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【時事評論2021】

ホモサピエンスからネオサピエンスへの進化

2021-04-08
  前項で唐突に「ネオサピエンス」のことを取り上げた。これは従前から筆者が主張してきた人類の未来世界における進化をそう呼んだのであるが、学問的に正しい命名ではないので、筆者だけの呼称であるとご承知していただきたい。これについてはとうに書いてあるものとして自然に書いてしまったのだが、調べてみると別項ではこの名称を取り上げていなかった(3.12「人類の挑戦と進化 」参照)。だがどこかのテーマで何度か触れてきているはずである。そこで改めて人類の進化について述べ、ネオサピエンスのことについて説明してみたい。

  哺乳動物の進化は外形的なものであれば、数十年から数万年で進化が可能である。その顕著な例がイヌやネコに見られる。特にイヌはオオカミが人間に飼われるようになって進化したと考えられており、およそ1万年前から飼育されるようになった。イヌの場合、外径だけではなく、ヌードドッグと呼ばれる体毛の無いイヌまで創り出された。それは人間の選別と交配によって創り出された創造物である。昆虫になるともっと進化速度は速く、市街地に適応した昆虫には3ヶ月ほどで進化したものが見られた。これは適応進化の好例であろう。ウイルスという最小の生物ではご存知のように、数ヵ月で変異を繰り返す。だが人間はホモサピエンスに進化してからは、外形や肌の色などに進化はあったが、基本的な機能には余り差がない。つまり人種というものに進化したと考えればその表現も間違いではないであろうが、生物学的には進化していないとされる

 では未来世界に進化すると予想される人類はどの点がどのように変わるのであろうか。たとえばホモ・ハビリス(240万年前~140万年前)から誕生したホモサピエンスになってからアフリカから脱出した一部の人類は、数万年の間に各地で人種を生み出したとされる。各地で同時代に生きたネアンデルタール人とホモサピエンスの遺骨が発見されており、大柄で逞しいネアンデルタール人と華奢なホモサピエンスとでは体格も毛深さもかなり異なっていたらしい。現人類でも人種や個人の体格差や毛深さ、そして肌の色や目の色は異なる。だが脳の違いはそれほどではなく、昔は白人が最も能力が優れているとされていたが、近年になってオバマ大統領がアメリカに登場したように、人種差はほとんどないことが分かっている。

  とすれば、人類の進化は体型や外観の変化よりも、能力の点で明らかな変化が見られた場合に進化したと考えるのが適切ではないかと思われる。脳がどのように進化するかを筆者が予測するとすれば、それはAIの進化にも見られるように、ニューラルネットワークの層の深さに例えれば、現在が10層であったとすれば、その10倍ほどになったときではないかと想像する。そのためには大脳皮質が少なくとも1.5倍ほどに大きくならなければならず、頭でっかちのネオサピエンスを想像することになる。昔流行った1967年作の映画『火星人地球大襲撃』でもそのような頭でっかちの火星人が登場した。だが他の惑星では重力が小さかったのか、やけに身体の手足はか細かった記憶がある。あれでは地球の重力には耐えられなかったであろう。脳が大きくなれば、それを支える特に脚は太くならなければならないはずである。

  そんな未来世界の人類の姿は決して現在の恰好いいスタイルの良い現代人とは似ても似つかないものになるかもしれない。だが脳が肥大することで、より高度な思考が可能になり、そしてそれは原始脳と呼ばれる脳梁・脳幹・小脳などの働きを、より強く制御するものとなるだろう。すなわち思考の源であると言われる大脳皮質、特に前頭前野の働きが大きくなるだろう。生殖に必ずしも重きを置かなくなることも予感させる。たとえば韓国では経済的な事情から若者の約半数は子どもは要らないと考えているそうだが、現代の人口過剰を考えると、未来世界では最低2.1人の子供が生まれれば人口維持は可能なことから、生殖は重要なことではなくなり、性欲も大幅に減ることだろう

  そうなると性的犯罪というものは激減し、男は非常に知性的で優しい存在となるだろう。男と女の役割は子を産めないか産めるかの違いだけになり、自然と男女の労働の差も小さくなるだろう。半世紀以上前にアメリカで女性警察官を見たし、日本でも女性溶接工を見たことがある。知性の傾向差はそれほど現在とは変わらないかもしれないが、大方の男女は中性に近づくだろう。現代人と明らかに違うのは、思考が自分中心ではなくなり、社会全体をまず考えるようになることである。つまりそれは、生存競争が無くなることを意味する。貧富の格差は極小化され、乞食や不労人が居なくなることで、社会が平均化されるとともにピラミッド構造がより強化されて、人は社会の中でどうしたら自分に相応しい位置を見出せるかを意識するようになる。それは自分勝手に行動すれば、社会からはじき出されることを意味するため、自ずと全体との調和が優先されるのである。

  思考がそのようになれば、自ずと全体を理解するために脳の働きも複雑な思考ができるようになるだろう。ある意味では味気ない風情にも思えるかもしれない。だが理性が強くなった人類は、決して争いを好まないようになり、また調和に快感を覚えるようになるだろう。筆者はあいにく現代人であるので、まだ闘争本能のかけら位は持っているが、既に闘争というものを嫌う性向を身につけている。だが残念ながらキックボクシングは大好きであったし、ジェットコースターのスリルも大好きである。未来のネオサピエンスはこれらをさえ嫌うようになるかもしれない。脳がそうした刺激を受け入れなくなるかもしれないからである。未来人間にとっては平和を維持することは非常に容易なことになるであろう。

  最近の経験だが、仕事量が減ったので自分から給料を下げてくれと申し出た。さらに経営が厳しいと知ったことで、時給を下げてくれと申し出た。筆者にはそれが当然だと思えるし、それで自分が苦労することがあっても、矜持としてそう言うであろう。だがそれは現代においては普通ではないと思われる。読者の中に自分から給料を下げてくれと言った人がいるとすれば、その人は私の仲間であり親友となれる人であろう。現代でもそのような配慮ができる人は未来世界の人間に近いと言えるだろう。だが未来世界ではそれが当たり前の思考になるのである。それは人間が明らかに進化したと言えることであろう。外形や容貌がどう変わるかは大した問題ではない人間が精神的・理性的に大きな飛躍を遂げ、現代の利己主義・自己中心主義を乗り越えて、利他主義・協調主義に転じることができれば、それは明瞭な進化と筆者は考えるのである。


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