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【時事評論2021】

病原体の進化と人類への影響

2021-05-02
  「日経サイエンス」という科学一般誌に「DNAが明かす疾病史」という論文があった。これを読んで上記タイトルを考え付いた。最近の研究により分かってきたことであり、多くの人がまだ知らない事実もあることから、借用の形ではあるが自論を展開してみたい。

  まず最初に驚いたのは、現代のヨーロッパ人の祖先はユーラシアのステップ地帯に生きていたヤムナ人であるとする学説であった。現代で言えばウクライナ辺りの人々である。ヤムナ人と呼ぶのは適切ではないかもしれず、論文ではヤムナ文化の人々と称している。元々ヨーロッパには約180万年前にジョージアにいたホモ・ゲオルギクスの遺骨が発見されており、それが絶滅した後にクロマニヨン人が住みつき、農業を始めていたと言われる。この地域からインド・ヨーロッパ語族と呼ばれる人々が出ている。新石器時代にヨーロッパにいた農耕民は、上記学説によると約5000年前に青銅器時代初期にあったユーラシアステップ民族であるヤムナ人の進出により滅ぼされて、取って代わられたという。ヤムナ人は馬を駆使し、冶金技術を持っていたため青銅製の武器を持ち、恐らく好戦的であったようだ。だがそれだけの理由で民族が入れ替わるだろうかという疑問が長年学会では謎とされていた。

  2015年にユーラシアステップ各地の遺骨から抽出した101人分のゲノム調査が行われ、この民族交代が証明されたという。そしてその理由が、何とヨーロッパに黒死病と呼ばれたペストの流行があったことが原因であり、それによって農耕社会が弱体化し、異民族の侵入を許したというのである。それが分かったのは近年のDNA配列解読技術の著しい進歩のお陰であった。それはAIの進歩との相乗効果で可能になった。DNAの断片の配列が共通するところを照合することによって、長いDNA配列が再現されたのである。遺骨の約7%に、ペスト菌のDNAの痕跡が残っていたことがこれで判明した。肺血症性ペストであり致死率が極めて高い。このことから当時、ヨーロッパ農耕民の間にペストのパンデミックがあり、それは元々ステップ地方にあったものであった。ステップのヤムナ人は数百年に亘ってペストに対してある程度の集団免疫を持っていたと考えられるという。そうであると、ヤムナ人の侵入はペスト菌を一緒に運んできたことになり、先住農耕民にとって大打撃になったと想像されるというのである。色白でインド・ヨーロッパ祖語を持つ集団の侵入による民族入れ替わりが起こったことで、現代ヨーロッパ人の外見・言語・遺伝子に受け継がれたという。

  ペスト菌自体が進化してきたという記事も非常に興味深かった。過去5000年間の数十種に及ぶ古代ペスト菌のDNAが解析された結果、初期のペスト菌はそれほど感染力を持たなかったと考えられている。感染は主として宿主(しゅくしゅ:動物や人)の咳などによって飛沫感染したと考えられるという。だが約4000年前に、ペスト菌は腸内細菌からymtという遺伝子を獲得し、ノミの体内で生存できるようになった。そのことでノミを媒介として感染するようになり、感染力が飛躍的に増したというのである。さらにバイオフィルムを形成する能力を持つように進化し、ノミの中腸に蓄積し、消化管を塞ぐことでノミは食物をあさるようになり、手あたり次第に哺乳動物に噛みつくことで感染を拡大させたという。

  541年にローマがユスティニアヌス1世の時代であった頃、ヨーロッパは腺ペストに襲われた。皇帝自身も罹患したという。ペストによるものかインフルエンザによるものか論争があったが、DNA鑑定の結果ペストであることがはっきりした。そしてその起源を遡ると、起源はエジプトではなく中国西部であった。中国からユーラシアステップを通ってヨーロッパに至ったことが分かったのである。これはコロナと極めてよく似ており、中国発祥の感染症がこの頃からあったということにも驚かされた。歴史上、多くの感染症が中国由来である。そしてこのペストは移動につれて進化していたことも分かってきた。新たに別種の宿主に感染して破壊の手を広げてきたのである。そのDNA鑑定には遺骨の歯が最適な試料となることも分かった。骨に残っているDNAはかなり細分化されており、全体の再現が難しいが、歯の中に残っている病原体(血液中に存在する)のDNAは極めて良い状態に保存されているからである。この歯からの試料採取の方法が見つかったのはつい10年ほど前であり、上記したAIによる次世代シーケンシング技術の発達と併せて、病原体のDNA解析が可能になり、それが人類史をよりはっきり判明させたのである。

  もう1つ、興味深いことが述べられている。らい菌や結核菌・B型肝炎ウイルス・パルボウイルスなど多くの近代の病原体がはびこるようになった時期を調べると、それは人類が定住生活を始めた時代に当たるというのである。やがて人々が交易などにより長距離移動することで、世界中に広がっていった。それらの病原体の痕跡は青銅器時代や鉄器時代の人間の移動ルートに沿っているという。結核菌はローマ時代の貿易船の乗組員やシルクロードの商人たちによって運ばれたと考えられている。結核菌の1つはアザラシによって南米に運ばれたと、ペルーの遺骨から得られた古DNA解析によって明らかになった。ペルーのこの集団はアザラシ猟を盛んに行っていたからである。研究者によれば、近代の結核菌が出現したのは6000年前以降であろうとされる。英国のらい菌はバイキングの毛皮商人によってもたらされたと推測されている。

  病原体が人類にもたらした悲劇的な例が南米のアステカ帝国の滅亡と消滅に見られる。これは有史以来の出来事なので、文献からもかなり詳しく分かっている。南米のアステカは16世紀初めにスペインのコルテスなどにより侵略された際、ヨーロッパ人は出血性インフルエンザ・マラリア・腸チフス・天然痘などを持ち込んだと言われてきた。ヨーロッパ人はある程度免疫を持っていたが、新世界(アメリカ)の先住民には免疫が全く無かった。これらの感染症で先住民の80%が死亡したと記録されている。だが2018年の研究により、サルモネラ・パラチフスC菌が新たに候補に上がった。このDNAがアステカの遺骨の過半数に確認されたからである。1521年のスペイン人の侵略以前に、アメリカにはこの菌の痕跡は無いことから、この菌が旧世界(ヨーロッパ)から持ち込まれたことはほぼ確実であるという。16世紀にメキシコを襲った一連の壊滅的な旱魃が、食料不足と集団移住をもたらし、社会が弱体化したこともこれらの病原菌による侵襲を容易にしただろう。こうして1つの文明が滅びたのである。

  病原体は以上のように、進化・変異しながら人間界に侵襲してくるが、人間の蜜住(都市化)や貧困(栄養不良)、そして世界的な移動(旅行・ビジネス)が、その被害を大きくしていることは明らかである。人間の側としてこれらを避ける努力がなされなければ、未来永劫感染症との闘いは避けられず、それを克服しようという人間の論理は傲慢と理解されるようになるだろう。筆者は「もぐらたたき」を思い浮かべる。叩いても叩いても、必ず病原体は場所と姿を変えながら、何処にでも現れるのである。その意味で、人間はこれは自然の摂理なのだと悟る必要があるだろう(5.3「自然の摂理」参照)。そして多少の犠牲が生じることに過度に神経質になるのは、誤った考え方を持っているからだということになるだろう。筆者は人間は努力を尽くしたあとは、全てを運命論という考え方で受け入れることが最善であると考えている(20.11.7「運命論」参照)


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