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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2022】

中国の紅い教育の是非

2022-11-24
  中国では歴代にわたる共産主義に基づく歴史改竄と愛国主義的教育が行われてきた。2013年にトップに就任した習近平は、実に綿密な計画の下、着々と愛国教育を推進し、習に対する忠誠と崇敬を教え込んできた。それは今日、「紅い教育」として知られている。既に小学校から高校までその仕組みは完成されたものとなっているようである。その実態を11月20日に放送されたNHKの「BS1スペシャル/紅い思想教育」という番組が明らかにした。ノムはこれを観て、ある意味では羨ましさを覚えた国民に統一的な思想を教育できるということを中国は証明したからである。だが一方で、その意図が国民の圧政と権力の保持にあることで、この壮大な試みは失敗するだろうということも思った。以下では中国側から見たこの紅い教育の意義と、外国から見た洗脳教育の懸念という両面から、洗脳教育の是非を論じてみたい(20.11.28「教科書による洗脳は是か非か」・21.12.20「ネットによる洗脳」)

  中国の歴史を概観すると、それは諸地域・多民族のせめぎ合いであった(20.7.19「中国の兵法書「三十六計」に見る闘争の歴史」)。そしてその中に、かなり残酷な面が数多く記録として残されている(20.10.12「中国の圧政の教訓」)。『資治通鑑(しじつがん)』(司馬光:1084)には生きたまま罪人を切り刻み、その肉を食べるという食人文化(前500~後1000年)が見られ、近代の人民解放軍もこれを行った事実がある。呂(りょ)太后(呂雉りょち:前241-前180)はライバルの戚(せき)夫人(趙王の生母)の手足を切り落とし、耳や目をつぶして「人ブタ」と名付け、厠(かわや:便所)に投げ込んだ話も有名だ。中国史で唯一の女帝であった武則天(則天武后:624-705)は中国三大悪女に名を連ねているが、王の皇后を図って廃し、百叩きにして両手足を切断し、「骨まで酔わせてやる」と言って酒のカメに放り込んだという。874年に起きた唐代末の黄巣の乱では、長安城攻めの際に城内の人々を皆殺しにした「洗城」という言葉が使われた。日本で言う「武士の情け」というものが中国にはなく、「死しても突く」のが中国流である。墓荒らしや死体損壊、そして遺品略奪は中国の習いである(ロシアはそれを現代で行っている)。『三国志』(280年頃)の中には、もてなし料理のために自分の妻を料理して客をもてなしたという話があるらしい。そして中国ではそれを美談として扱う。現代でも陳情に行った若い女性が人体見本にされたというガセネタ報道もある。世界中で行われた「人体の不思議展」(日本では1996年から1998年 )では中国の罪人や法輪功弾圧で虐殺された人の臓器や人体を展示したと言われている。スタンガンを女性性器に突っ込むという拷問が現代でも行われているという。それは現代の習近平によるオーストラリアへの仕打ちを見てみれば納得できるであろう(20.6.26「報復国家・中国への不安と恐怖」)

  近代になって中国共産党(1921.7結党)が「中華人民共和国」という名前にそぐわない国家を建国(1949.10.1)したとき、ソ連による支援で共産主義を奉じた。毛沢東はいわばソ連の傀儡反乱分子であったが、農民の支持を得て政権を持つまでになった。国内では蒋介石率いる「中華民国」と国共内戦を続け、1949年12月に蒋介石を台湾に追いやり、事実上の大陸制覇を成し遂げた

  中国が建国の大義を書き連ねるとき、最大の妨げになったのが過去の歴史であったろう。そこで共産主義を中国史上の最大の成果とし、過去を葬り去るためもあって毛沢東は文化大革命を起こした(実態は権力奪還のための権力闘争)。それ以降の歴史教育は共産主義信奉・自国礼賛のためだけに利用され、過去を振り返ることは無くなった(20.2.5「中国の恐怖体制あらわに」)。現代に至るまでの中国における歴代の歴史教育は、歴史の一方的位置付けや改竄によって偽造された「中国現代史」に集約されていった。それは当然のこととして愛国主義で凝り固まったものになっていった。そして他国の歴史認識を否定し、自国の歴史観に合わせるように強制するため、あらゆる手練手管を用いて、特に日本に対して攻撃を仕掛けてきた。それを象徴するのが靖国神社への政治家の参拝行為への批判であり、尖閣・沖縄などの歴史的中国領土の主張である(20.9.21「中国の日本への内政干渉を許すな!」・21.7.16「中国の「内政干渉・内政問題の言い訳」は通用するか?」)

  中国は台湾を自国領と主張しているが、実質的に何の歴史的統治実態もない。台湾は蒋介石「国民党」に奪われた領土としているが、それ以前からも統治実態は無かった。元々、17世紀における大航海時代のオランダ及びスペインの植民までは台湾原住民が居住していた。1662年、明朝再興派の支持者である鄭成功がオランダを追放し、同島初の政治的実体である「東寧王国」を設立した。清が後に同王国を破り、台湾島を併合した。1895年に日清戦争の結果として下関条約が締結されると、台湾島・澎湖諸島は清から日本に割譲されて台湾総督府が統治する日本領台湾になった。日本の敗戦により1945年に中華民国が台湾省として日本から接収して自国領土とした。すなわち中国共産党が支配した時期は全く存在しない。中国がなぜ台湾を自国領土と主張するのか、全く理由が分からない(20.2.15「中国の嘘は世界に通じるか?」)

  だが中国は一貫して台湾を「不可分の領土」として主張し、国連における1971年10月25日の「アルバニア決議」を以て国際的に認めさせた。当時の西欧列強は中国大陸を市場として狙っていたため、妥協をしてしまったのである。中国はおかしなことに、中共政権(毛沢東)の支配する「中華人民共和国」と蒋介石政権の支配する「中華民国」という2国が現存するのに、「中国代表権」という形で問題を提起し、アルバニア決議によって中華民国が腹を立てて国連を脱退してしまったことが、この問題を残してしまった原因である。もし蒋介石政権が中国本土にある中共政権を認め、同時に台湾を独立国家として宣言していたならば、歴史は大きく変わったかもしれない。

  こうした歴史的経緯も中国では一方的解釈で正当化している。国民には「正しい歴史認識」(歴史に「正しい」という言葉は使えない)を学習するように強制し、教員も思想教育を常に受けさせられている。その特徴は、党組織を通じて全国津々浦々まで統一的に為されていることだ。一例として嘉禾県(かかけん)にある幼稚師範高等専門学校・党委員会の党学校沙州分校では、教員に対して徹底した習近平思想が叩き込まれている。入口には「紅色教育 培訓(?)中心」という標語が掲げられている。受講者は必至にメモを取り、学習意欲満々だ。講師は「若者に対し歴史的自信を植え付けるのです。今日の世界でどの政党・国家・民族が自信にあふれているのか? それは中国共産党・中華人民共和国・中華民族である」と押し付け教育が行われて、教師たち自身が洗脳されていく。ここでも「習総書記」が神格化されている。

  党から指示されているのは次の世代に「紅い遺伝子」を伝えることである。この言葉は習が使い始めた。2020年9月に習が沙州村を視察した際、村人に「”紅い物語”を伝え、”紅い遺伝子”」を継承するよう指示したことから始まった。教育責任者は「一人一人の血液のなかに紅い遺伝子を注入することだ」と解説する。この責任者は習が村を歩いた跡を辿るスタンプラリーを考え付いた。神格化の一端である。習が立ち寄った6ヵ所でスタンプを押してもらうと、特産品の果物(梨)が1箱貰える。村人はこぞって参加している。責任者は「紅い歴史のある現場を周り、体感させる必要がある」と解説する。彼は自信と確信に満ちた表情で語る。香港暴動についても触れ、「正しい共産党の初心が教えられていなかったからだ」と断定した。こうした洗脳は末端の組織にまで及んでおり、それ以外の情報が遮断されていることから、中国は絶望的な「国・民が一体」な独善社会となっていくのである。

  小学校では軍事教練も行われる。生徒がかつての共産党軍の青い戦闘服を着て、手投げ弾を飛ばす訓練をしている。指導官は「弾薬も食料も尽き果てた中で、敵のトーチカを爆破できるか?」と生徒に問い、生徒は「できます!」と大きな声で答える。教官は「よし、幼い勇者たち。君たちは新時代共産主義の後継者だ」と訓示。まるで戦時中の日本で小学生らに行われた軍事教練そっくりだ。平時にこのようなことをやっているということは、間もなく中国が台湾を皮切りに世界制覇を目論んでいることは明白である(20.4.22「中国が牙を剥き始めた」・20.5.28「中国の世界制覇戦略に見る「孫子の兵法」」・21.4.16「中国情勢」)中国国民の93%が国家の指導に満足しているという調査報告があるが、小学生に敵国撲滅を教え込んでいることから考えると、中国が侵略戦争を始めたときには最強の軍隊が生まれることになる(20.4.11「中国軍が西太平洋進出」・22.2.4「中国国民の満足度93%は本当か?」)。 

  党学校ではコロナ禍によってアメリカの死者数が100万人に達していることを引き合いに出し、痛烈に米国を批判している。そして習率いる共産党の優位性が強調される(20.4.9「全体主義の優位性」)。講義では歴史上の英雄(周公)も引き合いに出され、「徳」を重んじる民族であることが称賛されている。だが後述するように、中国人に公徳心などはない。「私たちは法に基づく統治と、徳による統治を結合させている」と自画自賛しているが、国民には全く「徳」というものが見られない。「徳」の周りに「天」・「君」・「民」を三角に結んで囲った図を教材に用いている。ここでも「わが党の指導的地位は、中国5000年の歴史から生まれた結果だ」と結論づけられる。山の斜面には「国家は人民 人民は国家」というスローガンが大きな看板で掲げられている。   

  大きな講堂では習のゼロコロナ政策の正当性が(教員・幹部・その他に)教えられている。「われわれは偉大で豊かで平和な国に暮らしていることが証明された」と自画自賛している。だが都市封鎖によって民衆は大きな負担を背負わされ、国家経済も岐路に立っている。上海が封鎖された3月、李強書記が市内を視察した際、住民から不満の声を浴びせられた。「人民に奉仕すると言うが、この現実をどうするつもりか!」と女性らが李強に直接抗議した。四川省の成都でも封鎖が行われた。人々はスーパーで食料を奪い合った。中国人に公徳心が欠如していることが明らかになった。自宅待機命令を無視して高い柵を超えてマンションから脱出する人も相次いだ。警官隊との押し合いもSNSで拡散された。沙州村には観光客がいなくなり、村の収入は無くなった。観光資源を作って貧困から脱出したはずの村人たちに収入の途は閉ざされた。「村人は畑を当局の開発に差出したため、出稼ぎに出るしかなくなった」と警察官らしい人物でさえ語る。手製のタバコを作って凌ごうとする村人もいる。村人自身が「この村は実は全部作られた村だ」と自嘲気味に言う支援は全くないという。掛け声としての「貧困撲滅」はあるが、それだけだ、と嘆く。「もういいでしょう」と言い残してインタヴューから逃れた。

  中国がまだ絶対貧困という問題を抱えていることは明らかである。嘉禾県(かかけん)では家々は貧しく、犬までもがぼろ布をまとっている感じだ。貧困者には「臨時救済金」の申請を行うよう勧められている。だが嘉禾県の2022年の生活保護者名簿には救済の必要な子どもが283人に上る。そのうち104人が孤児だという。珍しくはないという。父親が出稼ぎ先で死亡して母親が子を捨てるケースが多い。生活保護費は月に5000円だという。生活保護を得るためには「孤児証明書」が必要であり、母親が子どもと縁を切るということもしばしばある。

  習は自身が宣言した「絶対貧困撲滅宣言」の実態を海外に知られないよう、貧困を新たに作り出した責任者を罰するという党の規約を作った。末端組織で真面目に貧困撲滅の任務に取り組んできた李は泣いて実情を取材班に訴える。「能力的にも体力的にも辛い。疲れてしまいました」と愚痴をこぼす一方、「今の仕事に不満はない」とも強弁する。

  習は2022年10月に3選を果たし、しかも周りを全て子飼いの配下で配置した。それは「紅い教育」が実った瞬間でもあった。習は「中華民族の偉大な復興という中国の夢を全力で実現しなければならない/人民の求めることを行い、良質な生活への民衆の願いを必ず実行する」と宣言した。だがそれらが虚偽や隠蔽の下に行われているかぎり、権力の強化と裏腹に国民の悲惨と不満は増すばかりだろう

  最後に中国のこの「紅い教育」の取り組みを評価してみたい。もしノムが中国国内で育ったならば、習の取り組みを絶賛したかもしれない。なぜならば実際に中国は世界での経済的成功を収め、国民の生活を向上させたからである。しかもその意義を説き、全国民の支持を取り付けることにも成功している。翻って日本の状況を見れば、まるで逆さまの状況にあると言えるだろう。指導者(首相)は国家・国民の在り方を説かず、議会で答弁に終始しており、支持率は中国に比べて圧倒的に低く、半分ほどしかない。国民には確信がなく、不安にいつも苛まれている。だがその生活は極めて恵まれており、各種の保護政策が採られている。しかも極端な富者もいなければ極端な貧者や乞食もいない。不満から暴動が起こることもない。すなわち日本においてこそ、社会主義は完成したのである。ノムはこれを「日本型社会主義」と称して称賛してきた。だが中国の社会主義は軽蔑すべきものであり、とても称賛できるものではない。それは抑圧・詭弁・欺瞞に満ちているからである。

  未来世界では「中国の紅い教育」から学ぶことが多いだろう。だがそれを世界に当てはめられる状況にはない。民族性の多様性がそれを阻んでいる。中国も少数民族を多数抱えており、チベット・モンゴル・ウイグル族に対しては弾圧政策を取って統制を強めている。こうした洗脳的強制教育が上手くいくはずはないのである。だが自由を強調しすぎている自由諸国の状況が必ずしもうまくいっていないという現実もある。ノムとしてはノム思想に立った客観的で内省的な全体教育を目指したいと思っているが、それが上手くいくかどうかは、子どもらや大人に対して、個人個人の存在意義をどう説くかに掛かっていると思うのである。中国のように党に忠誠を誓わせるのではなく、社会貢献に最大の価値を見出させて、地球人としての誇りを持たせることが肝要だと考えている(20.12.3「未来の教育」)


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