本文へ移動
【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2020】

地球における人間の活動と競争

2020-09-06
  今回は地球の限定された空間における人間活動がもたらした環境変動について語ってみたい。言わずもがなであるが地球温暖化問題である。これを科学者は現象的に捉えようとしているが、その原因を根本的に考えている人はほとんどいない。哲学者も皮相的な捉え方しかしておらず、根本的な解決策を示せないまま、「~すべき」という道徳論で済ませている。恐らく哲学者自身が現代の抱える問題の深層(真相)に迫れていないと思われる。それはコロナ禍後の世界を問われた世界中の名だたる哲学者の所論を聞いて感ずる筆者の実感である。この問題は根本的には自然の仕組みと人間の本性に原因をもとめなければならない。そうすれば自ずと結論が導き出せ、対処法も出てくるのである。だが筆者は楽観主義者でも悲観主義者でもないため、冷徹に科学的な思考によってこの問題を解き明かし、処方箋を示したい。
 
  自然にはいくつかの法則がある。地球温暖化という問題を考えた場合、それと直接関連している法則として①環境容量・②競争原理、の2つを取り上げたい。
 
  ①の環境容量については地球という限定された空間における自然の形成と人間界の活動がもたらす破壊を取り上げたい。人間が誕生するまでにおいて、生物が発生して植物に進化し、それによって自然界が激変を受けて酸素が地表に供給され、それによって動物が誕生したという生物史は定説となっている。その間に今は生存していない生物が次々と現れ、いずれも絶滅していったが、その中の多くが進化を遂げて生き残ってきた。だが環境が激変すればまた同じことが起こり、人間にまもなくそのような事態が起こることを覚悟しなければならない。その原因はなんと人間自身が生み出したものであり、主として人間が地球の貯蔵系である化石燃料を多量に短期間に使ったことによる。生物は次に述べる弱肉強食の原理により一時は強いものが制覇するが、食料の減少により衰退して一定のバランスを取る方向に生態系は進化する。つまり環境には制限というものが存在するのである。そのような変化を分かりやすく例えれば、フラスコの中の微生物が無限に増殖することはないということから分かるであろう。環境容量は食料(餌)・廃棄物・ストレスが制限要素となる。バランスが崩れるような方向には進まないのであり、最終的にはバランスがとれて安定する。フラスコの中では廃棄物の処理が不可能なため、微生物は全滅する。幸い地球は廃棄物を吸収・分解・貯蔵する仕組みを持っており、生物の多様性があるため、環境に適応した生物が必ず生き残る。人間は次に述べる競争原理によって生物界の覇者となったが、その横暴によって環境そのものを変化させてしまった。数字的にみればわずかな変化であり、気温を例にとれば昔よりたった1.5℃ほど上がったに過ぎない。だがこれは環境を変化させるには十分な温度上昇であり、それは近年の二酸化炭素の濃度上昇によってもたらされたと言われる。そしてこの変化は大気の流れを変化させ、気象異常をもたらした。さらに深層海流を停止させ、局地的高温・低温をもたらした。その原因は人間が化石燃料を使ったことで地球が処理できないほど大量の二酸化炭素を排出したことによる。一刻も早く化石燃料の使用を止めないと、この惨事から逃れることはできない。
 
  ②の競争原理については自然界にも人間界にも当てはまる原理であり、自然界での生存競争は弱肉強食の原理と生態系形成という原理によって支配されている。単に強いものが生き残るということではなく、生態系というバランスの取れた安定化に進むという原理である。だが人間が誕生したことにより、競争原理は残ったままであるのに生態系形成は崩れてしまった。自然界での生存競争に人間が打ち勝って、横暴な振る舞いをしたことにより、他の生物が大量に絶滅に追い込まれている。それは地球史的視点からみても明らかに生物の大量絶滅に匹敵している。我々の時間感覚からすれば、少しずつ進んでいるように見えるが、地球史での大量絶滅という現象は数百年から数万年に及ぶ長い期間に起きている。人間が滅ぼしてきた生物種の数は産業革命以後だけ見ても相当な数に上り、それは少なくとも数千年続くとしたら大量絶滅のスピードと同じだということになる。その原因は人間の持つ競争にある。生活をよりよくしたいという人間の自然な感情が競争心を生み出した。競争では、①技術力・②軍力・③経済力が大きい方が優位に立つ。これを競争原理と呼んでおこう。より強いものが弱いものを支配した。そして国家間でもその競争が起こり、戦争や侵略によって帝国を築いた。それは文明とも呼ばれた。航海術という技術の優位性を持った国々(ポルトガル・スペイン・オランダ)が世界に進出し(大航海時代)、そして化石燃料を使うようになった産業革命以来、より効率よく、より大量にモノを生産できる技術を持った国が繁栄した(産業革命)。その両方を得て発展したのが大英帝国である。
  
  アメリカはその大英帝国の分身として誕生した新興国である。だがアメリカは広大な先住民の土地に進出し、銃という武器で先住民を制圧した。彼らは無限かと思われた開拓地に進出することでパイオニア精神を培った。それは技術にも応用され、科学力・技術力でも次第に欧州を追い抜くことになる。だが彼らは当初保護主義(モンロー主義)をとって内向きであった。それは戦争を回避することで経済力を向上させることに繋がった。だが日本が仕掛けた太平洋戦争を切っ掛けに第二次世界大戦に参戦したことで、アメリカは一躍世界を制覇することができた。この時アメリカは既に世界でも最強の技術力と経済力を持っていたが、それを原爆開発に振り向けた。つまり軍力でも世界最強となったのである。戦後の世界はアメリカ一強となった。だがそれもたかだか75年程度のことであった。
 
  人間界に競争というものがあり、それによって諸国は盛衰の歴史を作ってきたが、1国の繁栄の期間はおよそ200年平均であると言われる。アメリカが衰退を始めたのは、彼らが労働を嫌って移民や外国に労働を押し付け、自らは技術と資本(経済力)を使って世界を制覇した2000年頃であろう。彼らは軍力を使って他国を支配するということをしなかった。それは建国以来の精神が立派だからである。軍力は見えない力として「世界の警察」としての役割を果たした。だがそれは膨大な損失でもあり、現在のアメリカが他国に応分の負担を求めているのは当然のことである。技術力ではGAFAと呼ばれるIT企業群が世界を制覇している。それはアメリカに膨大な利益をもたらしているが、それを後進の中国が追い上げている。すでにIT分野の一部、とくにAI分野ではアメリカを凌いでいるとも言われ、科学論文数でもアメリカを抜いた。技術力ではもしかしたら抜いたのかもしれない。世界に2つの巨頭がいるということは人間界の安定を損ねる。いつかは必ず衝突し、雌雄を決する時がやってくる。アメリカが1776年の建国以来244年経っていることを認識することは重要である。すなわちアメリカは既に衰退期に入ったと思われる。それに対して1949年建国の中国は今まさに日の出の勢いである。だが筆者の観るところ、中国の繁栄は極めて短く、2014年から既に陰りを見せ始めており、それは2017年頃から始まった米中貿易戦争とコロナ禍で奈落の底に向かっているように見える。
 
  世界は米中対決という構図ではなく、自由主義対独裁主義という形の対決構造に入った。これは歴史的宿命であり、情勢的に見れば新興国の中国に分がある。だが恐らく中国の世界制覇戦略は他国にとって極めて不快なものであるため、中国は大義によって破れるであろう。新興国日本がアメリカに戦いを挑んで負けたのも、その戦争に世界的に見て大義があったわけでは必ずしもなかったことが原因の一つであろう。ただ日本は世界を制覇しようとしてアメリカに挑んだわけではない。最初から負けると分かっていて、日本なりの大義のために戦ったのだという違いがそこにはある。だが中国は、中華主義という思想(「中国の夢」)に陥って傲慢になり、他国を支配しようとしている。それは中国にとってすら大義にもならない。ましてやかつての近代以前の時代ではない現代において、そのような無理筋が通るわけがない。米中の決戦の経過の中で第三次世界大戦、すなわち核戦争は避けられないものとなる。どちらかが大人しく引き下がるということは、人間の本性である競争心からしてあり得ないのである。そのことは重々全ての人は覚悟しなければならない。問題はそのことで人類がどうなるかということにある。
 
  一旦世界の秩序が崩壊したあとは、想像するに世界から主要国の主要都市が消滅しているかもしれないことから、地球環境の激変(「核の冬」の想定)もあって、各地で生存競争が始まるだろう。これは大義など存在しない熾烈で凄惨なものとなることが予想される。各地に自衛団のようなものが形成され、その集団の間で内戦状態が始まると考えられる。これを筆者は戦国時代と呼ぶが、その期間がどの位続くのかは予断を許さない。状況次第であると思われる。数十年なのかもしれない。そして秩序がとりもどされていくにつれ、集団は再び国家レベルにまとまっていくであろう。その後の世界が何も変更を加えなければ、歴史の宿命から同じことが繰り返されることになる。勿論筆者は生きてはいない。だが同じことを繰り返すという愚かさだけは避けたいと真剣に願うものである。人間はそこまで愚かではないと思いたい。歴史を振り返ると、同じ事を繰り返してきたことは明らかである。核兵器もまた製造されて、また同じ核戦争が起こる可能性は極めて高い。だが人間の知能がもし叡智にまで高められていれば、戦国時代を勝ち抜いた国なり民族が世界を統一する際、全く新しい理念の下に、唯一の主権を持つ連邦というものを形成することは不可能ではないだろう。だがそれが形だけのものでは現在の国連と同様失敗する。人間の競争本能を制御できる思想を持たなければならない。それを唱えているのは世界でもノム思想だけであり、ノム思想はそれを科学的論拠から主張している。
 
 
 
 
 
 
TOPへ戻る