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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2023】

イデオロギーの歴史

2023-12-13
  イデオロギーというものを定義するのは意外と難しいが、ノムは「普遍性の無い特定の価値観に最大価値を置く考え方や思想」と考えたい(21.6.21「イデオロギーの本質」・22.11.10「科学的議論を阻害している現代イデオロギー」)。特にそれを言論を含んだ暴力的手法で主張しようとするところに特徴がある。以下ではイデオロギーが誕生した由来とその歴史について概観してみたい。系譜的な形で捉えてみたいと考えている。

  人間が思考力を高めていった原始時代、人は生存可能性を高めるために集団で行動するようになり、その集団では個人の利益が集団の利益と一致していたと考えられる。個人は集団と同じ考え方を学習し、それを良しとした。だが集団間の利害関係はあったため、それを共通化するために宗教的祭祀が行われ、祭司長が大きな集団のリーダーとなった。小集団間の利害の調整は祭司長が行った。その原始的な仕組みが現代にも残っている。日本は神話として創られた国家の由来を記した『古事記』・『日本書紀』などにおいて、史実を組み合わせて天皇の誕生に触れているが、日本が国家として成立したのは海道東征にも表れているように、西で成立した政権が東の諸部族を征伐(九州→奈良→東北)したことによると思われる。その天皇が今でも国民の象徴として奉られ、政治の実権は失ったものの、国民の敬愛を受けている。国家である「君が代」にそれが象徴的に謳われている。そして天皇は本来の、祭司長としての役割を務めておられるとともに、国民の安寧を祈る役割を果たしておられる。

  だがその他の多くの国家は闘争の歴史の中で、比較的最近になって近代国家として成立した(米国:1784・中国:1949・ロシア:1991・ドイツ:1949・フランス:1792・イタリア:1946・スペイン:1479)。日本は701年の『大宝律令』で国号を「日本」とし(それ以前は大陸国家から「倭」と呼ばれていた)、近代になって「大日本帝国」と呼び改めたが、太平洋戦争の敗戦によって再び日本に戻った。韓国は正式には「大韓民国」であり、現在使われている「韓国」は略称である。その民族的歴史は古いが、中国ほどではない。しかも政権は目まぐるしく交代し、血縁的一貫性はない。日本は権威者の血縁と国家名を維持している世界で稀有な存在である。そして日本のイデオロギーは一時戦時中に「神国日本」と言われたように、神道を基にしたアニミズムにあったが、戦後は米国による支配もあって、欧米の民主化が進み、戦後は民主主義が日本のイデオロギーとなった(民主主義もイデオロギーの一つである)。だが山本七平がいみじくも指摘したように、日本は相変わらず「日本教」というイデオロギーではない普遍性のある宗教概念を持っているようだ。それは普遍性があるため、多くの宗教を取り入れる余地を持つものであった。一方、西欧が持ち込んだ一神教のキリスト教は結局根付かず、国民の1%を超えることは無かったと言われる。

  話が反れたが、改めてイデオロギーと考えられるものを列挙してみたい。①闘争主義・②暴力主義・③宗教主義・④民主主義・⑤国家主義・⑥共産主義・⑦国益主義・⑧個人主義・⑨利己主義、等々である。これは人類史に誕生した歴史的な順に並べたものであり、原始時代に近いほど序列の最初の方のイデオロギーが生じている。原始時代から王権成立の頃までは①と②が主体であったが、中世に入ると③が入り込み、ルネッサンスやフランス革命で④が生まれた。だがヨーロッパが先に大航海時代を始め、産業革命に成功したことで⑤が主流になり、これにより生じた大量の労働者階級がマルクス主義の⑥を受け入れた。だがすぐに④と⑥の競争が始まり、冷戦をもたらした。この時期には東西陣営は結束を強めたので自国の利益優先は抑えられていたが、冷戦が無くなると一気に⑦に進んだ。それは各国の競争を生み出し、低賃金で良い製品を輸出した中国が勃興してきたことで国家経済競争が激しくなってきた。そして成熟した先進国には⑧が定着し、さらに⑨に進んでいることが顕著になってきた。

  こうした流れをみると、個人主義が人類が達した最高のイデオロギーであるように思えるかもしれない。だが個人主義は生活の向上と贅沢を求めたため、今や人々は昔の王侯貴族に並ぶ贅沢をしており、それが当たり前になってしまったことで、地球環境の変動をもたらしている。地球温暖化である。それは地球が消化可能なレベル以上のCO2を排出し続けたからであると言われ、人間生活全体、すなわち人間活動がもたらしたものである。確かに個人が豊かになることは、人間界としては好ましいことだが、パイの大きさに限度があることから、いつかは限界に達すると考えるのが当然であり、科学的な結論でもある(21.5.28「成長の限界」)。つまり個人主義はやはりイデオロギーであって、普遍性のないものである。

  ノムはイデオロギーが今後どのように後退、発展していくかを見てみたいと思う。既にその兆候は出ており、先進国となったアメリカ・ヨーロッパ・中国・韓国などでは個人主義から利己主義と呼ばれている段階に達しているとも言われるが、日本ではまだ利他主義を取る人が多く、利己主義は少ないとされる。中国は共産党一党支配の独裁政治が国民を抑えているため、本当の意味での個人主義にはなっていない。個人主義は共通して人口減をもたらしており、米国・欧州では移民がそれを補っている。つまり個人主義は生殖による子孫継承よりも、個人の生活を優先しているため、こうした傾向が出てくるのである。それは社会を安定化の方向には向かわせず、不安定化させる要因ともなっている。そしてその社会ストレス(経済・軍事・政治・民生)が最終的に第三次世界大戦をもたらすだろう。文明は崩壊し、原始時代に近い状態が生まれるかもしれない。そうした中ではイデオロギーも再び闘争主義に戻り、暴力が支配する世界になるであろう。だが一度は繁栄を享受した経験がある人間は、同じ過ちを繰り返すまいと考えなおし、新たな世界の秩序を求めるようになるだろう。それがノムの考える未来世界であることをノムは願っている(22.4.24「未来世界の精神文明と自己実現」・5.25「未来世界の利便性」・6.6「未来世界の目指すものと施策」)

(12.12起案・起筆・終筆・12.13掲載)


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