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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2023】

人道主義とは何か?

2023-11-14
  ガザ情勢を巡り、盛んに「人道主義」という言葉がニュースに載っている。だが「人道」という言葉の本来の意味は、人の道、すなわち人の生き方や為すべき事を示しているとノムは考える。だが現代では、欧米の「自由・平等・友愛」の精神(イデオロギー)から、「人に与えられている権利を護ること」と解釈されているようである。すなわち、人の自由や平等を護ることが人道主義だと考えられている(20.7.16「自由主義と民主主義の破綻」・2.19「平等主義の破綻」)。自由には、居住地を選ぶ権利・往来の自由・発言の自由、などが含まれており、移民であろうが難民であろうが、もっと言えば不法滞在者であろうが、文句を言う権利はあると解釈されているようだ。こうした「人道主義」跋扈の時代にあって、ノムの考える「人の道」という意味での理解の仕方は、世から理解もされないだろうし、排斥される運命にあるようだ。だがそれでもノムは、人道主義の正しい理解の仕方を求め続けており、さらにその主張をしようと考えている。以下では、世界における人道主義の破綻と、ノムの考える人道主義との対比について述べてみたい

  「人道」については既に一文を書いているので、同じような主張になる可能性がある(22.6.26「人道とは?」)。そこで「人道主義」をネットで調べてみると、「人間愛の立場から人々の福祉を図ろうとする思想態度。博愛・平等,人権の尊重,平和・無抵抗主義などを特徴とする。ヒューマニズム(人間尊重主義)の一形態」とする説明があった。ウィキペディアでは「ヒューマニズム」と言う言葉で検索すれば出てくる。だがこの言葉は「人文主義・人本主義」という視点から使われているようだ。これらの言葉は「人間中心主義」とも言われており、ノムの視点からすると自己中心主義と相通ずるものであり、とても受け入れられるものではない(21.4.22「全体主義と個人主義」)。本項ではノムの独自の視点から人道主義を論じてみたい

  ノムの考える人道主義は、「人は如何に生きるべきか?」という問いから出てくるものであり、それは非常に主体的でポジティブなものである。つまり他者に対して如何に貢献するか、という考え方である。それに対して、現代の人道主義は、国家が如何に人の権利を尊重するか、生命を大切に扱うか、に論点があるように見受けられる。つまり人が弱者の立場にあり、国家はその人権を守るべきだ、という意味合いが強い。その意味で、ノムの考えるものと一般社会が理解しているものとは全く意味が異なることになる。重要なのは、現代解釈の人道主義が正しいものだと受け入れられていることにある。ノムは逆に、現代の人道主義は既に破綻しており、そもそもそのイデオロギーの最初から間違っていた、と考える。

  人道主義が何時からどのように広まったのかについては詳しくは分からなかった。だが上記したように、フランス革命の精神辺りから生まれたように思われる。特に権利や生命尊重が中心になっているようだ。たとえば、幼い子が難病で治療が難しい場合、この子を苦しみから解き放つために安楽死させた方がいいのか、それとも人間の持つあらゆる医療技術を用いて最後まで治療を続行すべきなのか、という状況を考えた場合、現代では大方は後者、すなわちあらゆる手を尽くして生命を守るべきだ、と考えるのが大勢ではないかと思われる。だが先日、英国でこの事例が起こった(《生態系》11.12「英国で、難病の女児の生命維持装置外される」)。医師団は治療の手立てはないとして、乳児の生命維持装置を外した。この事例では、現代の人道主義からこの措置を合理化できる論理は出てこない。だがノムの人道主義からすれば、人から無益な苦痛を除くことは善であると考えることから、この措置は合理的であり、人道的であると解釈する(20.11.8「安楽死をどう考えるか?」)

  ガザの多くのパレスチナ住民に対して行われているイスラエルの報復空爆は人道的でない、とする反対派の意見が圧倒的に多い。これは、①パレスチナ住民に罪はない・②空爆は非人道的戦法である・③たくさんの生命が失われることも非人道的である、という見解から出てきていると思われる。ハマスが残虐な手法で1200人を虐殺し、卑劣な人質を取っており、しかもそれを病院の地下などに隠して爆撃されないようにしていることこそ、人道主義に反するものだという見解は、一部では最初唱えられたが、今は掻き消されてしまった。もっぱらイスラエルの空爆への批判が、米国からも多く出ている。だがその米国は、第二次世界大戦中に、東京などを破壊し尽くすほどの空爆をして、市民を大量殺戮した。過去のことはノムとしては非難はしないことにしているが、規模からしても道理からしても、米国には理が無かった。しかもその殺戮の規模は、東京大空襲・広島と長崎に対する原爆使用による死者だけを考えても50万人以上に及んだ。当時、米国のこの攻撃に対して人道的立場からの批判はほとんど無かったようである。そして今も、米国に対する批判は差し控えられている。ということは、現代の人道主義は割に最近のイデオロギーなのかもしれない。米国の悪しき過去の事例と比べると、今回のイスラエルの報復空爆は納得できる理由がある(10.14「イスラエルとハマスのどちらに大義があるか?」)
 
  メディアはどういうわけか、この戦争がイスラム対米国のプロパガンダとして始まったことや、近い将来、イランやサウジアラビアを中心としたイスラム連合による米国叩きに発展するということが分かっていながら、欧米メディアですらパレスチナに同情を集める報道を繰り返している。何か世界的なイスラム陰謀論すら感じる。15日になって、やっと米国がハマスの地下トンネルが地下要塞になっており、そこに司令部や武器庫として使われていることを認めた。イスラエルが散々主張してきたことである。メディアはその存在を確認することはできたはずであるが、なぜかやらなかった。人質も恐らくこのような場所に置かれており、「空爆の結果死んだ」というプロパガンダに使おうとしている。こうした人としてやってはいけない戦争行為の悪逆な手法をハマスが取っていることを非難する論調はもう無くなってしまい、毎日のようにイスラエルの空爆で何人死んだ、という記事が発信されており、ハマスが起こした戦争の責任を問う記事は無くなってしまっている(10.24「ハマスの正体とその変貌」)

  戦争というものの現実を考えた場合、イスラエルがハマスと一般市民を区別することができないと考えていることから、空爆は止むを得ない攻撃方法であろう(21.7.4「戦争論」)。戦争の常識から考えて、それ以外にハマスを殲滅する方法はないと思われる。平和主義者は全ての戦争に反対しているが、人類の初期から現代にまで続く競争主義から戦争は不可避なものとなっている(20.9.16「競争はいつ芽生え、何をもたらしたか?」)。もし平和を求めるなら、世界を統一することを目指すべきだが、誰もそのことを言い出さない。「平和という幻想」を求めているだけである(21.7.7「平和主義は間違っている」)戦時には人道主義などあり得ないという現実を受け入れるべきだろう(21.6.2「現実主義」・22.3.24「ロシアのウクライナ侵略に学ぶ日本の防衛」)

  ノムの考える人道からは「人道主義というイデオロギー」は出てこない。人道主義が持つ「自由の権利という概念」もノム思想にはない。「生命を尊重すべき」という主張にも異議を持っている(6.24「人間生命尊重主義の蹉跌」)人間は人間界全体のためにこそ存在の意義があるのであり、国家や個人のためにあるのではないと考えるからである。視点の置き所が全く異なることから、これらの主張について細かくここで説明するのは難しいが、参照別項をよんでいただければある程度は理解可能であろう。ノムの人道主義(そういう言葉はノム思想には無いが・・)では、別項で述べたように、人は人としての責任において、人として当然為すべき事をし、他者のために尽くし、全体(国家や連邦)のために貢献することが人の道であると考える(20.9.7「ノム思想とは?」)。そうした意味で「人道主義」を見直せば、現代の人道主義が如何に矛盾に満ちた不条理なものであるかが分かることであろう。

(11.13起案・11.14起筆・終筆・掲載・11.14追記)


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