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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2023】

正義感

2023-12-30
  人間はどうも生来的に正義感を持っているようだ。それは幼児の心理学実験で分かったことである。生後3ヵ月の幼児に縫いぐるみによる人形劇を見せ、いじめ役といじめられ役のどちらが好きか選ばせると、ほとんど全員が男女を問わずいじめられ役の縫いぐるみを選んだというのである。つまり、人間は生来的に正義感を持っているようだ。少年期になると、同じ実験をしたと仮定したら、結果は必ずしもそうはならないと思われる。強者と弱者の概念が少年の心に生まれ、強者を選択する少年も出てくるからである。愛国精神や愛国教育の洗脳効果も顕著に出てくる。そして、人間は大人になると、経験から強者を選択する志向性を持つようになる。「寄らば大樹の陰」・「流れに棹差すな」という格言が納得されるようになる。

  ノムはどうしてか分からないが、幼少の頃から正義感が極めて強かった。記憶にある場面では、小学校低学年の頃だったと思うが、クラス仲間が昆虫をいじめていたのを見かねて何かしら抗議の意思を示した記憶がある。また父親が、クラス担任に贈答しようとしていたことに腹を立てたことがあった。爾来、正義を貫こうとしてきた気がする。だが一方、現実的なところもあって、状況から敢えて不正を見て見ぬ振りをすることもあった。だが自分が関わることは極力避けてきたと思う。そうした事から、出世を諦めたと云うか放棄したと云うか、人の上に立つことを嫌うようになった。人の上に立てば、自分の意に反したこともしなければならない現実を見てきたからである。

  時には指導者に異を唱えたこともあり、そのようなときは必ず嫌われて追い出された。そうした経験を振り返ると、かなり幼少時の正義感を持ったまま大人になってしまったような気がする。だが正義観は人さまざまであり、定義できるものではない。自分の正義は他者にとって不正義である場合もある。たとえば、前項でも述べた権力者は、自分の行っていることは正義であり、自分が決定した政策も正義であると考えていると思われる。「正義」というものが相対的なものである限り、誰が正義する正義も、それをまともに信じる第三者はいないだろう。

  ガザ戦争は、過激派テロ組織ハマスが仕掛けた非道な攻撃から始まった。彼らはパレスチナの大義を主張して、攻撃を正当化した。だがその攻撃があまりにも残忍なものであったことから、大義も正義も否定されてしまった。当初は世界もハマスの非道さを非難するものだったが、イスラエルが有無を言わさない迅速な反撃に及んだことで、徐々に世論の風潮は変わっていった。特に病院を標的にしたことが、世界を敵にしてしまった。ノムの視点からすれば、ハマスがわざと人を盾にするために、病院の地下に拠点を築いていたことから、病院を標的にすることには道理があると考えていたが、世界の反イスラエル感情もあって、人道に反する攻撃だという非難が世界中から起こった。

  近代になって航空機の発明が戦闘機開発に移ると、空爆という戦法が新たに加わった。最初は手で爆弾を落としていたが、やがて戦闘機が爆弾を搭載するようになり、さらに戦略爆撃機は大量の爆弾を雨あられの如く落とせるようになった。日本軍は南京で市街地を爆撃したし、米軍は敢えて民間住宅地を焼夷弾で焼き尽くした。その被害の規模は年代と共に増大し、最大の爆撃と言われる1944年3月10日の東京大空襲では1晩に10万人が死亡し、310万人が罹災した。それに比べれば、ガザでのイスラエル空軍の爆撃はまだ小規模に見える。だが世界は今や、イスラエルの反撃を過剰反応とし、「ジェノサイド(大量殺戮)」と呼称する者も出てきた。

  何が正義で何が悪なのか、その基準が無いために、世界はある意味で困惑しているものと思われる。何が「人道的」なのか、何が「道理」なのか、人々はもはや理性的に判断することができなくなっている。それは人間が持つ、生来の正義感が、いじめ役を嫌い、いじめられ役を応援するという本能に基づくからかもしれない。あるいは、人間生命尊重主義が変じて、極端な生命尊重主義に偏ったからかもしれない(22.3.19「日本精神を壊す疑似生命尊重主義」・6.24「人間生命尊重主義の蹉跌」・11.7「イタリアが間違った生命尊重主義を政治に持ち込む」)。いずれにしてもウクライナでは、被害者であるウクライナに同情が集まり、パレスチナではガザ市民に同情が集まっていることは確かである。

  正義とは意味が異なる「大義という視点」で考えると、これは人間の本能とは関係が無くなる。ノムの考え方では、より大きな視野やより長期の視点に立つ論を大義と考えるため、ハマスの正義・パレスチナ人の正義よりも、イスラエルの正義の方が際立って大きく見えるのである。だがどちらも自己中心的なモノの考え方に立っているため、大義はどちらにも無いと言うこともできる(21.8.21「大義」)。観方によっては、パレスチナに紛争の種を蒔いたイギリスなどの西欧諸国やイスラエルを建国したイスラエル自身の方に第一原因を求めた場合、正義という狭い意味で考えれば、ハマスの方に正義を認める人もいるであろう。逆にハマスが第一原因を作ったと観る人は、イスラエルに正義があると考える人もいるだろう。(10.14「イスラエルとハマスのどちらに大義があるか?」・12.9「第一原因者はハマス」)

  どの戦争を見ても、双方に正義があり、大義を主張していることから、第三者的な評価は極めて難しくなっている。ノムは日本人であるため、ガザ紛争に関しては第三者的視点にかなり近い観方をしていると思うが、多くの日本人とはノム思想によってかなり異なる考え方をしている。双方に道理を求めることは不可能であると考えることから、現実的に成り行きを見守るしかないと思われる。心情的には、非道な攻撃をしたハマスを許すことは悪を認めるのと同様だと考えるため、冷静かつ徹底したハマス壊滅を追及しているイスラエルに同感しているが、どうもそこが世間とはかけ離れているのかもしれない。

  正義にしても大義にしても、それぞれの主張に道理があるかどうかを、真の意味で第三者と成れるAIに判断をさせるのが一番適切であろうと思われる。だが現在のAIはまだそれを判断できるだけの情報収集と解析を行ってはいない。ノムはチャットGPTに質問してみたが、無難な答しか返ってこず、役に立たないと感じた(12.8「イスラエルとパレスチナの和解についてチャットGPTに聞く」)

  未来世界では、人の持つ正義感というものを評価することはないだろう。それよりも、その人の考え方や行動を評価することの方が遥かに重要である。同様に国家の正義というものを評価することもないだろう。国家についても、国家の持つ理念と行動を評価することが重要となる。国家の主張する大義については評価は可能である。それがより広い視点と普遍性に立つものかどうかを判断できるからである。そしてこれらの判断は、未来のノムAIによって為されることになるだろう(21.4.6「ノムAIの提言」)人間や人間組織は立場を持っているため、客観的かつ普遍的な判断は不可能であると考えるからである。そのため、ノムは現代の国連や未来の連邦を信じてはいないが、最終的にはAIの判断を参考に、最高権力者である連邦が判断することが最良であると考える(21.3.28「世界連邦の可能性」・21.6.2「現実主義」・12.28「権力者の立場」)

(4.27起案・4.28起筆・12.30終筆・掲載)


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