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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2024】

使命観(使命感)

2024-04-27
  人間がうまれてきたときは単なる動物であるが、養育期間を経て人間になる時(時期)がある。それは人間の言語を習得し始めた3歳頃と考えられる。3歳まで動物に育てられた人間の子どもはその動物になる(22.12.4「教育論」)。養育期の子どもは言語の学習だけでなく、さまざまな社会行動を学ぶ。サルに育てられた子は四つ足で歩く。人間に育てられた子は二本足であるくようになり、その後言語を話し始める。そして学習が進むと、社会の中でのアイデンティティーを求めるようになり、仲間が生じる。その仲間の規模はさまざまであり、少数の友達の場合もあれば、社会全体と考える場合もある。愛国教育が徹底するほど、後者の方に近づく。そして社会全体を仲間と思うようになると、自分の使命は何か、という探索が始まる使命感はこうした中で育まれるものであり、少数の仲間を相手にしているレベルでは生じるものではない

  ノムの使命観は以上のようなものであり、使命感というものは誰にでもあるというものではない。ある意味では特殊な状況にある人が感じるものであり、そうした人は何かに集中することで、社会的に大きな仕事をすることがある。偉人の多くは、それが善であっても悪であっても使命感を持って行動するプーチンには誇大妄想から出てきた自分の使命感があると思われ、それは既に狂信的になっており、世界を破壊する方向に進んでいる(22.8.4「プーチンのノボロシア妄想」・22.10.2「プーチンは単なる妄想家か、希代の戦略家か?」・23.2.25「プーチンの聖人妄想」)。それは必ずしもプーチンだから持った使命感ではなく、歴史的に彼に偶然与えられたと見ることもできる。つまり時代の要請から必然的に生まれたものであり、たまたまプーチンがその役割を持てただけの話である。だからと言って、プーチンの罪は逃れられるものではない。彼は最も惨い仕方で処罰されなければならない。あるいは国民からそうした仕打ちを受けるであろう。ムッソリーニのように。

  オッペンハイマーはある意味では悪い動機から、善なる使命を抱いた。悪い動機とは仲間の研究者への嫉妬であり、功名心であった。だがユダヤ人として、ドイツが先に原爆を開発する前に、この終末兵器を開発しなければならないという使命感を持ったことは疑いようがない。そして彼はそれをやり遂げ、芯から満足したに違いないが、それが実際には日本に落とされたことで、当初の使命が打ち砕かれ、慚愧の念に囚われるようになった。彼が1960年に来日したとき、「後悔はしていないが、悲しんでいないということは意味しない」と複雑な心境を吐露している。そして広島・長崎を訪問することは無かった。後年は水爆反対派として国家に目を付けられ、社会から疎んじられたことで不幸な晩年となった。彼もまた歴史の中の英雄であり、悪役でもあった。現在、彼の生涯を描いた映画が大ヒットしているが、人々が彼に持つ関心の深さが覗える。人々が彼をどう評価しているか、気になるところではある。彼を裁くことに意味はない。彼は歴史の役割を演じただけであり、彼が日本に原爆を落としたわけではないからである。むしろ計画を推進し、命令を下したレズリー・グローブス 陸軍准将(当時)の責、そしてそれを承諾した当時のトルーマン大統領の責を求めるべきであろう。

  スパイという仕事は相当な使命感を持っていないと務まらないと想像される。あらゆる悪を手段として行い、人を殺すことをも厭わないとされる。そして多くが崇高な使命感を持っており、拷問にも耐えるという訓練をされる。決して組織のことを話さないというのが至上命令であるという。彼らは彼らなりに使命感を持って仕事に当たっているわけであり、家族にすらその仕事については話さない。つまり2つの人格を使い分けるという非常にストレスの多いものである。プーチンは若い頃にKGBというソ連時代の諜報機関に憧れたという。恐らくその使命感を崇高でかっこいいと思ったのであろう。そして実際にKGBに就職し(この組織は自分から就職を申し出ることはできないそうで、KGBが目を付けた人物に就職を打診するという方法を取っている)、そうした任務を着実にこなした。だが1990年に赴任先の東ドイツのドレスデンでのデモに衝撃を受け、使命観を変節させた。同年に政治家を志し、権力を獲得することに邁進し始めたのである。トップにならなければ、思うようなことはできないと考えたようだ。彼は使命観を変節させたのであって、捨てたわけではない。今でも妄想の中にその使命感は生きている

  以上のことから分かるように、使命感というものには善悪はない。一途な目的心があるだけであるその目的が何であるかによって、それが善であるか悪であるかの分かれ道となる二宮尊徳は幼少の頃に水害にあって田畑を失い、実家では養えなくなったので叔父のところに預けられた。そうした悲惨な運命を体験したが故に、少年の頃には堤に桜を植えることを始めたという。青年期には荒地を開墾して田を増やし、篤農家として成功した。だが資産を自分のために使わず、他の困っている人を助けるために使ったとされる。生涯に600の救貧事業に打ち込み、人々から絶賛され、小田原藩に認められて武士に抜擢され、ついには幕臣にまでなったが、その全てを事業に費やし、死んだ後に彼の資産は無かったという。だが彼が残した遺産は全国に及び、戦時中の小学校には薪を背負って本を読む尊徳像が全国に見られた。彼は真の意味で他者や社会に貢献する英雄となったのである(20.10.19「二宮尊徳の偉業」・21.1.30「英雄論」・21.3.5「二宮尊徳の思想と精神」)

  ノムが使命感を自覚し始めたのは、割と最近のことであり、数年位前からであるように思える。それまでは、関心の強かった環境問題の延長線上の思考として、思考を重ねてはきたが、それを使命と思ったことはない。単なる好奇心から始まっていると思っている。「使命」という言葉には、それを与える別の主体が必要であることもある。スパイの場合は「国家」がそれに当たる。自爆殉教者の場合は、アッラーの神がそれに当たる。だが二宮尊徳やノムの場合はそうした命令を与える主体はなく、自覚が使命を生み出したと言えるだろう。ノムもブログを始めてからも暫くはそうした使命感というものを意識したことは無かった。だが、なぜ個人としてこのようなことをしているのか、一体何のためにしているのか、なぜ継続しようという意思が働くのか、といった疑問が無いわけではなかった。そしてその原動力が「使命感」であることに、最近気が付いたということになる。

  使命ということは時に大きく評価される。歴史上の偉大な人物に使命感があったかどうかという議論はほとんどなされていないようだが、使命感があったからこそ、最後まで意思を貫くことができたのであろう。特に善なる評価を受けている場合に、使命が強調されることが多い。だが本項の議論から分かるように、本来は使命そのものに価値があるわけでもないし、まして善悪は関係ないのである。結局はその人の気の持ちようということになる。だが何かを成し遂げようと志す者には、この使命感があった方がどれだけ力になるか計り知れないほどである。かつて、「Boys, Be ambitious!」と札幌農学校(後の北大)に赴任した宣教師で学者のクラーク先生は言ったというが、その後に「in Christ」という言葉が続いていた、という説がある。その場合、クラークはキリスト教の神から遣わされているという意識を持っていたと考えられる。そしてその一言は日本中に知れ渡り、多くの人を励ましたのもまた事実である。だが残念なことに、彼の晩年は不幸であったという。使命感はその人の幸不幸とは関係のないものである。

  ノムの使命観はある意味で悟りきったものである。世界が崩壊し、人類文明が崩壊することを確信しているがゆえに、そうした悲惨な状況を招いた人類の愚かさを嘆くとともに、そのことをあらかじめ予言していた人間も居たのだ、ということを証明したいと思っている。ブログという手段で、人々にそれを伝えたいとは思っているが、残念ながら反響は思わしくない。だが記録とノムの主張だけは、核戦争が起こっても残るように手配はしている。ブログ自体は一瞬にして消え去るだろうが、『メモ書き』という形で電磁遮蔽した箱の中のSDカードに残るだろう。誰がそれを開くことになるのかは、運命に委ねるしかないと考えている(20.11.7「運命論」)

(3.23起案・起筆・4.26終筆・4.27掲載)


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