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【時事評論2022】

価値観の転換に必要な、競争意識の排除(8.8追記)

2022-08-07
  地球温暖化を防ぐには、人間が価値観の転換を図り、競争から脱却しなければならない。それが人間活動を抑制・制御する唯一の手段だからである。現代の資本主義・自由主義・専制主義はいずれをとっても自国内と他国間で競争を繰り広げており、それが軍拡にも繋がっている競争が問題なのは、それが人間活動を拡大化し、地球温暖化を加速していることにある(20.9.16「競争はいつ芽生え、何をもたらしたか?」)。もし人間が自己制御と社会制御の両面で、競争ということを制御できたならば、人間活動は劇的に減らすことができるだろう(21.1.7「制御思想」・3.29「自己制御」)。ただそのためには、世界が統一されていることが前提であり、現在のような各国が主権を持つ状態では、それは不可能である。本項では、未来世界を前提にして、人間が価値観を転換して競争意識を排除できるかどうかを考察してみたい(20.9.7「人間は「競争」、および「競争心」を克服できるか?」)

  価値観の転換とは、①発明・発見の価値の転換・②立身出世に対する価値観の転換・③カネや地位に対する価値の転換・④競争におけるランキングの価値の転換・⑤持てるもの(資産・土地・領土・人口規模)に対する価値観の転換、等の他、多数ある。

  まず最初に①発明・発見の価値の転換について考察したい。通常、研究や冒険・発見というものに対して、人間は異常なほどの価値を置く。動物では生きることに精一杯であるため、サルが石で固い実を割ることを発見したとして、それを受け入れるのにも時間が掛かるほどであり、動物には基本的に好奇心はあるにしても、発見や発明にそれほど興味を示さない。だが人間は発明発見に異常に高い価値を与えている。飢えている人もいる世界でありながら、莫大な費用を掛けて宇宙開発に勤しんでいる。その理由はまず第一に、人間が知的本能を持ち、その本能が発明・発見に異常な興奮を呼び起こさせるからである。第二に、競争原理からして、発明・発見が当事者だけでなく、国家に莫大な利益をもたらすため、各国が競争に走っているからである。研究には莫大な予算が投じられており、特に軍事的研究の規模は伏されることもあり、研究者の育成を含めれば国家予算の10%以上に相当するであろう(20.8.18「米中に見る科学技術開発予算と軍事費の推移」)。ちなみに2019年の政府支出総額に占める軍事予算の割合では日本が最も低く、2.5%だそうだ。割合の高い順でみると、1位:サウジアラビア20.3%・2位:韓国12.1%・3位:ロシア11.4%・4位:米国9.4%・5位:インド8.8%・6位:中国5.4%(この数字は過小となっている)・7位:イギリス4.5%・8位:フランス3.3%・9位:ドイツ2.8%・10位:日本2.5%、となっている。未来世界では軍備というものが無くなるので、これらの予算はもっと国民に直接還元されるものに回せることになる。未来世界では発明発見競争を悪と見做すため、ノーベル賞などは廃止されることになるだろう。研究業績に対するあらゆる表彰も無くなるだろう。科学者は純粋に学問における真理追及にのみ専心すべきであり、その成果を誇ってはならない。また過大な費用が掛かる研究は無くなるであろう。真理を知ることよりも、地球が安定することの方が、人類にとっては有難いことであるからである。

  ②の立身出世に対する人の欲望は計ることができないが、潜在的にかなり強いものであると思われる。あいにくノムには若い頃からこれがほとんど無かったことから、自己制御、もしくは社会制御が可能だと思われる。未来世界では出世祝いは家族であっても良くないこととされるだろう。ましてや組織が祝宴を設けたり、祝儀を渡したりしたら犯罪とされる。これを断ったことを公表すれば本人の人格点が上がるが、組織側の組織格は下がる。特に祝儀は賄賂と見做される。これはスポーツにおけるオリンピック志向とも関連しており、現代でもメディアはたき付け役を演じている。スポーツにおいて祝勝会というものが催されてはならず、慰労会とすべきである。愛国教育における戦勝を誇るような教育は最大の有害性を持つため、禁止しなければならない。歴史的結果だけを淡々と説明する教育内容に改めるべきである。その原因・経緯の説明においても同様であり、自国の行動に対する反省が含まれなければならない。

  ③のカネや地位に対する欲望は②とも関連する。カネに対する執着は必然的に競争を生み、収賄など不正の原因ともなり得る。たとえ正当なカネ儲けであっても、それが社会から高く評価されれば、誰もが真似しようとするだろう。これは生存本能から出てきているものでもあるため、制御は極めて難しいだろうと思われるが、日本の修身教育などではこの制御に成功している。恐らく教育によって制御は可能であろうと思われる。大切なのは、メディアなどが成功談や出世物語などを過大に評価しないことである。

  ④のランキングに対する過大評価の悪影響は極めて大きい。世の中すべてがランキングを重要視しており、領土・人口から始まって、GDP・所得・資産のランキングは人の好奇心をくすぐる。スポーツでは優勝回数、囲碁などの知的ゲームでは勝率などが対象となる。一方、人の善行をランキングした例は見当たらない。未来世界ではむしろこうした善なる行為を対象としたランキングを増やすべきだろう。
 
  ⑤は➃とほぼ同じことなので省く。

  人間社会はピラミッド構造をなしているため、どうしても地位のランキングを避けることはできない。地位を序列順に並べることをランキングと称することはないにしても、それを表示することは避けられない。だが節度は必要であり、地位が高いから偉いという考え方は捨てるべきだろう。その代わりになるのが、人格点である(20.8.30「未来世界における人格点制度」)。人格点をメディアが付記するのは重要なこととなるだろう。その際には人格点(Personal Point)を[PP]と表示したら良いだろう。基本的に人格点は公にされるものではなく、また比較対象にされてはならないものであるが、公的人物や地位の高い人物の場合には、むしろ積極的に開示されてその価値を社会が認知する必要がある。たとえば議員について紹介するという事例を考えてみると、学歴・業績・当選回数よりも人格点を優先して紹介すべきだろう。議員は全て賢人レベル(10万人に1人)でなければならないことから、いずれもかなり高い人格点を持っているはずであり、それを公表されることでなおのこと人格を高めることに価値を見出すようになる。もし議員が自ら人格点を自慢するようなことがあれば、それが公に知られたらたちまち人格点が減点されることになる。その意味で人格点は公表されることはあっても、当事者が話題にすることは決して無いだろう。すなわち人格点競争というものはあり得ないし、あってはならないものである。

  競争意識を排除するためには、行動目標を別のもっと崇高な価値あるものに置き換える必要がある。未来世界では「人類の安定的存続」がその崇高な価値ある目標となるだろう(2.27「日本の江戸時代の統治と安定」)。それが最大の大義となり、人はその大義のために貢献することが求められ、その貢献にあやかった人物が高く評価されることになる(21.8.21「「大義」論」)。人類の安定的存続は人類の繁栄を意味しない。逆に人類の活動を制限することが安定的存続に寄与することになるため、会社を大きくすることは誇りにならないばかりか、社会から不正などを疑われることにも繋がるだろう。もはや未来社会では、「より小さく・より遅く・より低く」が善となり、謙遜・謙譲が美徳となるだろう(1.8「倫理と道徳」)。こうした価値観の転換をどう考えたら良いのかは分かりにくい点もあるだろうが、ノムは簡単に以下のように表現したい。

 1.人間の行為で最大の価値あることは、地球の安定のために寄与することである。たとえば植林・生態系保護と豊穣化・海水浄化・自家菜園の充実、などがある。
 2.次に価値あることは、他者のために貢献することである。互助組織の立上げ・社会福祉の増進・ボランティア活動、などが該当する。
 3.組織(連邦・国家・所属組織)に対する貢献は、報酬を伴わない行為である場合にのみ評価される。報酬を得ての貢献は高くは評価されない。
 4.未来世界では地位・資産・発明と発見、などは高く評価されない。人格点だけが人の価値判断の基準となる。

  以上の判断基準が未来社会で実現されれば、自ずとその社会は価値観が転換していることが証明されたということになる。またその時には、悪い競争意識というものも排除されているだろう(21.1.31「良い競争と悪い競争」)


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