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【時事評論2021】

賢人政治は成り立つか?

2021-05-01
  これまで賢人制度について何度も触れてきたが、その詳細について説明してこなかった気がする。そこで賢人制度というものを筆者の独自の発想として披歴したい。またその制度によって形作られる賢人政治というものがどういうものになるかということを説明したい。

  過去に世界の歴史の中で賢人と同じような言われ方をした傑人がいる。ローマの五賢帝と言われている皇帝や江戸幕府によって250年間の平和で繁栄した日本の土台を作った徳川家康もそれに該当すると考えている。これは哲人とも違うし、聖人とは全く異なるものである。賢人とは未来を見据えながらも現実を重視し、民に平和で安定した生活を施す指導者を言う。ある面では冷徹なところもあるし、ある面では人間を深く洞察した政治を行うだろう。必ずしもトップの指導者だけを指すというわけではなく、広く庶民の間にも存在するのであろうが、それを見出すのは難しい。どうしても何か偉業を成し遂げた人が取り上げられるのが常である。

  未来世界では賢人の定義ははっきりしている。すなわち科学的に定義をしようというのである。未来世界では人の価値を人格点という指標で捉えようとする。そこで賢人は人格点がおよそ80点以上、もしくは90点以上の者を指すと考えれば良い。だがこれを絶対値で表すのではなく、人々の中の優れた知性と能力を持つ者を相対的に評価して決める。筆者の想定する賢人は、国民10万人に1人の割合で決められると考える。そもそも人格点をどうやって決めるのかということが最大の課題となるが、これについては既に別項で説明しているのでそちらを参照してもらいたい(20.8.30「未来世界における人格点制度 」参照)

  人格点というものが相対的である限り、時代によってその賢人の資質も異なることになる。それは仕方のないことであり、人格点制度が相対的であるために、どの時代においても賢人の人格点はほぼ正規分布の上位に位置することになる。そして人格点の上位者から10万人に1人の割合で賢人を認定することになる。それはこの制度が、人間界での政治システムとして最良の方法であると考えるからであり、いわゆる哲学的・人間的な意味での賢人の考え方ではない良き意識・良き良心を持つ能力的にも優れた人材を人間界の指導者としてシステム的に抽出しようという試みであると考えれば分かりやすいであろう。

  それは決して理想主義から出た考え方ではない。ノム思想は現実主義に立つため、理想という概念を重要視しない。むしろ現実的にどういう手法が最善であるかを探求する。それはゲーム理論という考え方を採用していることからも分かるであろう(20.9.24「「ゲーム理論」とは何か? 」参照)。ゲームでは目標が1つに決まっており、その目標を達成した者が勝者となる(20.9.7「ノム思想(ノアイズム)とは何か? 」参照)。その目標達成の手法は重要ではないことになる。格言で言えば、「終わり良ければ総て良し」ということである。ノム思想では、人間界から不安や貧困、戦争を追放しようというのが最終目標となる。同時に人間活動が地球の安定を損ねない方法を採らなければならないという条件がつく。これを達成する過程では途中経過がどのような冷酷・悲惨なものであってもやむを得ないと考えるのである。その意味では独裁者の夢想と同じようなものとなってしまうが、ノム思想では途中経過も科学的に裏付けされた手法が取られなければならない。

  そのために賢人を指導者にするのがその目的を達成するのに最善であると考えるのである。賢人は決して聖人のような人間ではない。かといって専制的な独裁者であるはずもない。だが科学的に将来地球が不安定になり、人間界に生存を賭けるような状況を生じることを避けるためには、かなり厳しい方策をとらなければならない事が予想されるため、賢人はそのような厳しい方策を英断によって決断できる人物でなければならない。それは時には独裁者のように見えることがあるかもしれない。賢人が独裁者と異なることは、彼に私欲がないということではっきり見分けることができる。たとえばプーチンは豪華な宮殿を所有していることが分かった時点で、独裁者であることが証明された。二宮尊徳は厳しい報徳仕法を農民に要求したが故に、農民から反発を受けたこともあった。だが彼が居なくなると農村は増々疲弊したため、農民は彼を探して指導してほしいとお願いした。彼はそれを聴いて再び指導を始めたのである。そして600もの案件に携わり、そのために私財を投げ打ったことで、死に際しては何も自分のために残さなかった。そして多くの弟子と「報徳」思想を遺した。これは賢人の中の賢人であることを証明している(20.10.19「二宮尊徳の偉業 」・3.5「二宮尊徳の思想と精神 」参照)

  二宮尊徳の逸話の中に、弟子に「村を救うために金持ちからカネを盗んで来い」と要求した話がある。これは弟子を試した会話の一節であり、決して盗みをしろと要求したわけではない。報徳仕法を説いた彼にそのような考え方は全く無かった。だがこの逸話から、彼が聖人のような考え方をした人間ではない事も分かる。理想主義者でもなかった。それは「道徳を忘れた経済は罪悪である。経済を忘れた道徳は寝言である」と説いたことからもよく分かる。筆者の考え方も二宮尊徳とほとんど同じであり、ただ違うのは未来世界を予想して同じ精神で挑戦しようと考えていることである。

  賢人を指導者とする賢人政治が可能であることは、二宮尊徳や徳川家康の事例があることからも証明済みである。要は現代の理想主義から出てきている「自由主義」・「平等主義」・「平和主義」・「権利主義」・「個人主義」・「民主主義」という西欧由来のイデオロギーから抜け出すことが最大の課題となるだろう。それらが科学的に矛盾を含んだ固定観念だと気付けば、そこに未来世界の賢人政治が見えてくるのである。賢人政治は人間の本能から出てくる欲望を制御することができる(1.7「制御思想」・3.12「人類の挑戦と進化 」参照)。また競争を否定することにより、科学的に安定をもたらすこともできる。人間界の不条理を原理的・科学的に思考することで、ノム思想がその不条理を解決することができるのである。

  具体的に賢人政治の概要を描いてみよう。まず賢人になると思われる心がけの良い、しかも思慮のある子を選抜し、徐々に特別な指導者としてあるべき資質を磨く特別教育を施す。それは試練をも含むもので、屈辱・挫折・悲哀を味合わせることで、人間の弱さを知らしめるものでもある。それに耐えてさらに選抜された青年に、今度は科学・政治・経済を学ばせ、現実主義を叩きこむ。一定の試験などを経て、青年がノム思想と専門知識を十分こなしたと観た場合、その青年に最終試練を与える。1年間、経済的支援を一切与えずに自活させるとか、自然界の中に1ヵ月間生活させるというようなものが良いだろう。それを乗り越えてなおかつ世界に奉仕したいという気概を持つ者には、議員選挙候補になる資格を与える。議員は全て共通した経験を経ており、そこから学んだものは異なるだろうが、ノム思想を堅実に身に付けているだろう。

  議員として民の選挙で選ばれた賢人は、政策立案・政策実行の能力を試される。その中から、人間的にも尊敬に値するような人物が議員の互選によって指導者として選ばれる。仮にこれを総統(全てを統べる者)と呼ぼう。これはヒトラーを想起させるが、李登輝や蔡英文という優れた指導者もいることを思い出してほしい。総統は閣僚を指名し、議会での議論を反映させた政策を立案させる。議会での議論は議員個人によってネット上の議会で行われ、国民からの支持が反映されるが、必ずしもそれが重視されるわけではない。閣僚がこれらの議論を基に政策を決定し、総統の了解を得る。あるいは総統が自ら政策を決めて閣僚に指示することもある。政策は随時国民によって評価され、それはニュースでは取り上げられないが、ネット上でいつでも見ることができる。情報機関が世論を先導しないようにニュースは制限されるが、議会の議論・議員の意見や政策提案はいつでもネットで見ることができる。

  内閣(各閣僚)は国民の支持率という評価を絶えず受けているが、それが内閣の不安定性をもたらすことはない。メディアは世論を誘導するような論評は制限され、メディア自体は問題点の指摘や解決案の提案などを中心として国民に提供する。このような政治では、特定の党による支配というものが無くなり、特定のメディアによる世論誘導というものも無くなる。飽くまでも議員と国民一人一人がどう判断するかが問われることになる。衆愚政治に陥らないように、総統の決定は絶対的なものとなり、それは国民の評価で価値が左右されるが、決定自体が動かされることはない。総統の信認を問う直接投票は5年に1度ほどの間隔で行われるべきであろう。総統に不信任が突きつけられた場合、総統は辞任し、次期総統が議員によって互選される。党派はないため、選挙は静かにネット上で行われ、結果だけが国民に知らされる。それは選挙という祭りの喪失を意味するが、祭りの醸し出す熱狂や偏向という悪しき効果も無くなるだろう。メディアが選挙で果たす役割はない。ネットで全てを知ることができるからである。

  賢人政治は100年先の世界の姿を想定して行われる。現在の状況の改善よりも、大局が重視される。それは自然のサイクルに合わせたものとすべきだからである。人間のサイクルに合わせるべきではない。そのため賢人政治は現況をより悪くする可能性もある。だが人々は議員や内閣、そして総統を信用して疑わないだろう。世界の人々は個人の要求や国家の利益よりも、より世界の安定を考えている指導者らを信用するようになっているであろう。それは人間が欲望から解放され、知的制御が可能になる新人類に進化しているからである。現代人はまだ動物レベルにあるが、未来には人間レベルになっているであろう。そうした条件の下では、賢人政治は最高の政治システムとなるのである。


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