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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2022】

教育論

2022-12-04
  ノムは教育を職業としてきたのに、これまであまり教育論を論じてこなかった(20.11.26「性教育の在り方」・20.12.3「未来の教育」)。だが未来世界を論じる時に、最も大切なのは教育であることに改めて気が付いた。そこで総論的な教育論を論じてみたいと考えた。以下では教育の意味と必要性、子どもらの置かれた状況、教育制度の現状、未来の教育、というように文節を分けて議論していきたい。

  人間の脳の発達段階から考えると、教育は胎教から始まると言っても良いであろう。これについては前項で詳しく述べたのでここでは再論はしないが、妊娠中の両親の生活のありようや、胎児との会話などが子どもに大きく影響を与えていることが近年になって科学的に明らかになってきている。

  教育というものは生物が生きていく上で本能的に持っているものに、親からの伝承として伝えられるものであり、高等動物になるほどその重要性が増す。特に知能を持つ人間の場合は、その期間が長く、多くの国で15歳程度までの義務教育が施されている。人間の成長過程という視点から見ても、第二次性徴を示す14~16歳位を境目としており、5歳位から労働は可能にはなっても、脳的成熟はやはり第二次性徴以降とされ、体格的には18歳以降を大人と称するのが普通であろう。そこで多くの国で未成年、成人の区分けがなされているが、古代に遡ると成人と認められるための儀式があった。それは必ずしも年齢に直接は関係していない場合もあるが、多くの場合はやはり15歳位の頃が多かったであろうと思われる。

  人間は教育によって初めて「人」となる人間界の教育を受けなかった「オオカミ少年」は狼になる。5歳を過ぎてから人間教育を受けさせても完全には人にならない。そのため世界各国では教育を重視するが、その制度や教育内容には大きな違いがある。世界には貧困や紛争により孤児となる子が多く、ユニセフの2020年統計では270万人以上とされており、実態は不明と言っていい。このような施設保護の子らにもある程度の教育は施されているのだろうが、問題は国籍すら無い400万人以上の子らや、放浪孤児らであろう。こうした子どもたちが未教育のまま大人になったときのことを考えるとそら恐ろしい。勿論未教育であっても言葉だけは話せる。それは人間界で生きてきたからである。だが算数・道徳すら知らない子らが大人になってから学習することは極めて難しい。だがこうした子らが犯罪に走るという例(ニュースなど)はほとんど聞いたことがなく、これもまた実態は不明である。そうした統計をまとめることに教育界が不熱心であることが原因であろう。   

  義務教育も社会によって制度は異なるが、日本の場合は6歳から12歳までを初等教育と称して小学校が設けられている。13歳から15歳までを中等教育と称して中学校が設けられており、16歳から18歳までを高等教育と称して高等学校が設けられている。すなわち、法的には中学までを義務教育としているが、事実上高校まで進学するのが普通となっている。それ以上の高等教育制度としては、専修学校・専門学校・高等専修学校(高専)・大学・大学院、などがあるが、どれを選択するかは自由となっている。ただ収容人員の関係から入学試験という選抜が行われることが多く、より良いと評価されている学校を目指して受験勉強という個人的努力も強いられているのが現状である。学校を修了して就職してからも勉強を続けたいということで学校に通う人もいれば、中学生くらいでプロの棋士になって大学まで進学する者も出てきており、プロの棋士という存在は、義務教育課程での就労の禁止規定には触れないようである。尤もノムはもっと早くから、小学生でもちゃんと学校で勉強をしていれば、就労は構わないと考えている。未来にはそうした必要も出てくるだろう。

  未来世界では教育が最大の課題となるだろう。未来の人々の生活は安定し、競争が限りなく抑制された世界では、人はゆったりとした時間の中で自分の趣味や農芸に時間を多く費やす。人口減を目指す政策から、子どもを産むことが制限されるだろう。中国の一人っ子政策がその実験例となったが、成長過程にあった中国では、一人っ子は甘やかされて育って良い結果とはならなかったようである。やはり教育には公平性が必要であり、家庭の経済事情で就学が左右されるのは良くない。未来世界では政策的に「二人っ子政策」もしくは「三人っ子政策」が取られるだろう。平均的に2.0の出生率となれば、人口増は抑えられるからである。だが未婚率や不妊率が高まったりしたならば、二人っ子政策では急激な人口減になりかねない。ノムとしては「三人っ子政策」が最も妥当だと考えている

  近年の日本に於ける未婚率や不妊率の上昇は、未来を予告しているように思える。それは人間の環境適応の結果、もしくは進化過程なのかもしれない。人間界では知的本能が生存本能や生殖本能を上回っており、生殖に重きが置かれないようになっていくだろう。その結果必然的に少子化が起こると思われる。生まれた子が少なければ、それだけ相対的に子どもへの投資を増やすことが出来、親が子どもに接する時間も増えるだろう。そうした場合には、家庭内教育がより重要になってくる。特に幼児期だけでなく、就学期においても家庭の学校との連携が重要になる。宿題を家庭教師に任すのではなく、親が共に子どもと一緒に学ぶという姿勢が求められるようになる。

  未来世界の教育では、集団学習と個人学習の両方に価値を置く。人間が社会的動物であり、高度な社会を形成して順法精神が求められていることから考えても、集団学習は非常に重要である。ナチズムのヒトラーユーゲントや、ソ連のピオネールなどの悪しき例や、現代中国に於ける「愛国教育(紅い教育)」は全く間違ったイデオロギー教育を施して失敗した(20.4.15「世界は新たなヒトラーを生み出しつつある」・21.11.30「なぜ人々はヒトラーを選んだか?」・11.24「中国の紅い教育の是非」)未来世界では科学的な観方を養い、イデオロギーに偏らない教育方法を採ることになる。物事の正悪を断定せず、客観的で道理的なモノの見方を養うようにする。徒党を組むことを良しとせず、自分の合理的判断が出来るように教育する。そのための具体的方法をここでは詳論することはできないが、このような方針に沿っていけば、自ずとその方法論は定まってくるであろう。教師は指導要領のロボットになってはならない。教師自身に高い人格点が求められていることからして、教師は子らに高い理想と道徳的規範を説き聞かせることに重きを置くだろう(20.8.30「未来世界における人格点制度」)特に重視されるのが社会への貢献であり、利他精神である。そうした教育が行われれば、世界は自ずと良い協調の精神に満たされていくだろう(20.10.4「「人類運命共同体」の嘘と真実」・21.8.4「攻撃的人間と協調的人間」・11.16「アリとコオロギから共生の在り方を学ぶ」)


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