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【時事評論2021】

社会貢献

2021-12-29
  このところスポーツ選手を中心に、「〇〇に貢献したい」という言葉がよく聞かれるようになった。喜ばしい限りである。筆者は余り社会に貢献できているとは思っていないが、それでも客観的に評価すれば、自分のことよりも仕事(かつての職場)や趣味で社会に貢献してきたという自負はある。一般の人も自分の生活や家族のことよりも社会のことをまず先に考えるようになれば、それこそ日本人として自分を誇れるようになるであろう。昔は「貢献」という言葉を使わなくても、人々は社会を優先するという矜持を持っていた。筆者が幼少の頃までは、「悪い事をしてはいけない」・「ひと様に迷惑を掛けてはいけない」・「世のために役立つ人になりなさい」というような教えがごく当たり前だった。それは戦前・戦中の道徳がまだ残っていたからかもしれない。江戸時代の江戸っ子だったら、「そんなことをしちゃ、世間の皆様に申し訳がたたねぇ」と大見えを切ったことだろう。それは舞台のことではなく、庶民の持つ常識であり、自負でもあった。

  日本人が戦時中に赤紙と称する招集状を受け取ったとき、残された日記の多くでは、ついに来たか、という諦めに似た気持ちとともに、「これで御国の役に立てる」と意気込んだという。また周りもそのことを表向きではあるにせよ大いに喜んで壮行会を催した。それが戦時中の戦意高揚の教育の結果であったとしても、当時の人々は心底からそう思っていたのであり、現代から見ても決して間違っているとは言えない。筆者は人が自分以外の者に尽くすという行為を最大限に称揚したい。現代の個人主義・自己中心主義とは全く相反する考え方をしているからである。現代の世の風潮には飽き飽きしており、殺伐としたものを感じる。そもそも人の行為に感動するということが余りにも少ない。国内ではそれを見ることができず、海外で中村哲のような人がいることを知る。メディアが偏向してしまったために、日本人が日本人の良い点を誇らしげに語ることを止めてしまったのかもしれないが、外国では日本人精神を「サムライ魂」とか、「大和魂」と言って褒めそやす。日本人は純粋で穢れを嫌う。他国では浅ましさというものに対して無感覚になっているかもしれないが、日本人である限り浅ましい思いというものを嫌悪したい。NHKの大河ドラマやその他のドラマを見ても、感動よりも制作者の意図が見え見えな演技に対して白けた気持ちになることが多い。むしろ演技よりもその人物の為したことの意義に感動したりする。その歴史的行跡は脚本や演出、そして演技では変えられないものであり、そのことを想うと涙が出てくることもある。むしろ俳優がその感動すべき事柄を台無しにしてしまっている方が多いのである。

  人が貢献する対象は多くあり、人が人に対して貢献することもあれば(忠君・友情・家族愛・国際的交流)、人が組織に対して貢献することもある(議員・軍兵・猛烈社員)。だが最も崇高でハイレベルな貢献は地球の保全のために活動している人々であり、それは廃水処理に当たる公務員かもしれず、地球環境の研究に当たっている人かもしれないが、最も底辺で地道に活動しているのがボランティアによる清掃活動や違法な密猟を取り締まる国立公園管理者なのかもしれない。だがもっと目に見えない、省資源のために努力している個々の市民やゴミ分別を着実に行っている人々を表彰する仕組みがあってもいいはずである(20.9.27「世界のトップリーダーの人格点」・同「人格点評価を実際の人物に適用して試算 」)

  ノムの目指す人格社会は、こうした目に見えない社会貢献を目に見える形で表彰しようという仕組みを持っている(3.16「人間の心の評価 」)。そのため人格者はより一層社会貢献に励むようになり、それは、行為→報酬→喜び→使命感、という善の循環を形成し、世の中全体が見事な秩序を形成していくだろう。筆者が幼い頃には、日本では家の周りを綺麗に掃除するのは当たり前のことであった。だがその美徳は今は少々失われつつあり、ゴミを見ても拾わない人が圧倒的に多い。筆者は車を運転している際、自宅の周りにゴミがあればそれを拾ってトランクに入れるのが習慣になっている。誰も褒めてはくれないが、それは自己満足的な達成感をもたらす。少しは世の中を綺麗にすることに貢献したという思いである。一日一善を実行したという爽快な気分を味わうこともできる。

  社会貢献には自己満足が必要だが、他者評価も必要であろうと思う(3.16「評価主義の効用 」)。その公平な評価が可能ならば、世の人々は世俗的な欲得からでもよいから、善行を惜しまなくなるだろう。人格点制度はそうしたゲーム理論を基にした考え方から出てきたものであり、決して理想論から出てきた倫理的制度ではない(20.8.30「未来世界における人格点制度 」・3.18「受益者負担・貢献者優遇 」)。多少の弊害も考えられなくはないが、社会貢献をしている人にしか与えられない人格点というものが世の基準になっていけば、世の中全体が良くなっていくことは自明の理である(2.20「理想社会の再定義」・12.19「徳人と賢人の違い 」)


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