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【時事評論2023】

【時事短評】日本共産党の党名を「共存党」に変えよ!

2023-07-24
  新聞で日本共産党が成立100年の節目で「日本共産党の100年」を作成したことを知った。出版の予定はまだないようだが、党の弱体化に内部的な警鐘を鳴らす内容であったという。1922(T11)に発足したというから、大正デモクラシーの中での発足ということだろう。政党として日本では最も古い歴史を持ち、理念には変更があったものの、党名を変えてこなかったというのは、一種のコミュニズムに対する愛着というか執着があるとみられる。逆に言えば、党名を変えられなかったことが現代との整合性を悪くし、国民が離れていった原因でもあった。ノムとしては現代に合わせた「共存党」にすれば、他国にも無い名称だと思われるので、日本発信の世界政党になることも視野に入れられるのに、と長年思ってきた。以下にそのことを少し詳しく説明したい。

  ノムが20代の頃は学生運動が落ち着いてきたときでもあり、成熟し始めたときでもあった。だが大学紛争から発した学生運動の再度の高まりは、再び一部が暴力に走ったために
運動としては全国的に展開したものの、次第に大義を失っていった。運動のための「運動」と化したことで学生も一気に意欲を失い、その後のセクト同士の内ゲバと呼ばれる内部闘争が、運動そのものに疑問を投げかけることになった。共産党はこうした時期、「民青(民主青年同盟)」と呼ばれる勢力を作っていたが、概してその評判は良くなかったように思う。主張が共産党の型にはまったものであり、裏の共産党の存在をいやでも感じざるを得なかったからである。

  ノムは無党派として「反全共闘」の立場で闘った。といっても校内が全共闘に占拠されないように、クラスで学科拠点の建物を占拠し、バリケードを築いて全共闘から守っただけである。デモをすることもなく、全共闘とゲバ闘争をしたわけでもなく、いわば不法占拠状態であったが、警察からお咎めを受けることもなかった。長い留守番役を務めたにすぎない。途中、後輩が全共闘に捉まってリンチを受け、助けを求める電話があり、救出などできないことは分かっていたがのこのこ出かけて、自分も拘束された。幸い相手が後輩だったのでリンチは受けなかったが、30分ほどドアノブで恫喝された。だが折れる(「総括」と称していた)ことはなく、相手を諦めさせて解放された。後輩の無事を信じ、事を荒立てないように警察には通報しなかった。当時、こうした無法暴力は全ての左翼運動に共通していた。それ故に、ノムは左翼というものを信用したこともないし、最初から軽蔑していた。校舎を守ったのは純粋な愛校心からである。

  就職してから、一時期、自民党とのバランスを取るために、共産党に投票したことがある。元々自民党の考えが一番近かったが、自民党が勢力を拡大していたことに危機感を覚えたからである。このころにはまだノム思想のかけらもなかった(20.9.7「ノム思想(ノアイズム)とは何か?」)。他党を選ばなかったのは、当時社会党か共産党が強かったからである。共産党は地元では地道に活動しており、友人にも支持者が多かったことも理由であった。だがその名前が古色蒼然とした時代に合わないものだという感じは当時から持っていた

  得た職が環境改善を目指す学科の教員であったこともあり、そのころ(1970年代)から共産党の名前を「共存党」に変えればいいのに、と思い始めていた。共産党員にはまじめな人も多く、みな未来を見据えていた。環境問題がこの時代にはひどかったこともあり、左翼は環境問題を1つの柱にしていたように思う。だが人間は、組織を作ると特にその組織がイデオロギーに基づいていた場合は、容易には変えられないものである。内部からの改革でのみそれは可能であろう。そうでなければ、一旦解党して、再び結党するという方法しかない。現在の共産党はそうした岐路に立っている。だが相変わらず、古いイデオロギーにしがみついて歴史を回顧・総括している。

  特に目立つのは党の誕生の経緯に触れた第1章であり、「日本社会の発展の最大の障害物であった天皇絶対の専制政治の変革にとりくむ革命政党が出現」というくだりは、当時の認識としては正しいものの、現代ではものすごい違和感がある。せめて表現をもっと柔らかくして、現代の人々が読んでも違和感がないようにすべきであった。

  日本共産党の功績として、米軍が押し付けた憲法制定に際して、自主独立の観点から反対し、独自の憲法草案を作成したということだけは挙げてもいいだろう。悪影響としては、イデオロギーに凝り固まるあまり、幾多の「反対のための反対」戦略を取ってきたことにある。特に1950年代の武装闘争は完全に暴力是認党と化した。それを徳田球一書記長だけに責任を負わせて、党としての責任を取ろうとしないのは、中国と同じ「党の無謬性」を誇張していると言わざるを得ない。

  こうした過去の過失を振り払い、共産党の目指す社会やその理想に共鳴する1~2割ほどの国民の期待に応えるには、時代が求めている環境問題に絞り、しかもそれが非現実的な反対だけではなく、現実的な妥協を含めた「共存主義」という理念から、「未来への対応を考えよう」、と主張すれば、若者を中心に圧倒的支持を得られ、組織としての変身(脱皮)と再興に成功するだろう。そのためには名称を「共存党」としなければならない。「日本」を前に付す必要はないだろう。世界に同時に革命を起こすために、最初の立党である政党に国名を付す必要はないからである。後にできる各国の政党は、たとえば「米国共存党」のようになるであろう。ソ連時代の「ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国共産党」という長たらしい名称も失敗の一因であった。他国はこの名称にコンプレックスを抱いたと思われるからである。すなわち、ロシア中心のイデオロギーが世界にはびこった。「共存党」の場合は、世界各国の国情に合わせた、現実的なものとなるだろう。

  《 共存党の理念 》を以下に掲げよう。

1.世界を安定に保つために、世界人口を抑制する。
2.世界の消費を抑えるために、産業規模を縮小する。
3.各国の紛争を避けるために、各国は現実認証主義・協調路線をとる。妥協は良い解決手段であり、世界は
  これを高く評価する。
4.人間の競争を避けるために、過剰な利益追及を制限する。
5.国家は最低賃金を保証し、最高賃金を抑制する。
6.各国は自力依存・自給自足を目標とする。
7.各国をGDP・軍力などで比較することを禁じ、国民の幸福度や生活インフラの充実度を比較して国格を
  評価する(20.10.18「国格評価ランキング・改訂版」・22.8.31「国家の国格」)

  以上の項目は現在でも可能な範囲で理念化したものであり、未来世界ではもっと具体的に「理念化」から「具体化」を述べることができるようになるだろう。

  これを若者が読めば、ほとんどの若者は支持することだろう。熟年者や老年者は具体性に疑念を持ちながらも、「主張は理解できる」として賛同に回るであろう。問題は各国の競争心、国民の競争心にあり、それを根源的に解決するには、未来世界を待たなければならない

  共存党がイデオロギー化してしまうと、再び組織や理念の硬直化・原理主義化が起こり、必ず失敗してしまう。3.の「現実認証主義・協調路線」が非常に重要なキーワードになっており、党名の「共存党」という名称もそれを裏支えしている。これが守られれば、「国家の面子」という言葉もいつしか死語になるだろう。

  共存党は自民党の現実路線を引き継ぎつつ、経済優先・繁栄優先の保守的思想を打ち砕くことができる。そして世界的にその主張は受け入れられ、地球温暖化の危機がより具体的に我々市民に圧し掛かってくるにつれ、この党の主張がより素直に受け入れられるようになり、引いては全世界に意識革命を引き起こすことに繋がる。共存党が日本の第1党となった時の政策がどのようなものになるか、早く見てみたいものだと思っている。

  以上に述べたことからおおよそ読者の方々は、ノムが右翼でも左翼でもないことが分かるだろう(7.11「ノム思想は右翼的か左翼的か?」)。ノムは安定を第一に重要視するため現在は自民党を支持しているが、その理念全てに賛同しているわけではない。古来からの価値観を重視はするが、そこに競争原理から生じているものがある限り、絶対支持はできないのである(22.8.10「競争原理」)。未来の人間は自然との共生・共存を目指さなければならない。そのためには自然生態系を破壊する人間同士の競争をしてはならないのである。自然システムが与えてくれるもので生活を細々と続けていくという哲学を身につけなければならない(20.3.30「共存主義しか道はない」)

  未来世界では「党」という競争主体も無くなる。もはや人間は主導権を求めて争っている時代ではない。全国民・全世界市民がこぞって、生き延びるために最善のシステムを求めて協調していかなければならない時代である。そうした時代になれば、もはや党という政治組織体は必要無くなる。そしてその代わりにAIが人間世界の監視役を務めることになるであろう(21.4.6「ノムAIの提言」)

(7.23起案・起筆・終筆・7.24掲載))


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