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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2020】

二宮尊徳の偉業

2020-10-19
  二宮尊徳は日本の偉人であるが、筆者は執筆を始めた2010年末までは、小学校の頃に習った歴史上の偉人でしかなかった。執筆の中で彼のことを調べ始めたことで、彼が日本政府が戦時中まで称賛した偉人である理由が分かってきたこと、彼の偉業は世界史に残るほどの意義を持つことを見出したこと、は筆者にとっても大きな前進となった。彼がその偉業を「思想」の下に行ったことは重要な視点となり得る。その思想の主たるものは『論語』から学んだと思われる。論語は当時の武家にとって素養でもあったが、農民出身の彼がそれに触れることができたのは、父親が篤農家であったためか父親自身が学び、また子に教えたからであろう。
 
  尊徳の思想は具体的に「報徳仕法」という形で表されている。そこには「報徳思想」というものがあった。その神髄は「分度」と「推譲」であると言われる。「分度」というのは分に応じた生活を守るということであり、「推譲」というのは余剰を自分のために使うのではなく、拡大再生産に充てることを指すと言われる。彼はそれを武家の貧窮の救済に適用して成功した。その評判は瞬く間に領主に伝わり、農民から武家に身分を引き上げられ、領地の各所の貧窮を救った。さらにその評判は幕府にまで届き、幕臣に引き立てられて日光など天領の立て直しに当たった。事業のために家財一切を売り払ってこれに充てたため、最後に自分のものは何も残さなかったと言われる。だがその意思や思想は息子や弟子に伝えられ、今もその精神は脈々と日本人の中に息づいていると思われる。
 
  前項において教育の大切さを書いていたとき、彼のことを思い出して是非世界に伝えたいと思った。彼のように自分を捨てて他者のために尽くした偉人というものを他に見出し得ていないからである。彼は体躯も立派で2m近い身長の大男であった。その体力を使って一人こつこつと荒れ地を開墾し、それを貸して洪水で失った財を立て直した。もともと富裕な農家の生まれであったため、家を再興することが彼の最大の願いであったのだろう。その努力が実り、土地を買い戻して家を再興した。だがそれで満足することが無かったのが彼が偉いと言われる所以である。当時の貧しい農民の救済に生きる意味を見出したようである。彼の人柄と実行力を慕って多くの弟子が集まった。生涯で600もの再建事業(現在で言えば「村おこし」)を手掛け、幕府から命じられて他領地に赴いた際には家財を全て売り払って任地での事業に充てたとも言われる。自分の資産を活用しただけではとても大事業はできない。彼は富裕農家からカネを出させることにも長けていた。それは思想があったからこそ説得力を持っていた。そして事実多くの富裕農民が自分の村の再興のために何百両(幕末で100万円くらいか?)もの大金をつぎ込んだのである。彼は官舎に住んでいたため、死んだときには何も資産を残さなかった。
 
  ひょんなことから筆者の祖先が二宮尊徳の弟子の一人であったようであることが分かった。その弟子の苗字は筆者と同じであり、親戚からそのような人物が祖先にいたことは話に聞いていた。その弟子は最初尊徳と天才ぶりを張り合う関係だったが、温泉宿で尊徳に初めて出逢って、語り合ったことでその魅力に敗けた。以来、富裕な農家(もともと武家出身であるが、訳あって名主に養子として入った。教養は抜群であったという)であったため、尊徳の愛弟子として活躍したようである。自叙伝を残したためにその詳細が明治時代に高名な社会福祉活動家により纏められて出版された。筆者にも縁が深い人物であることは数年前に知った。それ以前から彼のことは未発表論文として「二宮尊徳の偉業」として2014年にまとめていたが、まだ未完成である(6897文字)。それほどに彼の偉業はすごい! まさに日本人の特徴を余すところなく発揮した偉大な人物であり、世界史に残る人物が日本から出たことに大きな誇りを感じる。
 
  筆者は今、孫の面倒を看る歳になっているが、自分が育てられた頃に親のことを十分に配慮しなかったことを悔いている。旅行に出かけた時に両親に土産を買った記憶すらない。だが昨日、静岡に仲間と旅行した息子が魚の干物を土産に沢山買ってきた。親戚と合わせて3軒分に相当する量である。ほとんど会話らしい会話をしない面白くない息子だが、ちゃんと親などに気を遣っていることは感心する。私などよりはるかに人間ができている。そんな息子を育てた筆者の教育は間違っていなかったと自分に自信を持つとともに、もっと自由に伸び伸びと育てれば良かったかなと反省することもある。そこで今は孫を相手にそれを実践しようとしている。話がいきなり卑近なつまらないことに飛んでしまうが、人を育てるというテーマの一環であるとご容赦願いたい。
 
  筆者は孫の相手をするとき、孫の心理状態を観察しながらゲーム理論を応用して孫をコントロールしている(9.16「「ゲーム理論」とは何か?」参照)。孫が何かに熱中しているときはやらせるままにし、飽きるまで待つ。そろそろ飽きてきたかなと思ったら、気を他のことに向けさせてその遊びを中断させる。おやつなどを使うのもいい方法である。おやつは孫を躾ける餌だと考えている。乾し昆布の小さいかけらを与えて味を覚えさせ、孫の方から欲しがるまで与えない(昆布は健康にすこぶる良い)。欲しがったら1つのことをさせることにしている。今は私のほっぺにチューをさせている。最初は嫌がったが、今では自分からするようになった。筆者が作った自家製のビワのシロップ煮を与えるときは、床に座って両手を組ませ、「いただきます!」と私が言ってから自分で皿からスプーンで取らせる。必ず2つにし、1つ目を食べさせてから少し間合いを取る。「もっと食べる?」と訊くと必ず頷く。まだ言葉が喋れないからである。その時の表情は実に無邪気で可愛らしい。食べ終わるとまた手を組んで、私が「ごちそうさま!」と言う。こっくり頷くところがまた可愛い。 
 
  幼児の頃は親の躾の仕方でどのようにでもなる。わがまま放題に育てればそのようになり、生涯人に威張り散らすような偉ぶる人間になるだろう。あまり厳しくするのも考え物だが、厳しく育てられて悪い人間になったというのは少ない。但しそれは愛情があってこそであり、親が自分のために子に当たり散らすような育て方は厳しいというものではなく、冷酷と言えよう。最近の若い無節操な夫婦にはそのような育て方が見られ、幼児虐待が絶えない。携帯電話に夢中になって子供をほったらかしにする親を良く見かけるが、筆者には信じられない。私だったら絶えず子に話しかけて会話を楽しむだろう。孫が遊びに飽きたらオモチャを買い与える爺・婆が多い。筆者は自宅にあるモノをオモチャにして遊ばせる。1つの遊ばせ方に飽きたら、それを違った使い方をすることで別な遊び方を工夫する。その都度2歳の孫は喜ぶ。それがまた飽きたら、別な道具を取り出す。だから我が家には孫のために買ったオモチャというものはごく少ない。
 
  人は人に育てられて人になる。その育て方によって人はどのようにでもなる。世の中が賢人を育てるようにすれば、世の中自体が賢人の持つ有徳を学び、それを価値観として持つようになる。大人がそのような価値観を持つようになれば、子どもらもまたそれを受け継いでいく。そうして好循環が世の中に浸透していく。そうした効果によって日本人は武家の矜持から庶民へと他を思い遣る心が育まれてきた。それが現代になっても、「日本人の優しさ」・「日本人の他者への配慮」・「日本人のおもてなし」というものになって残っている。この民族性が養われるのには数百年の年月が必要であった。多分縄文時代からそのような心があったと想像されることから、数万年なのかもしれない。国民性は簡単に変えられるものではないが、民度は比較的容易に変えられる。その変化は価値観を変えなければ不可能であり、その価値観は単に道徳というような単純なものではなく、思想そのものによって根拠が与えられていなければならない。筆者の説くノム思想は科学的なものでありながら、社会の道徳をも規定する力をもっており、しかも誰しもが納得できる普遍的な性格を持っている。ぜひともこれを世界に広めて、人類共有の財産としたいと願っている。
 
 
 
 
 
 
 
 
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