本文へ移動
【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2023】

利己主義の跋扈

2023-12-26
  最近のニュースを見ていると、平然と利己主義を主張する人や国家が多く、嫌気が差してくる。大義に則った行動を取る人や国家があまりにも少なく感じられる。メディアが敢えてそうした報道をしないからかもしれない。悪いニュースばかりを読ませられていると、人間もおかしくなってしまうと思う(21.1.2「メディア報道における良いニュースと悪いニュース」・21.1.6「日本の新聞記事の良いニュースと悪いニュース」・21.1.10「未来世界の良いニュースと悪いニュース」)。以下に事例を挙げて指摘をしてみたい。

  26日の産経新聞1面の左側2段目に、沖縄県知事が辺野古での飛行場地盤の設計変更を認めず、裁判で認めるよう指示されたにも拘らず、今回も承認しないと正式に発表したという。なぜ国防に関する事柄で、国が手続きを踏んで長い時間を掛けて行ってきた事を、知事が妨害するのか、それ自体がおかしなことだが、司法判断で「承認義務」を言い渡された知事が、再度に亘り法的義務を放棄して国と対立したということが理解できない。地方の判断よりも、国家や司法の判断の方が優先するという、民主主義の大義が失われてしまった。玉城知事が最高裁判決にも従わないとしたならば、本来なら法的に知事の地位を追われるのが道理であろうが、現代の民主主義はそうした考え方をしないようだ。これでは中国と戦争が起こっても、勝てる見込みはないだろう。特に沖縄は中国に狙われているにも拘わらず、日本の防衛を妨害しているからだ。

  海外でもこうした個人主義的な行動が跋扈している。イスラエルでは国会でネタニヤフ首相が「戦闘継続」の必要性を強調したところ、議場で傍聴していた人質家族らが、人質の即時解放を求めて抗議の声を上げたという。議会が国民の傍聴を許しているというのは民主的な国家であることを象徴しているが、傍聴人が議事を妨害しても許されるというのはおかしなことだ。だがニュースでは傍聴人が排除されたとは報道していない。敵対するハマスというテロ組織によってイスラエル人の人質が多数拉致されたが、そのことによってイスラエルが国家の方針を曲げるようでは、ハマスの思うつぼである。イスラエルがハマスを撲滅するまで戦うというのは大義があることであり、ハマスが人質を盾に交渉を迫る道理はない(10.14「イスラエルとハマスのどちらに大義があるか?」)人質の家族は、国民の一人として痛み・苦しみに耐えなければならないはずであるが、自分らの家族のことを優先して国家を窮地に陥れようとしている

  それは日本においても同様で、北朝鮮に拉致された人らや家族が、拉致された人を取り戻すためには、あらゆる手段を講じてでも取り戻せと要求している。そしてメディアも国民もそれを当然と考えている。メディアがそうした個人的要求は抑えるべきだと諭すことはない。そんなことをすれば、そのメディアは市場から排斥されるだろう。だが中国では堂々と国家の論理を基に、国民をたしなめることがしょっちゅう行われている。どちらも極端であり、その中間としての中庸を取る国はないようだ(21.10.24「アメリカで民主主義の弱点が露呈」・21.12.7「民主主義を社会主義にしなければならない理由」)

  こうした大義のない熱狂は世界の各地で起きている。犯罪者のトランプを支持する米国人は少なくとも30%以上はいるようだ。政策による支持というよりも、もはや宗教的熱狂に近い。愛国心の高揚も利己主義の延長線上にある。中国は国家を挙げて愛国心の涵養に努めているが、それに反して習近平の人気は今一つのようだ。それは「今の共産党は、本当に人民のために奉仕した毛時代とは違う。一部は金持ちになったが格差が大きすぎる」という中国市民の声にも表れており、虚構の過去への恋慕となっている。こうした市民は自分のことしか考えていないが、それが世界の現状でもある。世界では個人の利益、自国の利益が優先されており、平和のための協調という考えはない。それもこれも、全て競争というものに人間が煽り立てられているからである。

  未来世界では利己主義は最も卑しい精神だとして排除される運命にある。それは人格点と言う形で評価されることで実現される。利己主義を持っているからといって逮捕されるわけでも、刑罰を受けるわけでもない。だが人格点が低く評価されることで、組織の責任者になることもできなくなるだろう。諸々の権利も失うことになるだろう。たとえば、パソコンを持つことさえできなくなるかもしれない。悪い心を持つことで、あるいは自分中心主義の心を持つことで、未来世界では多くのものを失うことになる。利己主義はそうした形で排除されていくことになる。もはや誰も、自分のために利益を求める行動をしなくなるだろう。何をするにも、全体(社会)への貢献をまず考えるようになるだろう。それが生き残るのに最適で、かつ合理的であるということになるからである。こうした思考は生存本能を満足させることになり、ひいては個人の欲望を満足させることになる(22.4.24「未来世界の精神文明と自己実現」)

(12.26起案・起筆・終筆・掲載)


TOPへ戻る