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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2021】

自然の摂理

2021-05-03
  これまで「自然の摂理」という言葉を頻繁に使ってきたが、その内容について説明していなかったようであるので、ここで改めて説明した。自然の摂理と言った場合、それには自然の法則も含まれるが、筆者がこの用語を使う場合には、どちらかというと自然の叡智を指すことが多い。それについては既に、「自然の叡智と人間の叡智」というタイトルで説明している。そのため自然の摂理という用語を本来の法則をも含めた幅広い概念で捉えて考えていく(20.12.1「自然の叡智と人間の叡智」参照)

  自然の法則には、①物理的法則・②化学的法則・③生物的法則・④生態系の法則など、それぞれの範囲で当てはまる法則や原理があるが、たとえば平衡移動の法則や自己組織化原理などはどの分野にも共通するものと思われる。人間が現在科学で知り得ているのはかなり深い所まで探求されているが、それでもまだ全体の仕組みを完全に理解するところにまで到達しておらず、特に状況理論という複雑系の問題に関しては、その予測が難しい(1.18「状況理論」参照)。だが過去に起こった自然界の事象を解析してみると、そこには自然の法則が働いていることを発見するのみならず、その奥に深い叡智とも思える仕組みがあることを知るだろう。それは悠久の時という永い時間軸の中で明らかになるものが多く、現時点という視点でしかモノを見ていない人間にはわからないことも多い(5.2「病原体の進化と人類への影響 」参照)

  例えば宇宙というものがどうやって創られたのか、宇宙が出来る前は何が存在していたのか、宇宙は果たして唯一なのか多宇宙なのか、二次元宇宙や多次元宇宙は存在するのか、生物というシステムが出来上がったのはなぜか、その意味するものは何か、生物はどこまで進化するのか、人類よりも進化した生物が他の惑星に存在するか、人類の進化はどこまで進むか、等々、我々の好奇心や疑問を自然界は嘲笑っているのかもしれない。そんなバカな質問をして何の意味があるのだと。筆者は、自然の神からすると、人間は先行き危うい存在であるのに、悠久の時を問題にしている愚かな存在であると観ているように思える。確かに人間は宇宙時間から観ても、地球時間からみても、生物史的時間から観ても、ほんの一瞬前に生まれた存在でしかなく、あえなく生物の中でも最も短命にその存在を消失させてしまうものなのかもしれない。

  自然の摂理は人間感覚の短い時間の中にも垣間見えることがある。それを悟ることに人間は価値を置いてきた。修験者の修業や仏僧の瞑想などはその悟りを求めてきた一つとも言える。現代では科学でそれを解き明かそうとしているが、科学に思い込みが侵入することで、科学自体が多くの誤りを犯してきた(20.11.18「科学を政治利用する日本共産党 」・2.16「非科学的思考の実例」参照)まだとても科学に自然の摂理を解明できる力と実績があるとは筆者には思えない。そうしたことから筆者は現代の人間は科学を武器にして自然に挑戦するようなことは止めるべきであり、謙虚に自然が教えるところに素直に従うべきではないかと考えるのである。つまり人間は自然に対して直感的に悟るべきであり、自然の摂理というものをもっと科学的に追及すべきだと思うのである。


 
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