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【時事評論2022】

現代の戦争における国民の在り方

2022-03-06
  ロシアの大義のないウクライナ侵攻により、世界を巻き込む恐れのある戦争が始まった。それは予想されていたとはいえ、2月24日から2日間で制圧されるかと戦々恐々の中にあったウクライナ国民の中には、早速国を脱出する者が大挙して出てきた。だが3月5日の段階でもウクライナ大統領のゼレンスキーは徹底抗戦を堅持しており、各地で逆攻勢の動きも見られる。だが国外難民(原則17歳以下61歳以上の男性・女性・子ども)と称する人々の数は150万人を超え、第二次世界大戦後最大の規模になったと伝えられた(2.26「民族大移動」)。世界はこれらの難民に同情を寄せ、各種の支援が始まっている。だがこうした動きにノムは違和感を覚えざるを得ない。それは、なぜウクライナの国民は総動員令が発せられている中、総力戦を展開しないのだろう、という疑問である。苦難に遭遇している人のことを想うと、こうした論を展開するのは非常に心苦しいことではあるが、敢えて「現代の戦争における国民の在り方」と題して論じてみることにした。

  第二次世界大戦後の戦争の全てを把握しているわけではないが、大きなものとしては朝鮮戦争があった。この戦争では韓国軍と同盟米軍が北朝鮮の電撃的侵攻を全く予想せず、心の備えが出来ていなかったために国民だけでなく韓国軍も壊走した。初代大統領のイ・スンマン(李承晩)は2日後には首都ソウルを放り出して逃げ出し、ソウル市内にある漢江橋を爆破して市民が逃げられない状況を作り出した。自分達の退却の安全を優先したのである。だがあれよあれよという間に釜山にまで追い詰められ、米軍がニョンチョン(仁川)から北朝鮮軍の背後を突くことで九死に一生を得た。今回の場合は長い間ロシア軍が国境線に配備されていたため、ウクライナ国民には覚悟はあったと思われるが、侵攻前日まで市内は普段と変わらない様子であった。なぜ戦争準備をしなかったのか不思議でならない

  ベトナム戦争では南ベトナム政府を支援した米軍が敗れた。1975年3月のホーチミン作戦で北ベトナムは総攻撃を開始し、ダナン陥落で南軍は総崩れとなり、グエン・バンチュー大統領は米軍に軍事支援を依頼したが米軍は自ら戦おうとしない南ベトナムに愛想を尽かしてこれを拒否した。最後の場面は脱出しようと空港などに殺到する南ベトナム国民を振り捨てるように、米軍ヘリコプターが沖合の航空母艦に向けて大統領官邸を飛び立った光景がまだ目に焼き付いている。ベトナム戦争でも腐敗した南ベトナムの壊走があり、同軍同士の戦闘もあったという。南ベトナム難民は144万人に達すると言われる。

  アフガニスタンはソ連が侵攻して統治に失敗し、代わって米軍が20年もの間支援したが、その支援でアフガン政府は腐敗し、米軍撤退を公約して急いだバイデンの判断ミスから、首都カブールは2021年8月15日にタリバンに制圧され、ガニ大統領は即日187億円の現金を持ってヘリコプターで脱出したとされる。アフガン難民は259万人を数え、総数では世界第2位であるとされる。この時も米軍はほうほうの体で逃げ出した

  朝鮮戦争・ベトナム戦争は国家分断の結果生じた戦争であり、両方に関わった米軍は敗れた。アフガンには分断は無かったが、やはり米軍は最終的に敗れた。しかも3つの戦争はどれも左派か過激派が相手であった。今回のウクライナ戦争はプーチンという誇大妄想の独裁者とのウクライナの孤独な戦いとなっているが、米軍はこれまでの経験と反省から軍事支援はしないと、2月10日、早々にバイデンが声明を出した。これは戦争というものを知らない素人的対応であり、賢明に振る舞うならば、そんなに早々に手の内を見せるべきではなかったと批判を浴びている。だがそうであるからこそ、ウクライナはなおのこと、戦時体制をこの時から作るべきであったとも言えよう。米国もウクライナもまさか本当にロシアが軍事侵攻するとは思っていなかったフシがある

  現代戦の特徴として、核兵器は脅しにはなっても使えない兵器となっていることがある。ミサイルは通常弾頭ではそれほど大打撃を与えられないことが今回のロシアの攻撃で分かった。そこでロシアは非人道的とされるクラスター爆弾や燃料気化爆弾を使用し始めた。高精度兵器を使い果たしたからだとも、戦果を急いでいるからだとも言われる。すでにロシアの当初の「民間を標的にしない」という嘘は破綻しており、現実は総力戦に移りつつある。ウクライナの人々が火炎瓶製造に走っていることからもそれが窺える。ウクライナが比較的よく耐えているのも、都市では地下鉄などが避難場所として防空壕代わりになっており、地方でもソ連時代に造られた防空壕があるからかもしれない。これらのことから、現代戦でも総力戦はあり得ることであることが分かった。決して軍隊だけの戦争ではないのである。

  ではかつての戦争ではどうであったかというと、日本の太平洋戦争のことしか詳しくは分からないが、戦争末期には軍が「一億玉砕」を唱えて皆兵訓練が行われた。都市からは疎開という呼び方で国内避難が行われた。原爆投下が無かったら、恐らく日本は本土決戦を行っていたであろう。この時代までは戦争といえば総力戦であった。どちらかが勝ち、どちらかが負けることになっていた。だが現代では勝敗すらはっきりしない戦争が多く、また地域を限定した戦闘形式が多い。

  ではウクライナ戦争(仮称)ではどうなのかとその形態を分析してみると、恐らく総力戦に突入していると思われる。その場合ロシアは、太平洋戦争で米国が勝利を急いだために原爆を使用したのと同様、交渉を有利にするためか、あるいはウクライナに白旗を掲げさせるためか、核兵器を使用することを厭わないだろう。ただ主要都市にそれを投下したら第三次世界大戦の連鎖を招く恐れがあるところから、無人の地域か、地方の小都市か、地方にある原発を小型核ミサイル(戦術核)で攻撃する可能性は大きい。それ自体が世界を恐怖に陥れるが、ロシアは原発攻撃の場合は同じ放射線被害がもたらされることから区別する必要がないと考えるかもしれない。しかも人員被害は少なくて済むため、人道的と開き直るだろう。問題は風向きによってはロシア自体にも被害が及ぶことにある。そうなると国民が黙ってはいないだろう。だが狂気の領域に入っていると思われるプーチンには、どんな選択も可能である。

  今次の戦争を大団円に終わらせるには、プーチンを暗殺するか、軍がクーデターを起こすしかない(《アメリカ》3.3「米議員が「プーチン暗殺」を提唱」)。ノムが想い描く最善のストーリーは、毎日宮殿からヘリコプターでクレムリンに通うプーチンを乗せたヘリコプターのパイロットが、信念に基づいて急降下をさせて自爆するというものである。指導者を失った国家は相対的に最少限の人員被害によって安定へと向かうだろう。だがその後のロシアの混乱・分裂・内戦という状況は十分あり得ることであり、何が最善なのかは分からないと言えよう。

  改めて、現代戦における国民の在り方を問うことにしよう。太平洋戦争時に日本の国民が海外に逃亡したという報道を見たことがない。終戦7ヵ月前の1945年1月1日に、小磯国昭首相は年頭談話で「一億総玉砕」を訴えた。東京大空襲の2日後の3月12日には小磯首相・海陸両相が「本土決戦」を演説した。だが国内メディアはこれを鼓舞するだけで、反対意見が掲載されなかった。国民もこれを甘受し、覚悟を決めたのである。当時の日本人は潔い覚悟のできた立派な精神を持っていた(2.28「防衛強国への道 」)。図らずも櫻井よしこは7日の産経新聞コラムで「国を守る意思を持て」と題し、ウクライナのゼレンスキー大統領の毅然とした抵抗の意思をみて、「国を愛するとは命を懸けて守ることだ/これこそ、日本人が心に刻むべき姿であろう。国を守ることは、こういうことだったと、思い出すべきだろう」と示した。他の民族のことを云々したくはないが、国家が大義を以て他国の侵略に戦おうとするならば、国を護ろうとするのは当然のことであり、特に今回の戦争は明らかな侵略戦争であるから、ウクライナ国民はその総力を挙げて防衛戦に携わるべきだと考える(20.10.9「日本の国防と安全を誰が担うのか? 」)。現在残っている人達はそうした愛国精神に富んだ英雄らであり、火炎瓶で抵抗をしようとしている。最後までその気概を保ってもらいたいと切に望む。幸いなことに、5日の報道では、海外にいたウクライナ人が祖国に貢献してロシアと戦うために戻りつつあるという。その数は6万6224人に達している。また国内で地域防衛部隊が組織され、それには市民や老人・女性も加わって銃の扱いの訓練を受けており、その数は10万人に達したという(《国際》3.6「ウクライナ地域防衛部隊は10万人規模」)

  防衛を軍だけに任せようという考えは邪道である。櫻井よしこは上述したコラムで、「自衛隊だけに国防の責任を負わせる精神ではこの国は持たない」と喝破した。たとえば家族が強盗に襲われた時に、主人にだけ対応を任せて逃げる家族は卑怯である。家族全員で強盗に立ち向かうのが筋であろう。逃げた避難民(主に老人・女性・母子)と称する人達のことをノムは責める気はない。人それぞれに事情はあるのであり、一律に扱うべきではない。ただ祖国を守ろうとする人達(女性も多い)がいるのも事実であり、それが多いほど国家は強い。現代はあまりに便利で文明的な生活に慣れてしまったために、生存を賭けた闘いという生物本来の本能すら忘れてしまっており、「敵に遭遇したらすぐ逃げろ」という考えが主流となっている(20.10.4「人間本能の階層構造」)。また世界的に人命至上主義に陥っているため、大義は後回しにされてしまっている(20.12.24「生命尊重主義は破綻している」)。それは明らかに間違いであり、何よりも地球の安定・世界の安定が大義として語られなければならないのである(21.8.21「「大義」論」)国家も人類も運命共同体であるということをもう一度確認しなければならない(20.10.4「「人類運命共同体」の嘘と真実 」・20.11.7「運命論」・2.24「戦争の正義論」・2.25「人類史 」)

  この項をアップした後、ウクライナから市民の声が届き始めた。3月27日付の東洋経済オンラインの記事では、市民による「War. Stories from Ukraine」というプロジェクトが立ち上げられ、ウクライナの人達のリアルな現状が伝えられている。このプロジェクトを創設したのは女性のジャーナリストのアリョーナ・ヴィシニツカ。彼女は「戦時中は誰もが自分が果たすべき役割を考え、実行することが重要だと思います」と語る。チームは取材・執筆に20人、イラストを作成するアーティストが20人、さらに70人がテキストを12ヵ国語に翻訳しているという。その他にも編集者・コーディネーター・ソーシャルメディアマーケティングの専門家もいる。毎日10人位が動いているそうだ。レポーターのオレクサンドラ・ランコは「ウクライナで実際に何が起きているのかを知ってもらいたいのです。海外の人にもウクライナの悲劇は他人事ではないと感じてもらうことが重要で、それを伝えることが自分の役目だと感じます」と話す。翻訳助手のユリア・クリッシュは「これらのストーリーは未来の歴史研究者にとって貴重な資料となるでしょう」と俯瞰した視野から見ていることを明かしてくれた。紹介される個人のストーリーは様々だが、その中でウクライナ人の覚悟を示すものがいくつも見られる。その1つはウエイトレスとして働いていた女性の語りである。"イルピンは地獄 "だと語る30歳の女性と夫は、ロシアに占領された街で、インターネットへのアクセス・電気・暖房・水なしで1週間を過ごした。彼女と3匹の猫は危険を冒して脱出を試みた。彼らは幸運だったが、多くの市民は脱出できなかった。今はリヴィウにいるが沈黙が怖く、外に出るのも怖いという。唯一の夢は、ウクライナの勝利であるという。 (3.7・27追記)


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