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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2022】

競争原理

2022-08-10
  人間界が暴走しているのは、人間が「競争」をしているからである。動物界を見て分かるのは、動物は「弱肉強食」原理・「適者生存」原理に基づいて種の拡大を図っているという事実であり、人間もまた動物のそのような本能に基づいて各国が勢力拡大に動いている。ただ人間と動物が異なるのは、動物の場合は獲物を殺して食するなりして食欲が満足されれば、それ以上の無駄な殺戮はしないということであり、人間の場合は、生存本能が満足されただけでは飽き足らず、無制限な競争によって闘いを継続させていくという点において、明らかに動物とは異なるのである。その競争がどのような側面に表れているのか、そしてまた競争がどのような本能から出てきているのかを考察し、それを原理化してみようと考えた。

  既に「競争」ということについては多くの項で触れてきた(20.9.6「地球における人間の活動と競争」・20.9.7「人間は「競争」、および「競争心」を克服できるか?」・20.9.16「競争はいつ芽生え、何をもたらしたか?」・21.1.31「良い競争と悪い競争」・21.4.3「韓国と北朝鮮の飽くなき兵器開発競争」・1.17「ランキングと競争」・8.7「価値観の転換に必要な、競争意識の排除」)。そのため本項でも同じ主張の繰り返しになる恐れがあるが、本項ではこれらの検証から、人間の競争についてこれを原理としてまとめたいと考えた。

  まず、冒頭に述べたような人間の競争の特徴は、全て人間の生存本能と生殖本能、そして知的本能から出ていると考える。特に人間固有の知的本能は、動物の生存本能と生殖本能だけによる競争よりも過激にさせるという特徴を持つ。これを以下のようにまとめてみる。

 1.生存本能から出る欲望と競争:食欲が最大の生存本能から出る欲望であるが、贅沢志向・競争志向(早食い競争など)は知的本能から出ている。それは名誉獲得競争と関連している。
 2.生殖本能から出る欲望と競争:性欲は突発的に生ずるもので男にそれが顕著である。色欲魔は必要以上の性欲を発揮し、それはやはり自己顕示欲という知的本能と関連している。
 3.知的本能から出る欲望と競争:知的本能は生存本能とも関連しており、名誉欲や達性欲は生存率の向上という生存本能に由来すると考えられる。知的ゲームによる競争も同様であり、単に知的な思考を楽しむよりも、他者との競争による勝敗がもたらす達成感が知的本能を満足させる仕事における努力や達成競争は名誉欲や達性欲を満足させるが、基本的には生存本能に基づく競争の一環と見ることができる。これは人間の社会活動全般に見られるものであり、普遍的原理ともなり得るものであろう。
 4.人間の競争は生存本能+生殖本能+知的本能から生じているため、それを完全に区分することはできない。そのため人間の競争は動物よりもはるかに複雑に多岐化している。

  実例を挙げて考察してみたい。たとえば「親が子を慈しむ」という人間界では普遍的と思われている行動は、動物ではそうではない。動物では子が独立できるように親は仕向ける。そして巣立ちすべき時が到来すると、ほとんどの場合、親は子を突き放す。だが人間は家族が生涯に亘って絆を持つため、親が子離れできない場合も多い。そのような親は子が成年になってもあれこれ世話を焼き、時には子を溺愛でダメにしてしまうこともある。これは人間界の場合、親の生存期間が長いため、老いた時に子の世話になるという事情があるからである。すなわち、子の繁栄は親自身の安泰に繋がるため、親の七光りを利用してでも子を競争に勝たせようとする。こうして人間界では権力の世襲制というものが存在するのであるが、動物界にはそうしたものはない。

  人間が唯一知能を持つために、人間界では知能の優劣が競争の勝敗を決めることが多い。古代においては体力や武闘力が勝敗を決めることがあった。だが人間が組織を作るようになると、それをまとめる知力が最大に評価されるようになり、権力者は必ずしも体力に優れた体躯の強健なものとは限らなくなった(21.10.23「組織的人間と非組織的人間」)田中角栄は身長164cmだったようだが、歴代首相の中では18番目の身長である。小柄と言える方だが恰幅は良く、オーラがあった。その眼光は鋭く、また人を引き込む魔力を持っていた。いわゆるカリスマ性があったことが、彼を貧しい家の生まれから首相にまで出世させたと言える。ウラジミール・プーチンは168cmと推定されている。諸外国の首相と並ぶとその身長の低さが際立っているが、彼は歴史上でも最も恐れられている人物となった。やはり極貧の中で育っている。だが角栄もプーチンも、頭の切れの良さでは随一と言えるであろう。

  知能に基づく競争で最高のものは、ノーベル賞であろう。ノーベル賞には数学が対象になっていないので、フィールズ賞も含めて考えると、これらを獲得した人物は最高の栄誉を得ることになる。本人自身がこれらの賞を獲得することを目指した者は少ないとされる。だが栄誉を拒否した者はごく数人に過ぎない。フィールズ賞の受賞を拒否した唯一の人物としてグリゴリー・ペレルマンが知られており、彼は全く栄誉に関心が無かった。本来人間はそうありたいものである。スポーツでの競争の最高峰はオリンピックである。アスリートならば誰でもこの栄誉に憧れる。こうした名誉に基づく競争はやはり知的本能の典型と言えるだろう。だがノムはこの両者が人間を傲慢にし、科学を間違った方向に向かわせたと考えているため、これらの価値を否定的に考えている未来世界では競争が無くなるため、これらの賞も無くなるだろう(8.7「価値観の転換に必要な、競争意識の排除」)

  人間が競争に走った結果、科学技術の成果もあって人口は増大し、各国は兵器開発にしのぎを削った。ついに人類を滅ぼす可能性のある核兵器を開発し、その増産に邁進した。現代の我々はその脅威に晒されており、間もなくそれは使われることになるだろう(21.5.7「動物と人間の絶滅の危機」・6.30「人類史から観た第三次世界大戦の必然性」)。だが未来世界に生き残った人間は、より知能を発達させてその脅威を取り除くことに全力を傾けるだろう。それは核兵器を廃絶させることではなく、世界を統一して賢人の下で安定した経営を行うことでしか達成できないことに気付くだろう(20.8.8「「核廃絶」という幻想」・21.3.28「世界連邦の可能性」・21.5.1「賢人政治は成り立つか?」)。そうした意味でノムは人類の未来に希望を抱いている。それはノム思想から出てきた結論であるが、科学的に考えて人間が安定して地上に暮らすことのできる唯一の方法なのである。そして未来世界では、人間は上記した3つの本能を制御できるようになっているであろう(20.9.7「人間は「競争」、および「競争心」を克服できるか?」・21.1.7「制御思想」・21.4.8「ホモサピエンスからネオサピエンスへの進化」)


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