本文へ移動
【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2023】

事実と真実

2023-01-29
  「事実」とは記録されたかどうかに関わりなく、起きた事象全てを指し、それは神のみぞ知るということになる。物理的に表現すれば、我々は観測者であり、単純な実験ならともかく、複雑系である事象について「事実」を知ることは原理的に言ってできない。だが人間界では、事象について普遍的に認められれば、それが「事実」として固定化されることは有り得る。その意味で、人間界では「事実」を知ることはできないが、経験主義の考え方に従えば、経験の中から得られる教訓には普遍性のある真実が含まれる可能性が大きいということになる。世の中で我々が「真実」と言っているものには、「事実」に基づいた「真実」という本質が含まれていると考えるべきであろう。

  記録された歴史は事実ではない(20.11.28「教科書による洗脳は是か非か」)。記録者の主観・誤解・誤記などがあるからであり、別の人が記録した歴史と比較検証されて、その真実性が議論されるべきである。それは、歴史は解釈されるべきものであって、事実ではないということを表している。ある人が書き記した歴史的文書は、事実の側面を書いたものに過ぎない。それが真実である可能性は大きいが、あくまでも歴史は比較検証されて初めて「事実として認定される」ことが有り得るということである。日付や登場人物など、比較的明確な情報は事実と認定して良い場合が多い。

  真実」とは、事実、あるいは科学的検証に裏打ちされた物事の本質を指す。つまり背景や状況が重要な解析要件とならなければならない。ある事実だけを取り出して真実を語ることは容易ではないし、それは偏った真実になってしまう可能性がある。たとえば「人間が戦争を忌み嫌う」というのは生物学的にも心理学的にも真実に値するが、実際には政治家の中の妄想を抱く者や、兵器関連企業家、そして戦闘を好む性質と考えを持つ一般の人々の中には、「戦争を好む人」が居るのも事実であり、真実=法則と断定できないこともまた事実である。真実は多くの事例や事実から演繹的に導かれる普遍性のある事象の本質であるが、人間界という複雑系では、その表れ方は必ずしも法則に従うものではない。そのためノムは真実を法則と同じように考えることはしない。

  「真実」を普遍的・端的に表したものが「教訓・諺・格言・箴言」であり、その短い表現の中に真実が隠されている。たとえば「子を身ごもった女は生活を整えなければならない」、という格言があったとすると、それを科学的に証明することはできるが、多くの研究はそうした「教訓」を導こうとしているわけではなく、またそうした主張を論文の中ではしないのが通例である。だがたとえば、オランダで2613人に対して行われた調査では、妊娠している母親がビタミンD不足の場合、子の脳の言語や認知能力などの複雑な脳機能を担う新皮質はそれに応じて薄くなることが示された、という。母親のビタミンD不足が、子供の発育不全のリスクを増やすというのである。 ビタミンEもまた、胎内での正常な脳の発達に関連する生物学的プロセスに影響するという。こうした科学的調査は、それが証明される以前からある教訓などによって既に知られていたことを裏付けるものである。このことからも分かるように、母親が不摂生な生活(喫煙・偏食・不規則な生活・淫らな生活)をすれば、その影響が子に現れるというのは一部の真理を含んでおり、上記の格言は正しいということになる。

  哲学的な議論になってしまったが、一般の人はこうした事柄についてあまり真剣に考えることはしていない。ニュースを見ても、それが事実であるかどうか検証していないことが多い(21.12.20「ネットによる洗脳」)。最低でも、他のニュースソースと比較してみると良いのだが、そうしたことはメディア関連以外の人はしていないであろう。だが一般の人の事実認定能力を甘く見ることはできない多くの場合、人は直観的に事実かどうかを見分けることができるからである。それは経験に基づくものであり、「このニュースは80%位の事実であろう」と推測しているのである(21.7.26「経験主義に理あり」・21.8.30「経験論」・21.11.26「経験科学の勧め」・1.28「経験と学び」)。だが「嘘も百遍繰り返されれば事実となる」という格言があるように、人間は洗脳されやすい存在であることから、多くの人が購読している新聞やよく見るテレビチャンネルによって洗脳状態に陥ることもまた確かである(20.2.15「中国の嘘は世界に通じるか?」・20.6.23「日本の閣僚が国民に対して嘘をついている」・20.9.8「政治家の嘘は防げるし、必要ない」・22.3.20「プーチンの嘘の分析」)。NHKと朝日新聞だけから情報を得ている人はよくよく注意する必要があるだろう。

  ノムが【時事通信】でニュースを伝えようとするとき、その記事の信頼性をまず考える。ニュースソース源が通信社なのか、新聞社やテレビ局なのかでその軽重を測る。通信社の配信するニュースであっても、取材先が信頼に足るものであるかどうかを診る。ロシア政府や報道官、あるいは当局発信のものであれば、ほぼ99%嘘であると判断する。そしてその発信内容にどんな意図が隠されているかを考え、意図的なものである場合には、プロパガンダであるとして排除する。時にはプロパガンダであると分かっていても、そうした偽装的情報を流していることが分かるようなタイトルを付けて掲載することもある。読者が騙されないように、ノムが勝手に注釈をつけるわけである。

  現代はフェイクニュースの時代となった。トランプがこの言葉を使ってから、フェイクニュースを作ることにも流すことにも何のためらいも無くなってしまった。政治の裏で行われていた卑劣な手段が、表に堂々と出てきたという感じである。そのため読者や視聴者である一般人(庶民)は警戒してニュースを見なければならなくなった(20.5.12「NHKのニュース報道に違和感」・20.8.6「報道の自由と忖度・配慮」)それは不幸なことであり、人間にストレスを増大させているだがそれが現実である限り、個々の人々はそれに対応して掛からなければならないだろう


TOPへ戻る