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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2023】

国民(連邦民)の義務と責任・そして権利

2023-01-23
  これまで、国民の義務についてなんらの記事も書いていなかったことに気が付いた(22.3.6「現代の戦争における国民の在り方」)。本来ならこのブログを始めた最初の頃に書くべきだったと思うのだが、当時(2020年)はコロナ禍などで話題が多すぎたこともあった。改めて、未来世界を論じるためにも、国民の義務・責任・権利について述べておくとともに、未来世界ではそれがどう変わるかについてもノムの考えを述べておきたい。

  現代日本は立憲君主制という政治体制だと言われているが、実際には世界で最も自由度のある民主主義国家と考えられている。日本の歴史がほぼ大和朝廷から国家としての歩みを始めており、同時に天皇の存在が神話としても語られていることから、脈々として天皇家が現代にまで継承されており、戦後の立憲君主制という少々いかめしい表現になっているが、憲法の下で人権が保障されているという点では世界でもトップに位置するだろう。アメリカのように、犯人を警官が銃殺するという事件はほとんど皆無に近い。また日本の警察は世界でも評判なほど丁寧で親切で優しいことになっている。一方、国民は警察官や役人を敬意を以て見ており、決して横柄な口の利き方はしないが、某外国のように恐れてはいない。正に市民の味方という見方をしている。

  それだけ恵まれた政治の下に暮らしていながら、国民自身は義務という概念をあまり意識していない。法を守るのは当然だという順法精神には富んでおり、公徳心も世界一高いが、「義務だ」と言われると反発したくなるのが日本人である。つまり自主的なものならば納得できるが、押し付け的なものには強く反発するのである。それは日本人の思考の中に「権利は最初からある(基本的人権)が、義務は言われればやる」程度の意識しかないからである。そうしたことから、ノムが主張するような「義務や責任から生ずる権利」という考え方は中々浸透していかない

  極端な事例を挙げれば、離島に暮らす人が「俺は誰の世話にもなっていないから、税金を払う必要はない」と主張したとする。完全自給自足の原始的な生活をしているならば、彼の云うことには一理があるということになり、道理的にもそれは認められても良いだろう。だが彼は恐らく人間の文明の恩恵である靴や衣服をまとっているであろうし、ナイフや鋸がなければ住居も立てられないであろう。しかも現代の法律主義の国家では、領土内に住む住民全てに課税の義務を負わせており、世捨て人に国土の占有を認めないだろうし、木々の伐採なども禁じるだろう。つまり完全自給自足の独立生活は不可能であることになる。そうであるならば、独立不羈(ふき)を誇る人も、社会の恩恵に感謝すべきなのである。一方、戦時難民の中には国籍すら持たない孤児もおり、人間世界は矛盾に満ちている。

  一般的な話に戻すと、人は生まれた土地と両親の国籍によって、少なくとも成人に達するまでに自らの国籍を定めなければならないことになっている。それは人種には関係がない。そして国家に所属している以上、それに伴う義務が生じる。幼子にはそれを行う能力がないことから、両親が代理として出生届けをすることから義務の第一歩が始まる。届を行うことで養育費の補助などの便宜を受けることができる。子どもに責任を問うことは出来ないというのが現代の考え方であり、幼児犯罪や少年犯罪は犯罪とはみなされないが、隔離措置は取られる。だがこれはノムの考えでは誤りであり、犯罪を犯した子どもにも責任を取らせる必要があると考える(20.12.7「刑罰と追放・死刑廃絶に向けて」・21.4.4「犯罪の定義」)。養護施設への隔離とともに、更生教育が強制されなければならない。その生活は質素で最低限の状況にすべきである。労働を課して辛さを味合わせる必要がある。更生すればもっと良い生活に戻れるという希望を与えるためである(20.9.24「「ゲーム理論」とは何か?」)

  権利に関して言えば、義務を果たした程度に応じて得られる権利の大きさが変わるようにしなければならない。現代のように、人であれば無条件に基本的人権が与えられるという思想(イデオロギー)は間違っている(22.11.10「科学的議論を阻害している現代イデオロギー」)。ましてや、人と認められる3歳児までは、親の扶養義務はあっても子どもには最低限の権利(生存権)しかないと考えるべきである。もし親が養育を拒否したら、親に罰が下る。親としての義務を放棄したからである。また不当と判断される虐待も当然処罰されるが、怪我のない体罰は認められる。それも程度による(21.1.19「体罰否定の世論形成の悪」)。子には生存権があるため、自治体なり国家が養育を代替することになるであろう。あるいは養子として斡旋することもある。現代では子どもに大人と同じ権利を持たせているため、多くの矛盾が生じており、また新たな火種(裁判等)も生んでいる。最近では権利主義が極端に拡大され、動物にも権利が主張されるようになった。動物は人間の支配下にある存在であり、食用のために大量殺戮されているが誰もそれを問題にはしない。動物に生存権や基本的動物権を認めたら、自然界の掟(弱肉強食)が成り立たなくなり、人間は肉を食せなくなるだろう。以上の誤った権利意識は全て人間の作り出したイデオロギーから出ている

  最後に未来世界の国民・連邦民の義務と責任、そして権利についてまとめておこう。

1.義務:①出生抑制(避妊)・②出生届け出・③人頭税・④就労届け出・⑤労働納税・⑥消費税・⑦道理の順守・⑧法の順守・⑨社会共助
  (20.8.4「監視と共助」・20.11.27「法律主義から道理主義へ」・21.6.16「道理論と法律論」)

2.責任:①人格点相応の自己抑制・②順法(指導・訓戒・刑罰)・③社会貢献

3.権利:①生存・②恩恵(福祉を受ける権利)・③人格点による異なる諸権利

  これらを全て詳細に説明するにはこの項だけでは紙幅が足りないので、一般の人が疑問に思う項目だけについて説明をするが、参照項も併せて参照してもらいたい。

  1-③人頭税については悪法だという認識があるが、人口を抑制するにはこの方法を取らざるを得ない。家族人数に制限はないが、それだけ人数分に応じた納税が課される。1-⑤労働納税については、労働する者だけに課されるため、主婦専業者には課されない。主婦専業の方が有利となるようにするための法律である。ただし女性の社会進出を妨げるものではない。1-⑦の道理の順守は新たに組み込まれる道理主義に基づくものであり、争いの大部分はオンブズマンの道理的判断による裁定で決着がつく。裁判は余程のことがない限り開かれない。1-⑨の社会共助が義務化されることで、人格点制度に法的根拠が与えられる。他者と社会に対する貢献は必ず報われる。

  2-②の順法の意味は、これまでの考えでは法による裁きしか無かったが、法に触れることをする前に指導・懲戒という前段階があるべきであり、それは犯罪予防に繋がるという考えである。そして国民はこうした指導や懲戒に従う義務があるということである。それは大部分が町内会長やオンブズマンによって為され、彼らにはそれだけの権限が与えられている。

  3-③の人格点による異なる諸権利とは、善が報われる社会を目指すものであり、善なる行動は人格点に反映され、それは諸権利を得ることに繋がる。何もしなければ何も与えられないことを意味する。良いことをすればそれだけいい思いが出来るのである。

  これらの義務・責任・権利の概念は、諸国の国民に対してだけでなく、連邦民としての世界人に対しても同様に当てはめられる(21.3.28「世界連邦の可能性」)。各国によって伝統文化などが異なるという事情から法律も異なるが、大筋に於いて連邦憲法と連邦法に従ったものになるだろう。もし各国での義務・責任・権利に疑義がある場合、それが重大な問題を含んでいると判断された場合には、連邦が裁定を下すこともあり得ることになる。その場合には連邦の裁定が最高裁の判決と同様な権威を持つことから、各国は法を改訂するなり、法の適用を改めるなりの改善が必要になる。これは連邦政府の絶対的な命令の下に行われる。各国がこれに従わなかった場合には、該当政府が総辞職しなければならず、それをしなかったならば、連邦が連邦軍を派遣してでも強制的に政府命令を無効にし、代理政府を樹立し、次の選挙によって連邦法を順守する政府が建てられるまで代理政府によって国家が運営される。連邦が政治に口を出すことは許されない。もしこれが国民の反対などで実行できない場合、連邦からの資源の配給が止まり、鎖国状態に置かれる。すなわち完全な自給自足状態に置かれる。国民はそれを良しとはしないだろう(20.12.7「刑罰と追放」)


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