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【時事評論2021】

日本の新聞記事の良いニュースと悪いニュース(2087文字)

2021-01-06
  以前の試みである「米中関連ニュースの評価比較」では一定の成果を得たので、今度は日本の新聞のうちの一紙を取り上げて、1日のニュースの中で良いニュースと悪いニュースの比率を見てみたいと考えた。どうもコロナ禍のせいもあって、毎日暗いニュースが多いのではないかと考えていたからである。対象にしたのは我が家で唯一の新聞である「産経新聞」であるが、本来ならば同日の主要紙を全部比較する方が良いのは勿論であり、全国紙と地方紙を比べてみるのも意味があるかもしれない。その手法について説明し、最後に結論を引き出したい。

  評価対象としたのは「産経新聞」の2021年1月4日の新聞全面である。記事だけでなく、番組表・天気予報・広告も入れた。記事ごとのタイトルの文字の大きさ・記事量・善悪(良いニュースか悪いニュースか)・評価(筆者からみての価値)を1~10の10段階で評価し、これら評価項目ごとに重み(全体で1となる係数)を付けて計算して最終評価とした。重みはタイトルフォント:0.1・記事量:0.3・善悪:0.5・自己評価:0.1、とした。

  それぞれを評価するのにはいろいろな困難があった。まずフォントの大きさや太さはマチマチであり、大雑把な比較しかできなかった(指標は表内に「メモ」として入れてある)。記事量は大雑把に指標化したが、実際の字数を数えることも行った。大きな記事では面積換算から推定した。これには一貫性も正確性もない。だが大雑把なりに正しく反映されていると考える。善悪は一般的感覚に従った。筆者評価は個人的な価値観に基づいたが、読まない一般記事もそれなりに意義から判断した。

  結果はエクセル表として参照できるようにしてある公開資料11「新聞記事における良いニュースと悪いニュース」)。読者はサイト内のエクセル表を参照できるとともに、保存して活用することができる。

  結果を大雑把に総括してみたい。最終結果の平均値は4.3となったが、これには大した意味はない。善悪平均は4.2となり、若干悪いニュースが多いという結果になったが、これは最後の方に述べるように、広告を除いた結果、若干良いニュースの方が多いという結果になった。筆者の評価も5.1であり、悪いニュースではあってもその記事は読むに値すると考えていることを示している。それが5を超えたということは、産経新聞が「読むに値する新聞」であるということになる。他紙の場合と比較したら非常に面白い結果が得られるであろう。

  この表から、「フォント」と「評価」の関係・「記事量」と「評価」の関係・「善悪」と「評価」の関係を相関係数などを用いて比較するとおもしろいと思うのだが、時間がなくてできなかった。

  この表には前述したように広告も入っているが、広告は記事とは見做さないので記事量は0としている。だが書籍広告は読む価値があるので、筆者評価をしている。だが本来は書籍広告以外は筆者にとって無価値なので、これを除いた表で比較してみることにした。それは本表の右側にある表に示したが、サンプル記事は15ほど減った。その結果、記事の善悪が4.2が5.1に上がった。広告の善悪は0と評価しているので、その分善悪評価が上がったのである。これは新聞がわずかに良いニュースを多く取り上げてはいるものの、ほとんど同じ割合であったことを示す

  最後に、記事を強調するためにタイトルのフォントサイズを変える手法について検討してみた。いろいろな解析方法があると思うが、今回は簡単な方法として、フォントが大きい記事を選択して集めてみた。それによって他の項目がどう変わるかを見たかったのである。結果から述べると、フォントが大きい記事の量は多くなる傾向が見られた。全体では記事量評価は4.1であったが、フォントの大きい記事の場合は6.5となった。善悪判断では4.2が5.5に上がった。つまりフォントの大きい記事は良いニュースである場合が多いということを示唆している。筆者の評価は5.1から6.7に上がった。これが良いニュースだから高い評価を与えているのかどうかは不明であるが、その傾向はあるのかもしれない。

  以上、非常に大雑把な解析ではあるが、この手法の有用性が多少は明らかになったと思われる。だが評価の仕方や他紙との比較においてまだ改善が必要であり、筆者としては結論を断定するつもりはない。飽くまでも試みとして提示したことに意義を感じている。同様な解析を多くの人に試みてもらいたいと思う。これは新聞の評価だけではなく、日常的な事柄全てに応用できるであろう。要は人間が事象をどう評価しているかを探り出すことに意味がある。これまではマスコミの評価や学会の評価、専門家らの評価が価値観を決めてきたが、未来世界では民(住民・国民・世界民)が評価の中心をなすようになる。そのことを踏まえての予備的試みであると改めて強調したい。


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