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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2021】

賢人とは?

2021-11-20
  前項で「賢人とAIの禅問答」のテーマを書いて、参照項を調べていたら、賢人について説明している項がないことに気付いた。別にまとめている本論文では№478に「賢人とは?」があり、当然同じようなものを【時事評論】にも載せたと思っていたのである。そこで改めて同じ題名ではあるが、賢人について説明したい。本論文では8758文字であるので、これを要約した形で提示したい。なおこれまでに【時事評論】に掲載した賢人関連の記事と多少の違いがあるかもしれないが、数字や小異には囚われないでいただきたい。

  これまでの歴史には様々な体制が現れては消滅してきた。しかしどの体制においても人の欲望や本能に基づく為政者の矛盾は変わることはなかった。それは為政者がどうしても自力で這い上がろうとする顕示欲・出世欲・金銭欲・支配欲の強い人によって占められてしまうからであった。民が本当に望む人望ある政治家は世渡りが下手なことが多く、策謀によって排除されてしまうためであった。歴史を振り返ってみると、優れた為政者は確かに存在するが、それはほんの一時期のことであり、その継承者を含めてほとんどの政治家や支配者は、むしろ批判すべき点が多い方が普通であった。

  未来世界をこのようなたまに出現する偉大な指導者に期待して委ねるということはできない。逆に期待はずれのことがたまに起こるというくらいの、安定した偉大な指導者を生み出す社会的仕組みが必要なのである。ローマには五賢帝時代というのがあり、日本には徳川家康という深謀遠慮の統治者がいた。家康は江戸幕府を安定的に維持する礎を築き、その礎に乗っていれば継承者は相対的に楽に安泰な世を継承していけたのである。未来世界は200にも上る諸国から成り立つため、いい加減な指導者に委ねては混乱が起きて紛争が絶えないことになる。未来社会の連邦が安定的な統治システムを形成するには、①統一された思想・②統一された基準により選び抜かれた指導者集団、の2つの要素が必要となる。

  ②に相当する指導者が賢人と呼ばれる選ばれた人である。賢人は権力闘争を志向せず、ひたすら世界の安定のためにどうしたらいいかだけを考える。賢人は前述したように通常は出世欲がないため、力を発揮できないことが多い。そのため優秀な人格者はしばしば政治の世界では排斥される運命にあった。であるからそのような人が世の中の全ての分野でトップになるように、昇進システムを作ればよいのである。これはノム思想から導かれた社会コントロールの手法である人格点」システムによって可能になる。幼児の頃から人格手に優れた子を選び出し、それらの子に特別な教育(真帝王学)を施して真のエリートとして育てるのである。この場合のエリートは特権階級を意味しない。特別な使命を担う人材という意味である。

  選抜された子には特別なカリキュラムに従って訓練が施される。人は教えられたように育つことから、彼らが誇りを持つことができれば、どんな訓練にも耐えることだろう。そして学年が進むにつれて、より高度な訓練が施される。たとえば大学生くらいになれば、貧困層の人々の生活を理解できるように貧困層に混じって1年間ほど生活したり、自らボランティアを経験したり、普段の言行によって人から尊敬を集められるようなことをしたり、辛い苦行も体験するなど、修行僧に近い経験をさせるのである。周りの社会も彼ら修業集団を特別視せず、対等の立場から試練を与える。修業集団はどんな悪口や罵倒にも耐えなければならない。それができることが彼らの誇りを増していく。我慢と忍耐が彼らの勲章となるであろう。途中で落伍したり、道を外す者もでてくるだろうが、社会はそれらを励まし続け、再起の道をいつも備えてあげる。

  このような形で20歳になるまでに世界に1万人に1人の割合で賢人候補を選出し、さらにその内から10年後に10人に1人の割合で賢人を選出する。つまり賢人と呼ばれる資格を得るようになるには30歳以上でなければならず、人格点は90点以上が必要とされるだろう。選抜される割合は10万人に1人ということになる。そして賢人らは世界のあらゆる分野で指導者として用いられるのである。30歳以上の根拠は専門的知識を学ぶ期間を10年必要と計算するからである。政治分野の賢人になるには政治・経済・司法等を学ばなければならず、その間に世界歴訪を少なくとも10回しなければならない(海外旅行を原則禁じている未来世界では特別な許可となる)。科学の専門賢人(科学分野オンブズマン等)になるには、大学院修了と会社勤務3年以上が必要である。その他の学問分野、工学分野も同様である。単に専門知識が優秀であるだけでなく、人格的に優れて周囲から尊敬される人であることが絶対条件となる。人の足を引っ張って昇進を狙うような人物は尊敬されないため、選抜からは漏れることになる。将来的に20億人人口を定常状態とすれば、賢人は全世界で2万人ということになるが、それを各機関(連邦政府議員と職員・地方国家政府議員と職員・連邦軍のトップ10人・地方警察のトップ10人・連邦裁判所の裁判官100人・地方国家裁判所の裁判官1万人・ノムペディア委員会1000人)に配分すると足りるかどうかは微妙である。その時には賢人補から候補順に従って補充していけばよいだろう。過疎地における村長・議員の選出に当たっては資格者が不足するため、有識者という資格を設ける必要が出てくるだろう。これはその地における高学歴者や技能者、各種資格取得者を人格点を基に序列化しておき、人口100人に1人の割合で上位から選抜すればよい。

  賢人の資質として重要なのはその思考にある。決して目先の利益や特定団体の利益のための判断をせず、遠い未来を慮って100年の計を立てることのできる人物である。そのような思考能力を養うには現在の状況というものが施策の執行により100年後にはどうなるかという先の先を読む分析能力を養う必要がある。その能力を開発するのに絶好の方法があり、それは投資である。特に先物取引は状況判断がシビアに求められ、その判断の成否がすぐに表れるところに特徴がある。その際の取引間隔は1ヶ月とし、1ヶ月先を予想する能力を磨くのである。短期に儲けることしか考えられない人はこのような訓練には耐えられないであろう。また余りに長期のことしか考えない原理主義者も破綻するであろう。先物投資には現実主義の考え方が必要であり、かつ長期の展望を見通すことのできる原理主義的思考も必要なのである。理想主義者と現実主義者を見分ける方途としても有用である。賢人には個人的にも公的にも投資という行為による修業が課される。それが成果を上げれば、能力があることが具体的に証明される。成果はマスコミや官報を通じて毎月発表され、賢人の人格点に影響する。個人の成果として金銭を得た場合、それは誘惑にもなるため、それをどう使うかでも賢人としての資質が試されるだろう。

  賢人の選出方法を考えてみよう。賢人は事象の表面的な事柄からその本質を見出す能力に優れていなければならず、それは普通の人にはなかなかできないことである。このような能力を測るにはそれなりによく出来た設問が必要であろう。そこで賢人になる可能性のありそうな優秀な子・生徒に対して次のような設問を課して、それを短時間に答えることができる人を選抜するという方法もその1つになり得るだろう。これには正解というものはなく、どの程度鋭い指摘ができるかで能力を判定する。以下の設問は学校で3人以上の教員の監視下で行われ、回答は賢人やオンブズマン、そしてAIによって評価される(100点満点)。その際、氏名・年齢は伏せることが好ましいだろう。1時間で500字以内の文章で答える。言ってみれば「禅問答」のようなものが最高度の設問とされる。以下にはその参考例を挙げる。
 1.歴史的事象を、たとえば戦争を中心に並べ、そこから戦争の原因を探り出す設問
 2.生活問題を挙げて、その解決を求める設問
 3.環境問題を挙げて、その解決を求める設問
 4.遊びの事例を挙げて、その必要・意味について問う設問
 5.数学の手法の意義について問う設問
 6.科学の信頼性と意義について問う設問
  他にも沢山の設問(「問題」ではない)が設定できるだろう。

  賢人の評価をどうすべきかは、賢人という資格を永久的に固定化しないためにも重要である。賢人は人格点制度で定められた資格であり、一般に言う‘賢人’と同義ではあるが、永久的尊称ではなく地位や資格に該当すると考えた方がいいだろう。評価によっては賢人資格を一時的に失う場合もある。そのようなことから賢人の評価は極めて厳正・公平・公明に行われなければならない。賢人評価の項目を挙げてみよう。①人徳性・②実績・③社会貢献の3要素だけで十分であると思われる。既に賢人になる以前に試練をくぐり抜けてきており、その人格は保証されている。あとは賢人になってからの実績と社会貢献で計れば良い。そして欲得(資産形成・昇進欲)の心が生じていないかどうかが検証されれば良いだけである。現代においてはこのような偉人を輩出することは不可能に近いが、未来社会においては積極的に国家・民がこれを評価することで、多くの賢人が生まれることになる。

  ではどういう方法で評価を行ったら良いだろうか。評価は、①国民・②賢人の2つの評価が行われるべきだと考える。これは直接民主主義や真社会主義を実現する上で必要だからである。①の国民の評価は意外に難しい。賢人の全ての行状や業績を知っている人はほとんどいないからである。知らない人物を評価することは極めて難しい(現代の「選挙」はその愚行を実践している)。そのため、評価対象になる賢人のことを多少でも知る賢人の評価が重要になるのである。①の国民による評価はメディアによって該当賢人が話題になったときに、それを読んだ人によって為される随時評価と、該当賢人のことを知る人が直接に行う評価とを分けて判断すれば良いだろう。だが特に後者においては恣意的・組織的に反対派によって行われることも考えられるため、AIによってその評価の客観性が確認されることが必要である。

  AIは評価する人の情報を持っていることから、その評価が恣意的・意図的であるかどうかを判断し、もし悪意に基づく恣意的なものであると判断したならば、評価者の人格点に影響を与えたということを評価者に知らせることが予防の手段となるだろう(「ゲーム理論」)。これは自動的に為されるので費用も手間も掛からない。この通知を受けた人間が抗議することはできる。だがそのことにより、余計に評価者のことが世間に明らかになり、恣意性が今度は国民の間で話題となってしまうであろう。では賢人を知る人が悪い評価をすることが難しくなるという問題が生じるがそれをどう考えるべきであろうか。筆者は正義の観点から、賢人に対して悪い評価をするというのは余程の事が無い限りすべきではないと考える視点から、もしどうしても賢人の振る舞いや行動が賢人に相応しくないと考える人がいたならば、その人は自分の人格点を犠牲にしてでも悪い評価をすべきであると考える。未来社会では正義を行うにも自分の何かしらを犠牲にしなければ正義を貫くことはできない。それは過去においてはもっと過酷であった。②の賢人による評価も同じことが言える。賢人は国内に数万人はいることから、そのすべての人を知る賢人は事実上いない。そこで②の場合でも、随時評価・一部の賢人による評価が基本とされる。賢人の場合は恣意的評価はほぼ無いと考えても差し支えないと思われ、その人格性を信用してAIによる判断は為されない。そのため賢人は自由に他の賢人の評価ができることになる。

  具体的にはノムメディアを用いてパソコンやMD(モバイルデバイス)で評価したい賢人名を検索(賢人はノムメディアのノムペディアに全て人名登録されている)するなりして評価することができる。ノムペディアの当該賢人の記事を参照すると、その生い立ち・経歴が全て参照でき、さらに逸話なども紹介されている。そしてその末尾には評価欄があり、そこに点数(10点満点)を入力して「OK」を押せば良い。評価者のIDが自動的に付されて国家の情報省に送られる。その機密性は厳重であり、送られた情報はAIにしか保存されず、それを人が見ることはできない。AIはその評価を判断し、適正なものであると判断したら当該賢人の人格点に対して評価に応じたプラスマイナスを行う。だがそれは通常ではかなり小さなものであり、1人の評価者の評価は賢人の人格点に0.0001%程度しか影響しない。例えば1万人が良い評価をしたとしても1%程度しか人格点は上がらないことになる。通常はプラス評価とマイナス評価が相殺し合うので、問題はないと思われる。メディアの報道で賢人の評価が上がる場合は余り問題はないが、前述したように特定の集団が恣意的に悪意のあるマイナス評価をした場合にだけ問題が生じることになるが、上述したようにその対策は立てられている。

  賢人の人徳というものはいろいろな要素から判断されるべきである。①他者への思いやり・②物事を俯瞰的に捉えて細かなことに囚われない・③地球>環境>連邦>国家>地域>個人、という優先順位を心得ている・④小さいことでの目立たない善行・⑤人々に感動的な教訓を与える雄弁性・⑥温和な表情と決然とした威厳・⑦人々に勇気と希望を与えるリーダーシップ・⑧決然とした実行力・⑨数々の業績・⑩人の話をよく聞く、等々が考えられる。だが一方、賢人と言えども人間であるから、生理的欲求(食欲・性欲)を否定してはならない。たとえ賢人であっても大食漢であるかもしれず、また浮気をすることもあるだろう。それは人徳とは関係のない極めて個人的なことであって、社会に害を与えるということは考えにくい。メディアはこれらに関したゴシップを大々的に取り上げたならば、その社格はひどく傷つけられることを覚悟しなければならない。ここにもゲーム理論の考え方を取り入れ、社会の自由性を担保して規制をできるだけしない代わりに、評価によって悪の行為を抑えようという手法が採用されている。

  以上で賢人に関する提案とその問題点、そしてその解決法について述べた。賢人政治は過去にも事例はあるが、筆者の提案する賢人制度は個人的な賢人による政治ではなく、人格点制度に基づく制度的なものであって永続性が保証されている。そこに予測していない問題が新たに生ずる可能性は否定できないが、こればかりはやってみないことには分からない。他により最適な方法が見つからない限り、現在はこの賢人による賢人政治が最適な未来社会の政治形態になるだろうと考えている。


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