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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2020】

対症策・予防策・目的策の違い(2605文字)

2020-12-27
  人や組織が取る行動を、①対症策・②予防策・③目的策、の3つに分類することにより、その適切性・健全性を測ることができるのではないかと考えた。たとえば風邪を引いたならばそれなりの治療をするだろうが、その行動は①に該当する。コロナにやられたくない人は、それなりの予防策を取るが、その行動は②に該当する。病気になった時の用意のために貯蓄するとすれば、それは③に該当する。この3つの対策に対して有意義性の比較をしてみれば、③目的策>②予防策>①対症策、の順になることは明らかであろう。だが多くの人や組織は①に追われているのが現状である。

  組織の1つである国家が取る政策をこの3つの分類で振り分けてみると、①は現状で問題があることへの対処として取られる政策・②将来を見越して取られる予防策・③国家の目的に沿う計画的政策、に分けられる。中国はこの3つがバランスよく取られているために急速に発展した。特に世界制覇を目論む国家戦略を第一に据えているために、どちらかというと③の比重が大きいと言えるだろう。①に不都合があっても、それは国民を弾圧することで黙らせるという手法をとっており、典型的権威主義・強権主義に立っている独裁である。だがその結果を我々は単に非難しているだけではイヌの遠吠えになってしまう。

  国家の行動(政策)の一例としてアメリカと中国を比較してみよう。アメリカは大統領が替わる度に政策も変わることから一貫性がない。共通していた理念である民主主義もトランプの登場で独裁に傾いた。その結果国論に分断が生じ、①の対症策であるコロナ対策に失敗したため、世界一の大被害を被っており、国民はまだその被害を深刻に受け止めていない。産業が衰退してIT産業や知財だけが突出して大儲けしているのは非常に不健全でアンバランスであり、これまで安価な中国製品に依存してきた政策は対症療法的であったがために国家を衰退させた(6.4「アメリカの自由主義が崩壊するか? 」参照)。逆に中国は国策として資本主義を鄧小平時代に導入し、海外(日本・アメリカ)からの援助まで受けながら近代化と世界の工場化によって急成長した。それは単に普通の成長ではなく、世界制覇を視野に入れた成長であり、資源の確保・技術の確保・人民の世界への分散という3大目標を達成するための長期戦略であり、これは明らかに③に属する(5.28「中国の世界制覇戦略に見る「孫子の兵法」 」参照)。その政策は①・②をも包含していたために調和し、見事な成功を収めた。

  人の行動の一例として筆者の事例を挙げてみる。筆者の行動の大部分は執筆に注がれている。それは個人的に利益をもたらしておらず、社会的貢献になっているかどうかも明確ではない。これは③に属する行動である。つまり未来を志向した行動である。一日中ほとんど座りっぱなしであるため運動不足になる。それを解消するために、用事で歩き回る時や一服の際に、筋肉運動を歩きながらや立ったままで行う。これは②や③に該当する行動である。畑をやっているのは楽しみのためであるが、①に該当するかと言うとどうもそうではない。つまりやってもやらなくてもいい事だからである。むしろ収穫を目指しているという点では、②や③に属することであると思われる。孫の面倒を見るということは①に該当することは明らかであるが、これにも②が含まれる。つまり孫を一人前の人間に育てるための工夫をいろいろしているからである。オモチャにどのようなものを与えれば良いか(買わない)、それをどう遊ばせるかに心を砕く。テレビを観るのはもっぱら執筆材料を得るためであり、純粋に趣味として観るのは囲碁くらいなものである。前者は②・③に属し、後者は①に属する。つまり筆者の心の平安のために囲碁番組を趣味として観ているのである(11.2「囲碁のAIに学ぶ 」参照)

  以上のことから分かるように、人や組織が行動しようとする場合、目標をはるか先の将来に置く方が賢明だということである。目標なり目的が明確であれば、人は如何様にも頑張ることができる。日本が戦後に廃墟になったとき、とても復興できるようには見えなかった。だが日本人の持つ忍耐力と規律正しい性格があったことで、戦後「アメリカに追いつけ・追い越せ」というスローガンが一種の目的化した。それによって何を為したいのかという本当の目的を持たないまま、日本は確かに戦後23年(1968年)で世界第2位のGDPを達成した。そして成熟社会を実現したもののその存在目的を見失い、世界の中で漂流し始めたのである。それは衰退への途でもあるだろう。安倍政権はかなり明確に、日本が世界の指導役を担わなければならないという意識を持っており、それはTPPでアメリカが撤退したあとも指導力を発揮してまとめ切ったことに表れており、「自由で開かれたインド・太平洋」という理念にも表れ、アメリカがそれに乗ったことで確かに世界の指導役の一端が実現した。だがその理念は菅政権に引き継がれるとおもいきや、どうも対中国忖度が優先しているようであり、菅の役人的思考からして日本は一歩引き下がった位置に安泰を見出そうとしているようである。

  現代が先の見通せない状況にあることから、日本が無理して世界の指導的立場を取ろうとするのは賢明ではない。現在はさらにその先を見通して、未来世界を日本が指導していくことを考えておくべきだろう。それには日本の平和的文化・融和的姿勢・協調的政策などはプラス要素として働くだろう。だが優柔不断・日和見という反面の愚かさを併せ持つ限り、日本は決して世界をリードすることはできない(7.28「日本は立ち位置を鮮明にすべきである 」参照)。日本がそれを克服した時こそ、日本精神が世界に評価されることになるだろう。筆者は日本人がこれまでにも世界に先駆けて諸々のアイデア(仮想通貨等)を提出してきたことから、日本には世界をリードする思想が生まれ得ると考えている(10.12「環境創造思想」参照)筆者のノム思想もその一つであり、それが世界基準として採用された暁には、日本人の独創的発想が世界に認められたことになり、同時に日本精神が高く評価されることにもなるであろう(9.7「ノム思想(ノアイズム)とは何か? 」参照)


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