦の可能性 」・5.1「賢人政治は成り立つか? 」参照)
 2.必要最少限の物資の生産と適切な消費。製品の規格統一と工芸品の高価値化と多様化。
 3.化石燃料の不使用(代替燃料開発)で可能な工業の模索。
 4.統一通貨のデジタル化(追跡可能な仮想通貨)。
 5.資源の適性配分と貿易の原則禁止。
 6.屎尿の資源化と石油プラスチックのバイオマスプラスチックへの転換。
 7.物流に対する省エネ・省労働のための地下空気搬送システム導入。
 8.各国の宗教の未来化と道徳化。
 9.各国の軍備・技術開発の禁止。技術開発は連邦主導。 
 10.低開発国への先進国による無償(組織格・国格の上昇)の技術援助と連邦支援による有償の技術供与。
 11.連邦による超長期無利子融資制度の確立(最長500年住宅ローン。ほぼ人格条件だけで住宅所有可)。 
 12.連邦維持費用は全世界民からの供託金(収入により累進課税)により、各国からの強制徴収はない。

  他にもいろいろ関連する未来の提案事項はあるが、以上のように簡潔にまとめておく。特に説明を追加しておくが、上記提案の2.の「必要最小限」の範囲であるが、人間生活に必要な最小限度の物品・用具を指し、人の職業・趣味・嗜好などにより多少の幅は許容される。贅沢や無駄は排除される。製品の規格統一は生産における無駄を省くために必要であるが、それは人間生活の多様性を否定するものではない。5.の資源の適性配分は各国に偏在する資源を連邦の適性配分に委ねることを意味するため、各国は資源を自由に消費することはできない。その管理は連邦支配下にある。貿易の禁止は各国が原則自給自足体制に移行することを強いることになる(物流鎖国)。7.の地下空気搬送システムは莫大なインフラ設備となり、都市の中心部から徐々に広げていくことになる。8.の宗教の未来化は、宗教を固定的に捉えず、現代解釈の下で未来社会に適応させることを意味する(2.2「宗教における時代錯誤な教えと掟」参照)。9.の技術開発の禁止は、地球主義に基づく考えから出てくるもので、技術の持つ負の側面を徹底的に検証するために必要な措置と考える。10.の低開発国への援助・支援のための予算は連邦予算から支出され、その必要に見合った連邦税を世界民に状況に応じて課す。12.の連邦税徴収システムはネット上の個人情報から割り出された税額が収入から天引きされるため、民は税を課されている意識は低くなる。国家は無税のため、その資力を全て国民のために投ずることができる(各国自治)。

  以上で江戸時代から学んだ諸手法を生かした未来システムの在り方についての説明を終了したい。詳細は別項などに考え方や具体的方法を説明してあるので、そちらを参照してもらいたい。またまだ説明不足の事項については、これから設けるテーマの中で説明していきたい。もし読者が疑問や質問がお持ちの場合、それを【読者感想】などでお知らせいただければ、鋭意解答していきたい。


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