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【時事評論2021】

権利と人権

2021-07-14
  人間が「権利」という概念を生み出したのが何時頃からなのかにとても興味がある。勿論「法」というものが誕生してからなのだろうが、法と権利の議論はヨーロッパで始まったようである。それは、「社会契約説」を主張するトマス・ホッブズ(1588-1679年)と、「自然法の普遍性」を唱えた、ジョン・ロック(1632-1704年)の対立から始まったのかもしれない。権利の考え方にも論争があったが、筆者は未来世界の視点から、「権利は個である民が全体である社会に対して貢献をすることで得られる利的請求権」と定義したい。ノムは社会契約説の考え方に近い立場を取るが、個人の権利は個人が社会に対して果たした役割(貢献)に対して社会が保証するものであると考え、人間が生まれると同時に付与される基本的人権という概念(自然法的考え方)は認めていない。

  人権」という概念はどうも自然法的考え方から出ているようであり、現代の民主国家に於ける「基本的人権」という概念に代表されている。「人間が人間らしい生活をするうえで、生まれながらにしてもっている権利」と言い表されているが、たとえば自然界に放棄された人間にこれを当てはめることができるのかどうか、という疑問が生ずる。つまりこの基本的人権という概念には社会の存在が欠落しているのである。事情あって自然界に放棄されたオオカミ人間はもはや権利を主張する対象を持たず、ひたすら自然界と対峙して生き抜いてきた。彼らは動物と同じ生活を強いられ、それに対して何の文句の言いようもなかったし、言わなかった。このことから分かるように、「人間が人間らしい生活をする」ということ自体が、その時代によって状況が変わることから、相対的なものであることが分かる。昔の人はテレビがないことに文句を言わなかったが、現代では刑務所に収監されている囚人でさえ、時にはテレビを見ることができる生活を基本的人権だと主張することがある。

  社会に対して害を為した犯罪者であっても人権を盾にいろいろな要求をしてくるという事態はなんとしてもおかしいのであるが、現代の人権主義の下ではその要求を却下する理論的根拠を持っていない。ノムが考える人権というものは社会への貢献への見返りとして与えられるものであるから、社会に害悪を為した犯罪者に人権を与えることはおかしいことであり、囚人の扱いに関しては飽くまでも人道的観点から判断されるべきであり、囚人の権利によって決められるものではないと考える。

  未来世界では社会に貢献の大きい人ほど報われ、権利が増大するという仕組みになるだろう。その貢献の大きさの判断は「人格点」という客観的指標によって為されるため、恣意的な優遇はできない。たとえば首相の親族だからという理由で人格点が引き上げられることはない。人格点は最高点が100点であり、最低点はおおよそ20点位になるよう調整される。普通に仕事をしていれば、おおよそ50点は得られるであろう。働けるのに働かないという怠け者や生きる意欲を失った者は20点以下になることもあり得るが、最低点は0点であるため(現在の考えではマイナス点を考えていない)、社会的貢献がゼロの人でも人格点は0点以下にはならない。病人は病気になる前の人格点から引き下げはされるものの、以前の得点が反映される。つまり真面目に生きていればおおよそ20~70点の範囲で人格点が評価されることになる。その点数に応じて権利が付与されていくため、点数が低い人には生活するために必要な条件以上の権利は与えられない可能性があり、逆に高得点の人格者にはかなり大幅な権利が与えられて優遇されることになる。

  この人格点制度の目的と主旨は、①指導者の選別のために人格点を応用する・②権利の大小の格差を設け、真面目に一生懸命社会に貢献した人ほどより報われる社会を創る、ということにある。これは現代の、①犯罪者であっても人権に基づく要求ができる・②働けるのに働かない不労者に対しても人権に基づいて生活保護の権利が与えられる、という仕組みがおかしいと感じるところから出てきた新しい考え方であり、セクハラをするような芸人上がりの政治家が当選して高級を貪ることができるという矛盾と不条理を解消しようという考えから出てきたものである。未来社会はそうした考えから一生懸命真面目に働く人を高評価するために人格点制度を設け、その高得点者は人格の優れた人として扱い、社会の指導者として位置付けることによって、不正や悪行を最小限に抑えようとするものである。

  どちらがより優れた社会システムだろうかという判断は個々の人々に委ねたい。それを強制する必要もないはずであり、より良いシステムならば多くの人が賛同して採用したいと願うであろう。だが現代の権利主義・人権主義は人間の考えたイデオロギーから出てきている固定観念的なものであり、議論を許さないような雰囲気がある。人権を盾にすればどんな要求もできるという摩訶不思議な世界である。そうした不条理から脱却するには、これまでの民主主義の絶対性や人権主義の絶対性という固定観念を振り捨てて、もう一度人間社会というものはどうあるべきかを根底から考え直すことによって、自然と誰もが受け入れることのできる最善の社会システムが出来上がっていくであろう。ノムの提案はその一つであり、その根拠は人間の本能と生存可能性を考察することで得られた原理に基づいている

 
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