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【時事評論2022】

ランキングと競争

2022-01-17
  人間というものはランキングが大好きである。その最たるものがギネスブックであり、オリンピックである。「世界一」という称号を得るために、人は何でもするし、どんな苦労にも耐える。だがそのランキングが余計な競争を煽っているとは誰も考えようとしない。それは企業活動でも同様であり、世界最大という栄誉を求めて拡大の一途を辿ろうとする。米国のIT企業のGAFA(グーグル・アップル・フェイスブック・アマゾン)は言うに及ばず、それらは世界に販路を求めて世界を経済植民地にした。中国が悪い企みの下にそれらに挑戦しているが、米中どちらも独占を嫌って規制をかけ始めている。本来はこのような競争が経済活動に拍車を掛けて地球規模の温暖化を促進させてきたと考えるべきであり、そうした視点でこそ規制が掛けられるべきなのである。以下ではそうした考え方に基づいて論を展開したい。

  人間がいつから競争を始めたのかについては既に考察した(20.9.16「競争はいつ芽生え、何をもたらしたか? 」)。結論から言えば、人間が社会という集団を作り始めた時から競争が芽生えたと考える。そしてその競争は科学の分野や経済の分野で顕著となり、果ては国家同士の競争から人類を破滅させる兵器である原爆を作り出した(21.7.12「戦争の技術革命・AI兵器の登場 」)。その競争はランキングとは関係が無いように思えるが、米国が最先端兵器開発に執着したのは、結局ドイツやソ連よりも先に開発しなければ、戦争に負けてしまうという焦りがあったのも事実である。つまりランキングという表現は適切ではないが、第一位を維持したいという欲求があったことに違いはない。

  そうしたランキングに対する欲望は昔から社会には存在するものであった。江戸時代には各種の「番付」というものが作られ、藍染めではどこが一番か、とか、相撲では誰が一番強いか、といったことに人々は興味を示し、人気投票も行われた。美人コンテストというものに偏見を想う人もいるかもしれないが、それは人間の本能から生じるものであって、否定のしようがない。だがその本能を制御しなければ、間違った競争・悪としての競争を誰も止めることはできないのである。ここで筆者の考える良い競争・悪い競争・どうでもよい競争を挙げてみよう。
 1.良い競争:人格点向上の競争(お互いに自慢し合わない)・社会貢献の競争(国家へではなく、国民への貢献)・技量の競争(職人技・手芸・芸術・非営利スポーツ等々)などがある。
 2.どうでも良い競争:肉体美の競争(美人コンテスト・ボディービルダーコンテスト)・知的競争(知恵比べコンテスト・知的ゲーム)などがある。
 3.悪い競争:経済力競争(GDPランキング・富者ランキング)・軍事力競争(軍事力ランキング・核兵器保有ランキング・最新兵器保有ランキング)などがある。

  メディアがこれらのランキングを作成し、その情報を売ることでメディアの存在価値が高まることは周知のことであり、メディアは競争を煽ることで生き残りを図ってきた(21.5.18「メディアは利益優先に毒されている 」)。戦時に戦争を煽る役割を果たすのは常にメディアであった。そのメディアからランキングの特権を奪うことは正しいことなのかどうかは大いに議論があるところである。人間の本能的欲求であるランキングを知りたいという知的欲求を、無碍に禁止することには筆者も反対であるが、その表示や表現には抑制が必要だろう。メディアのニュース記事のタイトルに、「〇〇は、〇〇国が第一位!」というような表現をすれば、メディアは価値観を国民に強いていることになり、価値観の洗脳を行っているとも言えるであろう(21.4.11「価値基準と価値評価 」・21.6.19「現代の価値観から古い価値観へ 」・1.5「価値と評価 」)

  ランキングに関しては、全て公的機関が担うという発想もある。筆者は随分前から「世界評価機関」というような構想を抱いてきた。あらゆる事象・事物についての評価を一元的に行う権威ある機関であり、非営利団体が主管するのが適当だと考える。民間人からの寄付で運営され、不足が生じれば国家が補助する仕組みならば安定的に運営できるだろう。そしてここが認定する下部機関が実務的評価とランキングを行い、世界評価機関がそれを認定するという具合である。食品業界に知れているベルギーの「モンドセレクション」とやらは民間企業であり、利益を評価によって得ていることから信用は低い。やはりNPO法人のような形の組織が最も良いのではないかと思われる。赤字になりそうな場合は連邦から支援されるということであれば、不正はかなり防げると思われる。

  未来世界では以上のような中立的な評価機関が絶対に必要であり、それが全ての統計やランキングを発表するというのが最善の方法であろう。それをメディアが利用する場合には、その表現方法によって評価機関がメディアを評価するようにすれば、メディアも煽情的な表現を避けるようになる。もし評価機関からランキングの発表の仕方について低い評価を受ければ、それはメディアの社格に影響することになる。最終的に、そのような客観性を持つ中立的評価機関が設立可能かどうかに懸かってくるであろう。筆者はウイキペディアを支持し、献金も毎月行っているが、それはこのメディアを信頼しているからであり、その存続を願うからである。ウイキペディアからはしばしば寄付を仰ぐメッセージが届くが、それは支援者が少ないからであろう。もし未来世界になれば、こうした良心的組織に寄付をする人には人格点の付与があり、確実に国民支援体制が確立される。その意味でも人格点というものは有用・有効に使うことができるのである。


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