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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2023】

【時事短評】第一原因者はハマス

2023-12-09
  前項で約束したパレスチナ問題の解決策についてのノムの考え方を述べる前に、物事の第一原因を作った人の責任について述べたい。これは個人に限らず、国家にも当てはまる。ニュースを見ていて、事件の第一原因者について考えさせられることが多い。「○○がそんなことしなければ、事件は起こらなかっただろう」と思わせられることが多いのである。事象というものが状況で決まるという状況論をノム思想の中で強調しているが、事の発端が人や国家が原因で起こった場合には、それを「第一原因者」と考えるようになった(20.9.7「ノム思想とは?」・20.9.15「民族問題へのノム思想の考え方」・21.1.18「状況理論」)。そうした観方で事象を追跡していくと、第一原因者の責任が非常に重いことが分かるのである。勿論事象全体で云えば、そうしたことは誰の責任とかは言えないのであり、状況の必然性から起きているのであるが、やはり第一原因者の責任は大きいと考えなければならないだろう。

  たとえば事件が連鎖しているような場合、それは社会状況から出ていると考えるべきであるが、最初の事件を起こした犯人の責任を最も大きく考えなければならない、とするのと同じである。このところ闇バイトと称する悪事の勧誘が盛んであるが、こうした新手の犯罪も、その最初があるはずであり、それについては詳しくは知らないが、そうした新手の手口を最初に行った犯人は、重罪に問われるべきであると考える。少なくとも未来世界ではそうした第一原因者を重罪にする刑法が出来上がっていることだろう

  そうした観点からハマスのイスラエル侵攻を考えてみると、ハマス戦闘員の犯した破廉恥な犯罪の数々だけに焦点を当てるのは見当違いだと思われる。むしろその作戦が、外国人を含めた人質を取ることにあったのだとすれば、それは歴史上初めてのことであったかもしれない。外国人が沢山参加するイベントを狙って、周到に準備したハマスはイスラエルに侵攻した。侵攻はイスラエルとの境界壁を破る形で7ヵ所から行われ、深いところでは数十キロまで侵入した。このことは、ハマスの狙いが人質確保だけにあったのではないことを表している。だがその真の狙いが何であったのかは、今もって分かっていない。イスラエルの軍事力に対抗できる兵員と兵器を準備していたわけではない。ハマス側の情報では5000発、イスラエル側の情報では2200発とされるミサイルは準備していたが、それを一斉に発射した後は、兵器を使い果たしたといった感が否めない。つまり自暴自棄になって、世界に衝撃を与える事件を起こしたと観るのが最も納得できる説明であろう。

  背景には以下のようなものがある。

1.20世紀末のオスマントルコ弱体化とアラブ民族主義の芽生え
2.1916年5月16日:イギリス、フランス、ロシア帝国の間で結ばれたオスマン帝国領の分割を約した
  秘密協定(サイクス・ピコ協定)/英国の三枚舌外交
3・1916年6月ー10月:フサイン蜂起とアラブの反乱
4.1916年10月:英国諜報員ロレンスの暗躍

5.1947年11月29日:国連によるパレスチナ分割決議
6.1948年5月14日:ベングリオンがイスラエル建国を宣言・アラブ5ヵ国がイスラエルに宣戦布告
  /第一次中東戦争
7.1956年10月ー同年11月6日:第二次中東戦争。エジプトが活躍
8.1967年6月5日ー 6月10日:第三次中東戦争。ファタハのアラファトがサム事件を起こす。エジプトが
  シナイ半島に進出。 イスラエルがたった1日でシナイ半島・ガザ地区・ヨルダン川西岸・ゴラン高原を
  占領。パレスチナ難民急増
9.1967年8月:アラブ首脳会議が3つの「ノー」を決議(交渉せず・講和せず・イスラエルを承認せず)
10.1973年10月6日:第四次中東戦争。イスラエルが初戦で敗退。米国支援で最終的に勝利。影響で第一次
  オイル・ショック。
11.1982年:シナイ半島のエジプト返還・ゴラン高原をイスラエルが併合。
12.1993年:オスロ合意でイスラエルが占領地から撤収し、ガザからも撤収
13.2007年:ハマスのガザ統治開始
14.2017年:ハマスがガザ行政委員会解体
15.2023年1月15日:パレスチナ自治政府選挙でハマスが過半数の議席を確保
16.2023年10月7日:ガザを支配するハマスがイスラエル領に侵攻。人質を多数拉致

  以上の経緯を基に、ハマスが軍事行動に至った理由を推測してみたい。イスラエルのガザ地区への攻撃を切っ掛けに、2007年にハマスは民生組織(福祉部門)から軍事組織に転換した(10.24「ハマスの正体とその変貌」)。ハマスは当初パレスチナ住民の支持を得ていたが、軍事化してからは税を軍事費に重点的に使うようになり、住民の支持を徐々に失っていった。ガザ地区がイスラエルによって壁で封鎖されたことで、住民の生活は逼迫していった。「天井なき監獄」と呼ばれる所以である。住民は生きるためにイスラエルやエジプトとの国境(?)に多数のトンネルを掘り、物資を密輸した。だがそれでも経済は成り立たず、ハマスは資金的に窮していった。そしてついに世界の目をパレスチナに引き付け、パレスチナ住民の支持を得るために、大攻勢を掛ける戦略をとるしかないという結論に至ったようである。国境付近で行われたイスラエルのイベントが、ハマスが企画したものかどうかという情報は明らかではないが、ハマスはこのイベントを「団結と愛の旅」と名付けていたそうで、若者を殺害する罠だったと考えられているようだ。ノムも、イベントが障壁近くの砂漠で行われたこと、参加者は車で参加していたこと、逃げる場所が無かったこと、などから、ハマスが仕組んだものだと考える。そして殺害よりも、人質とすることを優先したのではないだろうか。数千人の参加者のうち220人ほどが人質として拉致された。死者は1200人ほどであるとされる。その中には外国人も多く、全世界から人質を取ったという形になった。

  中東の問題はアラブ諸国に西欧諸国が複雑に絡んでおり、特に国連としてパレスチナ分割を決議してイスラエルが正式に建国した歴史もあって、どの国にも大義はない。すべての原因がイスラエルによるパレスチナでの建国にあることは間違いない事実であるが、それを非難しても埒が明かない。過去を振り返るのはこの場合無意味であると考えるべきであるが、パレスチナ国家というものを建国することが優先されるだろう。ただ、それをハマスのような過激化した集団に委ねることは間違いであり、せめて国連暫定統治という形で国家建国を図り、その後100年掛けてパレスチナ化を図るというのが最も安全で確実な方法だと考える。

  今回のハマス侵攻だけに限って言えば、50年間、相対的に安定であったガザを戦争状態にしたのはハマスの暴挙によるものであり、ハマスが第一原因者である。ハマスの凶暴性を考えると、ハマスを殲滅しなければならないことは明瞭である。そうしないと、たとえパレスチナ国家が成立したとしても、ハマスやその分派がまた同じように、今度は国家としてイスラエルに対抗し、再び激しい戦争が起こることになる。ハマスを支持したパレスチナの人々にも責任があり、パレスチナ人がハマスから離反しない限り、平和は訪れないと考えるべきである。パレスチナ人自身がハマスからの離別を決意し、国連の指導に従って民主国家の建国に向かえば、イスラエルはこれを承認し、進んで融和政策に転じるだろう。ハマスを殲滅させるためにパレスチナの民に災厄があったとしても、それはパレスチナ人が負わなければならない責任であり、パレスチナ人自身がハマスに対抗する姿勢を見せない限り、災厄に対して世界は同情しないだろう。

  だが前項でも述べたようにメディアが人道主義という訳の分からないイデオロギーを掲げて、災厄に遭っている人々の苦しみ・悲しみだけを報道し、イスラエルを非難する論調を掲げており、世界の中でも多くの人が第一原因者が誰であったかを忘れてしまっている(22.6.26「人道を考える」・11.14「人道主義とは何か?」)。すなわち、この問題をさらに複雑化しているのはメディアであり、解決に結びつかない人道主義というものを持ち出して、戦争を云々しているのは罪であり、最大の責任はメディアにあると考える。戦争に人道主義を持ち出すというのは全く意味のないことであり、その効果は歴史的に見ても全く無い。大事なのは為された戦争行為が道理に沿うものかどうかだけである。ノムと同じ考えを持つ人も多いようだが、その声は小さい。だが某誌の中で田久保忠衛が同じような疑問を指摘しており、それを明確に述べた田久保の勇気を称賛したい。

  パレスチナ問題に限らず、第一原因を考えるときには、過去に遡ることはあまり意味がないし、時には有害である。歴史に関してはそれに係わる国家それぞれに正義があり、それぞれの主張は決して和合をもたらさないからである。現在だけを見て、直近の事件に関して第一原因者を探るべきであり、その意味でハマスに大義はないし、イスラエルへの残虐な侵攻により大義は完全に失われた(10.14「イスラエルとハマスのどちらに大義があるか?」)

(12.7起案・12.8起筆・終筆・12.9掲載)


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