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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2023】

人間生命尊重主義の蹉跌(6.26追記)

2023-06-24
  生命尊重主義の愚かさについては既に書いている(22.3.19「日本精神を壊す疑似生命尊重主義」)。だが言及した範囲が日本に限ったようになっており、改めて人類全体がこの愚かなイデオロギーに冒されている過ちについて述べたい(22.11.10「科学的議論を阻害している現代イデオロギー」)。このテーマを思いついたのは、23日まで続いた観光潜水艇タイタン騒動が世界を巻き込んだことについて考えさせられたからである。まずその報道についてあらましを述べ、その後にノムの感じたこと、考えたことについて述べたい。

  23日の【時事通信】国際ニュースにも載せたように、米国人実業家が沈没した英豪華客船タイタニック号の残骸を見る観光ツアーを企画し、潜水艇「タイタン」を開発した。だが利益優先の安全無視の設計であり、5年前の開発過程でも海洋学者ら30人超が安全性の懸念を警告していたという。水深1300mまでの耐圧窓であったのに、タイタニック号が沈んでいる3800mまで潜ったらしい。当然のこととして窓にはストレスが掛かり、わずかな傷が致命的事故を起こす可能性があった。窓の傷の有無の点検は必須であったのに、それすらもしていなかったらしい。報道によれば、潜水艇を開発したオーシャンゲート社のストックトン・ラッシュ(CEO)はタイタニックで亡くなった夫婦の子孫に当たる妻と結婚している。妻から聞いた話がビジネスを立ち上げる動機になっていたのかもしれない。素人が科学の世界に飛び込むとき、それはスペースXを立ち上げたイーロン・マスクのように大きな飛躍をもたらすこともあるが、先導が素人的であると大きな事故を引き起こす。ラッシュはどういう訳か、自らタイタンを操縦していた。経費を浮かすためであった可能性もある。この5年間ほどで何回潜航を繰り返したかという基本的なことすら、メディアは記事にしておらず、1人の参加費用が3500万円であることが強調されていた。

  5人が乗船する潜水艇は米時間18日朝に潜水し、その時点で窓が破壊されてバラバラになったと想像される(これは23日の報道でほぼ確定された)。だが世界のメディアはこの6日間、このタイタン行方不明騒ぎでハチの巣を突いたように大騒ぎした。酸素は米時間22日朝(日本時間22日夕)ごろ切れることになると予想されており、生存を前提に世界をやきもきさせることになった(実際には18日時点で爆発していた)。さらに船内からの助けを求める打撃音らしい音が聞こえたというまことしやかな報道もあった。それによって世界が一縷の望みを掛けた行き詰るような雰囲気が醸し出された。その間、「自ら災難に陥った5人の富豪らの事故ではないか」と冷静に事態を見つめた人がどのくらい居るのか、ノムには分からない。世界には飢餓で苦しむ多くの人がいるのに、冒険と名声のために3500万円も掛ける人がいる、ということを冷静に考える人も居たに違いないが、そうしたことはメディアは報じなかった。23日のロイターの報道では、タイタニック号付近で潜水艇の残骸(部品)が発見され、乗員の生存は絶望的となった。この時点でバカ騒ぎから目が覚めた人もいることだろう。26日のニュースでは、犠牲になった富豪父子の19歳の息子の方は、ルービックキューブを持参し、ギネスブックに載る(最深海)ことを期待して乗船したそうである。人間の愚かな名誉心故の自業自得であった。

  米国海軍が18日の時点で潜水艇残骸が発見された地点での爆発音を確認していたにも拘らず、23日までその事実を発表しなかったのは、世界を欺いた行為であるとしか言えない。そして船内から助けを求めるかのような打撃音が観測されたことだけを発表していたが、そのことについてはほっかむりするかのように、「別の音源だったようだ」と誤魔化した。米軍がなぜ爆発音を発表しなかったのか、そしてなぜ残骸が発見された時点で発表したのかについては謎である。恐らくノムが推測するに、爆発音を発表したら救助活動が鈍ってしまい、世界からの同情が減ってしまうことで、米国の信用が失墜することを恐れたからだと考える。何しろこの観光業は米国の民間の素人が発案した危険極まりないものであり、その事に対する世界の批判を躱(かわ)して、逆に同情を引こうとしたのではないかと思われる。

  冒険に命を賭けるというストーリーを人間は好きだ。そしてそのことに成功した人は英雄となる。それも人類の中の英雄であり、国家は問われない。その多くが白人であったのであり、エベレスト登頂に貢献した現地のシェルパのことは話題にもならない。今や世界は絶望の中に希望を見出そうと、深海だけでなく宇宙に未開地を求め、盛んに宇宙開発競争を話題にしている。火星への人類移住の夢はまさに人類の希望として描かれている。しかもそのメディア報道では、一部のエリートが英雄視され、背後で犠牲となっている多くの苦難民がいることなど無視されている。莫大な宇宙開発資金が地上に住む人間に対して、近い将来来たりくる地球規模の災害に対して備えるための地下シェルター建設費に充てられていれば、それが本当の意味での希望に繋がるはずだが、人間界では弱肉強食(強い者・裕福な者が弱い不幸な者を食いものにしている)がまさに起こっているかのように、一部のエリートのための救済策(今回の事故では救難活動)が優先されようとしている。

  ニュースの価値というものが「珍しさにある」ことはノムも重々承知している。犬が人を噛んでもニュースにならないが、人がイヌを噛めばニュースになるとよく言われる。今回の場合、タイタニック号のストーリーが絡み、大富豪が乗船したということが話題となった。さらに3800mもの深海に、こうした極めて科学的にも困難な潜水艇が観光目的に使われているということに、一般読者は驚いた。スペースXのロケットで宇宙旅行するビジネスが成功したことも、こうした科学ビジネスに拍車を掛けている。それも科学的専門組織が設計したものではなく、ビジネスマンが専門家に設計させたものであった。こうして話題のタネには尽きることがなく、一種の冒険物語として世界に伝えられた。それは当然のことであり、ノムもそのニュース性に疑問を持つわけではない。

  だが6日間の大袈裟で的の外れたメディアの乱痴気騒ぎには疑問があった。実のところ、ノムは冷静に事態を観察し、今回の事故に関心を持たなかった。言ってみれば「一部の金持ちの名誉心のための冒険であり、自業自得だ」と考えていたからである。それよりも、もっと多くの世界の問題に目を向けたかった。だがNHKを筆頭とするメディアは連日のようにこれをニュースに取り上げ、しかも乗員の生命の安否を強調していた。産経新聞は抑え気味であったが、23日にはトップ記事で「96時間経過・迫る酸素切れ」と題する報道をした。その中で米沿岸警備隊幹部が「希望を持たなければならない」と述べたことを報じている。一体何の希望なのだろう? 誰にとっての希望なのだろう? そうした疑念がノムには付きまとった。

  結局、こうした報道合戦はメディアの利益のためであり、一部のエリートの可能性のためであることだと理解した。人間が科学の力を得てから自然界を制覇し、生物界の頂点に立ったときから傲慢さを持つようになり、生命への本当の意味での畏敬や尊厳の気持ちを忘れてしまった。現代では技術利得主義から、人間以外の生命を踏みにじる行為に出ている(6.16「技術利得主義」)。それはウイルス感染症に冒された人を最大限救おうとしている反面、豚や鶏の大量殺戮という形で行われている。「人間だけが生き残ればそれで良しとする風潮」が蔓延している。また英雄だけの生死が過大に報道されるという矛盾にも表れている(有名人の訃報)。未来世界ではこうした些末な事柄はごく小さな記事になるだろう。たとえば今回の事故については「6月18日に馬鹿げた深海観光ツアーが行われ、通信が途絶えた。5人が乗っているが、富裕層の自業自得であり、経費と救助の危険の観点から救助はされない」と報じられるだけであろう。写真や図解もなく、そうしたものが読者に有害な刺激(自分も挑戦してみたいという意欲)を与えると科学的に分かっていることから、余計なことは一切書かれないことになるだろう。薮蛇であるが、我が家の5歳になろうとしている孫ですら「宇宙に行ってみたいなぁ!」という時代になっていることを、真面目に考えなければならない。それがどんなに危険なことなのかを教えるようにしなければならない。

  人間が自分の足元が危うくなっていることに目を向けず、はるか手の及ばない宇宙空間に目を注いでいるというのは、高度な文明を持つ宇宙人がいたとすれば、「滑稽なこと」だと思うだろう。しかも自然の摂理を無視して、人間の命だけを救おうとしていることに対しても愚かさを感じることだろう(21.5.3「自然の摂理」)。ノムの考える未来世界では、人口は20億人程度に抑えられるだろう(22.7.12「世界は人口爆発を脅威と捉えていない」)生命は限りがあるものだという認識、あるいは限りがなければならない、という認識が常識となり、自分で予定する安楽死が推奨されるだろう(20.11.9「安楽死をどう考えるか」)。すなわち地球上の生命は人間を含めてバランスを保たなければならず、地球外から一切の生命を持ち込んではならないのである。それは予想外のバランス崩壊をもたらすだろう。だが科学者の好奇心は地球外に生命の痕跡を探そうとし、あわよくばそれを持ち帰ることで地球上で復活させようとしている。それは自然界の摂理から、新たな人間への脅威となるだろう。これは生命に対する異常な執着がもたらす好奇心が、人間を滅ぼす可能性があることを示唆している。人間の生命を大切に思うのであれば、余計なことを一切せず、成長を望まず、未知の世界に無理やり足を踏み込まないことが肝要である(22.1.3「成長と繁栄の否定」・22.7.16「人間の飽くなき欲望」・6.12「ヒューマンエイジ(人間の制限のない欲望)」)。  

(6.22起案・6.23起筆・終筆・6.24掲載・追記)


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