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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2021】

経験論

2021-08-30
  8月29日の産経新聞の「朝晴れエッセー」には、母の味を知らないで育った男性の、心温まる亡き妻への回想が書いてあった。彼は「妻は置き去りにされた私を、迎えに来てくれた母だったのかもしれない」という一文で手記を結んでいる。物心つく前の3歳になる前に母親は離婚して家を出てしまい、父親もどういう経緯か直後に亡くなり、祖母に育てられたという。祖母は料理が嫌いで、味もへったくれもなく、餌として食事を出した。彼は出されたものをただ食べただけで味は記憶にないと言う。だが彼はそれを不満に思わず、「食べ物に不自由せずに済んだだけでも幸いだったのだろう」と謙虚に受け止めている。結婚した彼は妻の作る料理に舌鼓を打った。だがその妻は還暦を迎える前に癌と診断され、闘病に入った。6年経って、彼はふと思い立って看護日誌に加えて妻の料理をメモり始めた。それからわずか20日後、最後の記録になってしまった妻の料理は、立っているのも辛い中で娘も手伝って作られたという。

  この一文に筆者は涙なしには読めなかった。いろいろな想いが巡り、自分にはない経験というものに想いを馳せるとともに、短い文章の中に全ての必要事項が書かれているという文章の見事さにもうならされた。ただ男性が書いたものだと知らずに読み始めたため、途中で「縁あって結婚した妻は・・」という下りが出てきたとき、「あれ?」と思って文末に紹介されている名前と年齢を確認して、男性が書いたものだということが判った。新聞には「男性」とは書いてないので、名前からそれと類推するしかない。

  このことから、文章の前に作者の素性について書いておくべきか、文末に置くべきか、という問題についても考えさせられた。文頭に置くと先入観が入ってしまい、読み手にバイアスが掛ってしまう。文末に置くと作者の感情の機微が理解できなくなってしまう恐れがある。筆者は科学論文に慣れているせいもあって、著者名・年齢・性別・所属を前に付す方が合理的だと思っているせいもあって、理解のためには最初にこれらを付す方が良いと考えている。産経抄の筆者は起承転結を意識してか、いきなり訳の分からない書き出しから始まり、かなり後になってその事についての説明をするという悪い癖がある。途中まで一体何のことについて書いているのかさっぱり分からないことがあるのである。

  経験というものを文章にするとき、相手に正確な情報を与えないと相手に対して別の理解をさせてしまう可能性がある。読み手には読み手の経験があるからであり、それは全く異なる感想をもたらすことさえある。科学論文が「何を・どうしたら・どうなった」ということを時系列で正確に記そうとするのは、そうした読み手に依る誤解を防ぐためであり、客観性を重んじるからである。感動的な文学作品には最後のどんでん返しで意表を突く展開をしてうならせる場合もあるだろう。だが産経抄はそうした書き方をすべきではない。短い中で正確に読者に事実と教訓を伝えようとするならば、下手に感動を与えようと考えるべきではない。それはニュース記事に特に言えることであり、最初に要点をまとめて書くのは常道であるにしても、その後の文章は時系列をはっきりさせ、同じ事の繰り返しを避けるべきである。だが毎日ニュース記事を編集していると、全体として読者が知りたいことに応えていないと思うことが多い。肝心な日時すらはっきりしないこともある。またウィキペディアの歴史記事では、文頭に「年」を書いただけでその後の長い記述では年は省かれるのが普通となっている。これでは途中から記事を読み始めた人は何年のことだが分からず、文頭にまで遡って読み返すことになる。ネットのニュースサイトにおける年月日表示が余りにも小さくなっている理由が理解できない。また個別ニュースの頭に付されるのは月日だけになっており、これも非常に不便をもたらしている。

  人の思考の論理回路は経験に基づくものである。ということは、人の思考は経験で左右されるものだということになり、その経験には躾や教育も含むことから、人が同じ境遇の下に同じ教育を受けたとしても、同じような思考は出来ないということになる。それが人間の思考の多様性を生み出すことにもなっているのだが、それが良い意味で働くことは少ない。それよりも、できるだけ多くの人が同じ境遇下で同じ教育を受けることにより、同じ経験下で同じ思考をする方が社会にとって有益であることは自明であり、ホモサピエンスは狩猟や戦闘、そして祭礼という共通の体験を共有することで、屈強なネアンデルタール人に勝利したと考えられている。全体主義というのはその発想から出てきている。そのためナチズムでは一部の優秀な生徒をヒトラーユーゲントとして特訓を与えて思考の統一化を図った。それが良い思想の下に行われたならば素晴らしい成果となったであろう。だがドイツ民族の秀逸性を説いた間違った思想であったために、結局戦争に至って敗北した。

  世はこれを教訓に、「全体主義は悪だ」・「思想教育は悪だ」という結論を出し、それ以来民主制が優位に立つことになる。だがそれは勝利者の結論であり、発展段階でのみ成り立つイデオロギーであるという主張をする者はごくわずかであった。だが世界を見ると、既に発展というものに限界があることが判り始め、第二次世界大戦の勝者ということにも意味が無くなってきたことにより、貧困国は相対的に貧困のままであることに疑問を投げかけるようになり、世界に勝者と敗者・富者と貧者の抗争が頻発し始めた。そうなると人は経験から自分より上位の存在に対して反発の方向に向かう。自由という思想に染まった民は、その反発を独裁者だけでなく、ありとあらゆる自分より上位にある権威に向けるようになる。その混乱を抑えるために政権はより独裁に傾かざるを得なくなり、その中で悪い全体主義が復活してきている。いわゆる独裁や専制である。そしてこのような反発を抑えるのに、一時的にせよ成功しているのは中国だけであると筆者は観ている。それには中国の愛国教育が大きな役割をはたしていることは間違いない。

  ここで改めて人間の経験というものを振り返ってみよう。一人一人の人間の環境や経験を同じにすることはできないため、経験も全く同じにすることはできない。ある人は木登りで失敗せずに済むかもしれないが、別の人は落ちると言う経験をするかもしれない。そこに意識や思考の違いが生じる。そうした経験の違いは無数に及ぶため、当然の結果として人の思考に違いが出てくる。だが一方、学校における教室主義的教育や軍隊生活では、かなりの部分が共通の状況に置かれるため、そこで共同学習・共同生活をした人間には、共感というものが生まれる。それは一生を通じて友となり得る経験の共有があるからである。ナチスのヒトラーユーゲントで訓練された人の多くは、たとえ後に批判的になったとしても、当時のことを振り返るときには目を輝かせて語る。それは実に生き生きした昔の姿が蘇ったかのようである。こうした共通体験というものが人を結びつける大きな要素であるということは紛れもない事実であろう。

  振り返って現代は、個人教育がもてはやされ、「個性を伸ばす」、「人と違ったものを目指す」という風潮が蔓延している。アメリカでは教室主義が否定され、個性に合わせた個人教育が流行った時代があった。その頃に育った子どもらが現代の中年以下の若年層を占める。そうした人々は個人の主張に重きを置く個人主義に陥っており、その主張がぶつかり合うことで社会全体が不安定になった。さらに経験不足から情報に振り回されやすくなったことで、容易にプロパガンダに騙されて極端な思考に走りやすくなった。それはついに国家を分断させるほどに強烈な対抗意識をもたらした。幸い日本では長い伝統と天皇制があるために、そのような極端な方向に向かうことは近年少なくなった。だが西欧の、特に左翼思想に染まった70歳代前後の人は、常識はずれなほど極端な振る舞いをすることが多く、むしろ若い人の方が常識的であるように思われる。それはネットという共通基盤を持っているからだろうと思われる。彼ら若者は、経験は不足しているがその不足をネット情報で補っているのであろう。だがそれは真に自分の経験ではないため、根の無い草のような弱弱しいものになっている。そのため情報に振り回され易いのである。   

  経験論から導き出される教訓は、人は共同体の中で共通経験をしなければならないということであろう。国家という共同体の中では、時代という共通の要素があるが、時代ごとにその経験が異なるために「世代間ギャップ」というものが生まれやすい。それは親の言うことを子が聞かないということにも現れる。「そんなのは旧いんだよ!」という子どもの反抗に戸惑った親も多いと思われる。これは決して好ましいことではなく、全世代を通して、人間という共通項によって結ばれる絆が無ければならない。それを理念的に説いても経験が異なれば甲斐のないものになってしまうであろう。経験を出来るだけ同じにし、理念も時代によって変わらないようにするには、人間界の変化を最小にし、時代を超越し得る思想によって教育するしかないのである。筆者の描く未来世界では、およそ100年間というスパンの時代変化は3代以上に亘ることから、その間の変化を最小にするようにする。そしてノム思想によって子どもらから教育を始め、大人になっても生涯教育という形でノム思想の原理を学ぶようにする。そうすることで人々の間に共感が生まれ、世代間では人間としての共通の感覚が通じ合えるようになるであろう。


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