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【時事評論2021】

徳人と賢人の違い

2021-12-19
  社会貢献の視点から観た場合、少なくとも働いている人は何らかの貢献をしていることから、その貢献度には余り差がないようにも思えるが、滅私奉公のようにひたすら社会を良くしようと頑張っている人と、自分の利益や家族の利益を優先して他者を顧みない人とでは、未来世界の人格点では相当の差がついても当然であろう(20.8.30「未来世界における人格点制度 」)。また周りの評判が良い人であったとしても、その影響範囲が数十人程度である人と、社会的地位が高くて大きな良い影響を与えている人ではやはり人格点の差をもうけるべきだという考えは正しい。未来世界では人々は平等ではなく、その人の働きの良し悪しで評価が決まり、その評価は人格点という形で表され、その人格点に応じた権利というものが生ずる

  そうした未来世界の考え方からすると、単に良い人という評価を得ている徳人と、滅私奉公して社会に貢献することを使命としている賢人とでは、雲泥の差があると考えるべきである。そこで徳人と賢人の違いを明らかにしておきたいと考えた。

  最初に徳人という人はどういう人を指すかを考えてみよう。人から「あの人は徳人だ」と褒められることは現代ではほとんどない。現代は人の徳を評価しないからである。逆に人をそのように褒めることも滅多にない。だがおそらく明治の頃まではこの言葉は生きていたのかもしれない。少なくとも江戸時代の文献にはこの言葉が登場する。農家で努力している場合、「徳農家・精農家」という表現が使われた。昔は庄屋や名主と呼ばれた人が村などを取り仕切っていたが、その多くは村人のことを考えていた。中でも村の人が感謝するほどに献身的に村人のために尽くした人を「徳人」と呼んだ。現代でもそういう人はいるかもしれないが、どういう言い方で褒めているのだろうか? 単に「いい人なんですよ」という程度で済まされるのではないだろうか。ということは、徳人という言葉には相当人から称賛されることをした、という意味合いが込められているような気がする。このような人を未来の人格点で評価したとすると、必ずしも高得点になるとは限らない人格点では、①普段の回りの人の評価・②社会的貢献度・③社会的影響度・④学歴・⑤苦労の経験、などが評価されるが、賢人の場合はこれに加えて、⑥試練の経験が評価対象になる。これは賢人候補に特別に与えられるものであり、一般の人にはこれがない。そのためどんなに徳の高い人であったとしても、おそらく80~90点程度になるだろうと思われる。

  賢人となると、まず最初に自分の利益よりも他者の利益を優先することが求められる。つまり社会貢献に使命感を持っていなければ候補にすらなれない。その覚悟が問われるかどうかが徳人との違いとなる。そしてその覚悟があったとしても、試練などを乗り越える意思の強靭さが求められる。ノムの構想では、その試練には、①1年間程度の貧民街での持ち金無しでの生活・②自然生態系での1ヵ月程度の生活・③投資経験・④組織運営経験、などがある。①の貧民生活の経験では、貧民の気持ちや境遇を学ぶ。②の自然生態系での生活では、その仕組みや恐ろしさを学ぶ。③投資経験では直観力と決断力を学ぶ。④組織運営経験では組織指導力と人徳を得ることを学ぶ。そうした一般の人では学べないことを網羅的に学んで身に付けることで、人の尊敬度が増すことになる。これらは昔の帝王学に相当するようなものであり、ノムはこれを「賢人学」と呼びたい。

  以上から分かることは、一般人の中に多く見られる徳人と、強制的訓練を受けた賢人とは、比較できないほど大きな違いがあるのである。さらに一般人にはない選別という試練を賢人は乗り越えなければならない。どんなに自分が努力していると思っても、他者がそれを高く評価しなければ賢人にはなれない。ノムが想定している賢人はおよそ10万人に1人の割合で選別される。未来世界ではほとんどの人が真面目に働き、社会に貢献しようとするだろうが、その中から選別される賢人は、日本で言えば二宮尊徳や渋沢栄一のような傑出した人材を意味するだろう(20.10.19「二宮尊徳の偉業 」・3.5「二宮尊徳の思想と精神 」・11.27「渋沢栄一という英傑 」)。現代に賢人に相当する人は居ないと考えるべきである。それは未来であればこそ生まれ得る存在なのである。


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