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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2023】

【時事短評】メディアが視聴者を意図的に扇動

2023-11-12
  最近のインフォシークの国際報道を見ていると、タイトルが非常に扇動的になってきているのを感じる。記事内容がタイトルに相応しい内容になっていないこともあり、視聴者を愚弄しているのではないかと感じることもある。さらに加えて最近、記事の間に頻繁にコマーシャルを入れるようになった。記事が終わったのかと思うと、広告の後に記事が続く場合が多い。すなわち必ず広告を見るように仕向けているのである。ある記事では、記事の間に明らかなコマーシャルが2つ、ほとんど関係のないイメージ写真が30枚も入っていた。読者を愚弄しているとしか思えない。この忙しい現代で、こんな下らない記事に付き合っている暇はない、と思いながらも、呆れて調べた結果である。そして結局、タイトルで惹き付けた知りたい内容はほとんど書かれていなかった。最後は尻切れトンボのように、またも広告で終わっている。間に「広告」と薄く小さく書かれた部分がある。そこは空白になっており、実際に広告らしいものは載っていない。だがこれはノムが広告拒否設定をしているせいかもしれない。

  他のメディアでの傾向まで調べた訳ではないが、最近は記事を読ませるためにどぎついタイトルを付けたり、誤解させるようなタイトルを付けることが多くなっているように思われる。本日のインフォシークニュースのタイトルの中に、『イスラエルが「死刑執行」宣告の訴えも 数千人退避のガザ最大病院』というものがあった。このタイトル自体の意味も不明であるが、イスラエルがガザの住民に対して死刑宣告したのか、と思わせるようなタイトルである。読んだ結果、結局イスラエルはそんな宣言を出してもいないことが分かった。つまりこれも、視聴者を誘導するために仕掛けた罠であることが分かったのである。

  ガザでの出来事の報道の仕方で、国民の感情が揺さぶられている。多くはハマスなどから寄せられた市民の悲惨な状況動画であり、世界中の人々はそれを見て、パレスチナに同情を寄せ始めているようだ(《国際》11.1「欧米でユダヤ人に対する卑劣な攻撃」)。11日にはロンドンで30万人規模のパレスチナ支持デモがあったと、JNN(TBS NEWS )が報じたが、そのタイトルでは生粋の白人である英国人がデモをしているかのような誤解を与えている(《国際》11.11「ロンドンでガザ即時停戦求め30万人がデモ」)。調べてみると、ロンドンは今や昔のロンドンとはまるで人種が異なっており、人口880万人のうち、移民が55%の480万人にも膨れ上がっているようだ。その成人のうちの10分の1がデモをすれば、軽く30万人に達することになる。報道はこうした背景を知らせる上でも、デモに参加した人々の人種別の推定を知らせるべきだった。移民の中のイスラム系住民がデモをしたなら、そういうこともあるだろうと納得できるが、生粋のイギリス人がデモをしたとなると、「なぜ?」という疑問が湧く。

  メディアは視聴者を感情的に扇動している。事の本質を視聴者に知らせるというメディアの本来の役割や責任を放棄し、読ませるためにきわどい表現やむごたらしい写真を多用するようになった(22.7.19「メディアの役割と責任」・22.9.21「社会にとって有害なメディア報道」)。しかもほとんどがパレスチナ人記者による映像が中心であり、当然の結果としてハマス、もしくはパレスチナ人が被害者であるかのような報道になっている(10.24「ハマスの正体とその変貌」/《国際》10.30「ジャーナリストの発信基地はガザ南部のハンユニス市のナセル病院 」)。本来は第四次中東戦争の時もそうであったが、イスラム教徒がユダヤ教徒に対して行っている「奪った土地から出ていけという闘争」であり、イスラム側からの一方的反撃が直接原因であった。しかもその反撃の様は、大義ある闘争・大義ある戦争のようではなく、残虐さを示して世界にアピールしようという意図の下に行われ、現実を受け入れて共存しようという気は全くない(3.30「大義・中義・小義」・10.14「イスラエルとハマスのどちらに大義があるか?」)。メディアを利用した戦略であった(《国際》11.3「ハマスの残虐性は命令によるものだった」)。そうした攻撃をしなければ、イスラム教徒とユダヤ教徒の共存も可能であったかもしれないのである(《国際》10.28「イスラエルにもユダヤ系・アラブ系が共存する村がある」)

  ある意味ではメディアは戦争を浴しているのかもしれない。戦争になれば、人々は情報に飢えて、メディア報道に頼らざるを得なくなるからである。メディアは益々力を得て、状況を操作することをも企図するようになる(22.9.28「権力化するメディア」)メディアの宿痾といえばそれまでであろうが、現代に於いてもそれが続いているという現実にやるせなさを覚える。現に戦争が起こっており、それでなくてもメディアは肥え太っているのに、さらに広告収入で儲けようとしている日本のメディアは、大手プロダクションのジャニーズ事務所からの人材派遣(有名タレントの出演・インタヴューなど)を失いたくないために、そのトップの社長が少年であるスターの卵に対して性的虐待を行っていることを知りながら、報道しなかった。結局これを報じたのは、そうした利害関係にない英国のBBCであった。BBCとしてはこれを報じることで大きな利益を上げることができたのであろう(《国際》10.31「BBCが偽善的な「善悪判断回避報道」を主張」)。日本のメディアはニュース価値の大きい獲物をわざわざ見逃していた。自分たちの立場に不利がもたらされるのを避けるためである。弁護士の北村晴男は12日1面のコラムで「メディアはジャニーの共犯者」と題する記事を書いた。納得のいく論である。

  最近のニュースは、取り上げられるネタに偏りがあることもさることながら、それ自体にフェイクと称される嘘や偽造があることを懸念せざるを得なくなってきた(9.26「ディープフェイクの脅威」)。中には興味本位なのか、営利的なものなのか不明だが、幼児や少女などの性器を生成AIで合成してネットに流していたという事件も起きている(6.20「現代の生成AIは有害」) 。嘘の情報に惑わされる我々ユーザーの立場からすれば、こうした状況は由々しきものとなってきている。昔から戦時には偽情報はつきものであったし、プロパガンダは常に使われてきた。それは戦争の手法の一手段であったからである。だが常識的に考えればプロパガンダであるかどうかはある程度見分けられたような気がする。だが現代の偽情報は生成AIで作成した合成映像を使ったものとなっており、見分けは極めて難しくなっている。

  そして最悪なことに、各国の大手メディアが視聴者を意図的に扇動していると思われる事例が多々起こっている。つまりメディアに政治的意図が無くても、営利的意図は常に存在することから、メディアが大衆を先導して、他社よりも刺激的な情報を提供することにより、情報を過激にさせていくという構図が見えるのである。ガザ報道はそうした熾烈なメディア競争の渦中で為されている。一方、歴史的な悲惨な戦争において、世界の国民の関心が薄い場合は、報道がほとんどなされない場合も多い。チェチェン紛争に於いては、プーチンは町を跡かたなく消し去ったと云うが、当時においてはそうした報道はほとんど無かったと思われる。メディアはロシアに盾突くことで、自社の利益を失うことを恐れたのであろうと思われる。

  これからの時代では、特に情報は真偽の見分けが重要になるだろう(1.29「事実と真実」)。そのためには、感情的な高ぶりをもたらすニュースには注意した方が良い。それが本当なのかどうかは我々には知る術もないからである。そしてメディアによる扇動なのかどうかをもう一度考えてみる必要があるだろう。そのためにも歴史を客観的に学ぶことは重要である。より高い視点からものを見る習慣ができていれば、メディアに翻弄されることは少なくなるであろう(21.4.28「善悪の視点の問題」)

(11.12起案・起筆・終筆・掲載)


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