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【時事評論2021】

受益者負担・貢献者優遇

2021-03-18
  経済というものの原理は、受益者が利益提供者に対価を支払うというところから発生した事象であると考える。古代において交易が始まったころ、人々は自慢の産物を持って遠くに出掛け、相手が持つ珍しい産物と交換して持ち帰り、それを力の強いものに献上などして信頼という対価を得たと想像される。通貨というものが登場して物々交換から通貨交換になっても、その本質は変わっていない。現代の経済は資本主義に変質したため、余剰利益を生み出すことになった。それは既にデジタル化してヴァーチャルなものになりつつもある。だが経済の本質に戻れば、住民サービスや生活保護という福祉の問題を、もう一度受益者負担の原則から考え直さなくてはならないと考えた。さらにこれを敷衍し、益を生み出していても利得のない貢献者に対して、これを優遇するという方法で報いなければならないとも考えた。以下ではこの考え方について検証したい。

  人が社会を形成し始めた時から、人々の生活が単独に為されることはなくなった。相互に必要なものを譲り合ったりして相互扶助をしていた時代はとうに過ぎ去り、現代は国家や地方自治体が社会全体を制御して必要品の提供がスムーズに行われ、貧しい人には相互扶助の精神から税金で生活を支えるということをしている(1.7「制御思想」参照)。だがそれが制度として固定化されるとともに、個人の権利という概念が持ち込まれたことにより、大きな矛盾が生じてきた(11.27「権威主義・権利主義からの脱却・法律主義から道理主義へ」参照)。特に日本では生活保護者の受給する金額が、最低給与所得者よりも上回ったり、生活保護者が外車を乗り回したり、遊戯に興じたりする現象があまた繰り広げられているからである。これは社会矛盾を通り超して不条理にまでになっており、早急に制度改革を推し進めなければ、財政赤字1000兆円という信じられない事態は改善できるはずもない

  だが現代の民主主義がもたらした人権主義が力を持つようになったことで、不当な生活保護受給者に対して合理的な拒否ができなくなっているというのが現状であり、考え方を根本的に変えない限りこの問題には解決法が無いと思われる。最近の話題ではアメリカの黒人差別問題に絡んで、警察官による被疑者への暴行で死亡した黒人男性に対して、警察を管轄するミネアポリス市が示談により、税金から遺族に対して2700万ドル(約29億円)を支払うことで和解した。市税を納めている市民が暴動を起こしたというニュースはない。つまり人権に対してはもはや絶対的な主張の力が存在していることを示唆している。これに矛盾を感じない人、不条理を感じない人はいないと思われるのに、誰一人として声を上げることはなく、メディアも批判をしていない。その金額の膨大さに、世間はまるで人気野球選手の契約金と同じような反応を見せている。それは日本においては生活保護に対する批判がないのと同様であり、人権に関することについては誰もまっとうな意見を出せなくなっている。

  こうした現象はマクドナルドの珈琲ヤケド事件(1992年)辺りから顕著になってきており、もはや道理も常識も通用しない経済がはびこっていることが現実になってきた。筆者はこれらの不条理を不条理として非難するとともに、その改善策を未来の思想に求めようとしている。それがテーマに掲げた考え方に代表されるものである。上記事例に対しては「被害者責任」・「第一原因者責任」という新しい考え方を適用すれば、誰もが納得する結論が得られるであろう(23.12.9「第一原因者はハマス」)。たとえば殺された黒人の場合、警察側から見れば疑いを掛ける理由が明確にあったことから、黒人の側にも責任があったと見做され、また示談で和解するにしても、その賠償額はその黒人が残りの一生に稼ぐことのできる予想賃金内に収めるのが妥当であろう。珈琲事件では責任はこぼした本人にあると考えるのが常識であり、店側に責任があるとしてもその責任は5%程度であろう。ヤケドの治療に1000ドル(判決では20万ドル)掛ったとして、店側の賠償は50ドル程度と見做される。だが陪審員による評議の結果、被害者に20%、マクドナルドに80%の過失があるとした。さらにこの裁判では懲罰的賠償と称して270万ドルが追加され、それが国にではなく被害者に支払われた。日本でこの事件は「コーヒーをこぼしただけで、裁判で3億円(16万ドル+270万ドル)もの賠償金を得た」と、訴訟大国アメリカを象徴するものとしてテレビ番組などで取り上げられた。

  筆者はこれらの事件をみてアメリカの民主主義の破綻、そしてアメリカの衰退を予感した(20.7.16「自由主義と民主主義の破綻」・20.11.4「米国大統領選挙に見る民主主義の破綻」参照)。このような不条理がまかり通るような世の中はもはや狂気を呈しており、長くは持たないだろうと考えたからである。

  では正常な社会ではどういう考え方をすべきか、という課題に取り組んで見よう。現代でも日本では対物・対人交通事故を起こした加害者・被害者に対しては、責任按分の原則を適用している。従来は目撃者の証言や状況証拠からしかその責任を問うことができなかったが、今日では車内モニター画像や道路の監視カメラなどからかなり客観的な判断ができるようになったと思われる。未来世界に於いては、これらの科学的証拠とともに、状況論的・道理的判断も加えて事件の双方の責任按分を決めるということになるだろう(3.?「未来世界の経済における「相対比按分」の考え方」参照)

  本題の「受益者負担」という考え方についても、益を受ける全ての事例に対してその負担を考案すべきであると考える。たとえば、道路を利用するという受益に対しては市民税という負担が該当するので、それ以上の負担は必要ない。だが喫煙者が特定の喫煙場所でタバコを吸う場合、1回につき100円程度の受益者負担を求めるべきである。そしてタバコ税は廃止する。この支払は喫煙場所の管理者に対し8割、役所なりの健康維持課などに2割が回される。そうすれば双方、あるいは社会全体に利益(負担)が還元されることになる。喫煙者にとってもタバコ税が無くなることは大いにメリットがあり、公共の場での喫煙に対する罪悪感も解消されるであろう(筆者は喫煙者であるとともに積極的喫煙擁護者である)(21.7.18「喫煙の効用」)

  この考え方に従えば、全ての施設の利用料(公共施設の見学料・寺社の拝観料)が合理的に説明できることになる。逆に言えば無料による受益は許されないことにもなる。災害地に於ける無料支援物資配布ということにも、後での費用回収を考えるべきであろう。生活保護者に対しては、その能力に応じた貢献を求めるべきであろう。また個人的嗜好に基づく贅沢品の所持(前記した外車所持はこれに該当する)は生活保護の資格を失う要件となり得るであろう。ただし、テレビと喫煙だけは生活を正常に保つ要件として認められる。それはストレス解消に役立つからである。

  貢献者に対しては、逆に社会が報いを与えるために優遇措置を施すのが良いと思われる。これは社会が褒美としての金銭を与えるよりはるかに効率的で社会の負担が少ない。優遇措置にはどういうものが考えられるかというと、公共施設入館料無料資格であるとか、公共交通機関利用料の割引であるとかが考えられる。貢献をどう評価するかは難しいので、未来世界の人格点制度を活用し、人格点のレベルによって優遇措置の程度を決めれば良いであろう(20.8.30「未来世界における人格点制度 」参照)。たとえば公共交通機関である電車を利用する場合、それが民営の会社が運営するものであっても、人格点の高い人は一定の割合で利用料が割引される。未来世界では体内埋め込みICによってカードをかざす必要もなく改札を通ることができると思われるが、客観的に見てもその優遇の有無を知ることが他者にはできない。つまり差別感を国民に与えることはない。喫煙場所に出入りする際も公共施設に入館する場合も同じである。この仕組みは国民に人格点による差別感をもたらさないというところが優れている。差別感があった方が、人々に人格点向上の意欲をもたらすかもしれないが、それよりも差別感により生ずるストレスを避ける方が賢明であると思われる。

(24.2.27追記)


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