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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2021】

戦争論(22.12.4追記)

2021-07-04
  「戦争論」については2014年から3年掛けて書いた31852文字に及ぶ論文がある。だがこれをまとめるだけで大変な作業になることから、改めて短くまとめる意図で再執筆することにする。その要旨は、やはり人間の本能論に基づく。

  動物の世界には生存闘争というものはあるが、戦争というものはない。戦争は人間だけが行う生存を賭けた闘争であるが、動物のそれとの違いは明瞭であり、①極めて多数の集団(国家に相当)によって行われる・②高度な武器によって行われる・③動機は生存のためというよりは、名誉や覇権という生存以上の目的のために行われる・④状況によっては必要以上の殺戮が行われる、という特徴がある。筆者の見解によれば戦争とは、「集団(国家・特定集団)が版図や権利の拡大、食糧・資源の略奪や集団内のストレス解消のために、他の集団を武器をもって大規模な攻撃をし、これに応じて武器を用いて応戦するために起る事象」である。内戦や革命戦争も含めることができる。要約すれば、版図・権利の拡大(覇権主義)・②食糧や資源の略奪・③集団(国家)内ストレスの解消、の3点が動機として考えられ、内戦や革命は①・②・③のどれかが該当する。

  ウイキペディアでは「太古からある紛争解決手段」としているが、現代のテロなどをこれでは説明できない。また戦争に伴う略奪や強姦などの事象も全く説明していない。テロリストは問題を解決しようと思ってテロを起こしているのではなく、飽くまでも自分達の利益のために世界に波乱を巻き起こすことを目的としているからである。筆者は戦争の根本原因として人間の持つ生存本能・生殖本能、およびストレスを挙げる。以下ではこの主旨に沿って説明していきたい。

  古代の集団的闘争というものは集団(集落・民族・国家)というものが存在すれば必ず起こった。その周期性には法則的なものはみられず、ストレスが最大になればいつでも起こり得るものである。イラクのシャニダール洞窟で発見された男のネアンデルタール人遺骨には、5万年前に槍で傷を受けた跡があり、これが死因だったと考えられている。人が人を殺した最古の証拠であるとされている。1万2千年前~1万年前(後期旧石器時代末)と推定されるナイル川上流にあるジェベル=サハバ117遺跡は墓地遺跡であるが、幼児から老人までの58体の遺体が埋葬されており、これらのうちの24体の頭・胸・背・腹の近くに116個もの石器が残っていた。この遺跡は農耕社会出現前の食料採集民の戦争の確実な例とされている。古代の戦争の原因は不明であるが、版図の拡大・略奪(特に女)・ストレス解消のどれも当てはまる可能性がある。

  一方日本では、弥生時代以前の遺蹟には戦闘の形跡が見られないことから、集団を作り始めた弥生時代の農耕の出現が食糧略奪という手段を生み出して、闘争が始まったと考えられる。それは版図の拡大の必要をもたらし、さらに権力が生まれることで組織内ストレスも生まれただろう。だがおもしろいことに、現代人のDNA研究から、男性の性染色体に縄文人由来の比率が高いこと、東北と九州、沖縄に縄文人比率が高いことが分かった。これは「縄文人と渡来人の混血が平和的に進んだ」ということの証になるそうだ。本州付近の現代人が持つ縄文人由来の成分はゲノム全体の2割程度だということである。筆者は古代縄文人は平和的民族であり、それは現代に続いていると考えている。

  一般に、民族によっては闘争的か非闘争的かという違いがある。それは地政学的なものから生まれたとも、歴史から生まれたとも考えられ、必ずしも民族性(東洋系・西洋系)の違いとは言えない。逆に食物からその闘争性を考えることはできる。たとえば肉食中心である西欧では闘争的、菜食・魚食中心の東洋では協調的であると考えることも可能だろう。肉食を可能にしたのは家畜化であり、それは動物支配から人間支配へと移行したと考えることもできる。モンゴル帝国は馬族であったからこそその特徴が顕著であった。それは容赦のない殺戮と支配をもたらした。ゲルマン民族は闘争的であると言われるが、それも肉食から来ているのであろう。日本では天武天皇(?-686年)以来、歴代の天皇が肉食禁止令を出してきた。江戸時代には徳川綱吉(在職:1680-1709年)が生類憐みの令から肉食禁止令を出している。それは日本人は古来から肉食が争いの元になると知っていたからかもしれない。およそ明治維新まで、日本人は基本的に菜穀魚食であり、獣肉は食べなかったのである。使役のために牛や馬を養ったが、それは家族と同様に扱われ、同じ屋根の下に飼育された。

  戦争には偶発的なものもあれば、意図的なものもある。その両方があると悲惨な結果になるだろう。現代はまさにそのような状況にあり、特に南シナ海などでは中国の専横を認めない世界諸国が航行の自由作戦を実施しており、いつ戦闘が始まるか憂慮されており、一旦始まればミサイルなどの現代兵器が使われることにより、先制攻撃が有利となることから、あっというまに核戦争に行きつくことになる(6.22「宣戦布告なき第三次世界大戦 」)。あるいは情報戦(物理的なものと戦略的諜報戦がある)を制したものが勝利して、それ以上の戦いには進まないという可能性もある。だが中途半端に終わるということは考えにくく、支配権が明瞭になるまで徹底的に戦われることになるだろう。

  現代に於いて戦争の可能性が高い地域は東ウクライナ・台湾・中東イスラエルなど多数あり、内戦状態なのはアフガニスタン・シリア・トルコ・アフリカ(リビア・イエメン)・ミャンマー、などがあり、これはこれから訪れる温暖化による旱魃・飢饉・飢餓などによって世界各地に拡大していく。下手をするとアメリカにさえ内戦の危機が迫っているとみることができる。それは穀倉地帯の旱魃から始まるだろう。問題はこれらが人間界の欠陥ある世界システムからきており、それを変えない限り避けることのできない宿命となっていることにある。

  人間界の欠陥ある世界システムとは何かというと、①争いを生み出す主権国家の存在・②個人の主権である人権の存在・③競争を生み出す自由経済システムの3点に絞ることができるだろう(20.9.6「地球における人間の活動と競争 」)これらを全て解決するにはノム思想による世界連邦形成しかない(3.28「世界連邦の可能性 」)。だがそれは現在の状況からは生まれる可能性はゼロであり、大災厄を通して世界が破壊と混乱の極みに達し、絶望的な状況にならないとその機運は生まれない。すなわちカタストロフィーが生じる条件が必要なのである(7.1「カタストロフィの事例と前兆 」)

  人間だけが引き起こす戦争というものを無くすためには、その原因となっている要素を制御できるようにならなければならない(1.7「制御思想 」)。そのためには集団を1つだけにし、その集団に絶対支配権を与えなければならない。過去の歴史から絶対権を握った組織は腐敗し、民を苦しめてきたことから、その支配者は民に奉仕する賢者、すなわち「賢人」でなければならない(賢人政治)。事例としては日本の江戸徳川幕府が良い模範となるだろう(2.27「日本の江戸時代の統治と安定 」)世界を一つにすることにより、版図の拡大という戦争目的の1つは無くなる。集団内のストレス解消のために、性の解放が制御された状態で必要となるだろう。また人間の意識に目標を持たせるために、世界への貢献・地域への貢献という理念を教育する必要があるだろう。それによって人間は知力・体力を持て余すことなく、生涯に意義を見出すことができるようになる。食料・生活用品・インフラの必要を満たすために、世界は挙げて最低限必要な物を最優先に生産することになるだろう。そしてそれを適性に配分されるように仕組むため、社会は全体主義(真社会主義)に向かわなければならない(20.12.23「真社会主義」)。自由経済は収束の方向に向かうだろう(20.7.16「自由主義と民主主義の破綻 」)。 

  戦争が無くなることは多大なメリットをもたらす。①文化遺産が保存可能となる・②資源の無駄が少なくなる・③人間界の悲惨さが極小化される・④地球温暖化を抑止できる、等があるが、欠点が無いでもない。戦争による人口減少要素が無くなることは、人口増大を抑えるための仕組みが必要となる。それは生殖本能に関わることだけに大きな問題であるが、①生殖と性行動を切り離す(これは既に「避妊」と言う形で実現している)・②生殖抑制策(結婚許可制・出産制限)・③性行動のストレス解消策(公的性欲処理施設) などで可能であり、制御思想・ゲーム理論によってさまざまな手法が可能である(20.9.12「性的頽廃は滅びの前兆」・20.9.24「「ゲーム理論」とは何か? 」・2.5「生殖の抑制は可能か?」・3.24「人口制御の視点の必要性 」)

  人類は戦争の無い世界というものを夢想してきた。だがそれは理想主義による美化された理念だけでは実現できない。現実主義に基づく科学的で冷静な対応により、それは初めて可能となる。そのためには統一された思想、矛盾のない科学的な思想が必要であり、人間が考えた理想的理念に基づくイデオロギー(自由主義・平和主義・人間主義・平等主義)は破棄されなければならない(20.7.16「自由主義と民主主義の破綻 」・20.12.23「男女は平等か?」・7.5「平和主義は間違っている」)。そしてノム思想がその矛盾のない思考様式として受け入れられるであろう(20.9.7「ノム思想(ノアイズム)とは何か? 」)


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