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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2023】

【時事短評】世界の移民・難民政策の失敗

2023-11-13
  11月12日にNHKが放送したNHKスペシャルの「シリーズ混迷の世紀」番組では、「難民 “漂流” ・人道主義はどこへでは、ウクライナでの戦争やガザでの戦争の他にも、多くの国で難民を生み出し、多くの犠牲者がでていることを伝えた。既にノムは難民についていくつかの記事を書いてきたが、この番組もプロパガンダの下に作られていることを感じた。それは番組最後に出てきた少女の姿に見られた。難民がボートピープルと呼ばれることがあるように、ゴムボートで漂流する難民の画像の直後に、一人の少女が父親と見られる男性に抱かれて泣き叫んでいる画像が表れた。だがその画像に違和感を持ったノムは、もう一度リプレイして画像をよく見た。何と少女は12ものブレスレットをしており、耳には大きな飾りの沢山付いたイアリングをしていた。見るからに富裕層の子と思われる。ブレスレットは太った腕にの肉に食い込んでいた。つまり少女は飢えて痩せておらず、反って普通より超えているのである。しかも支援物資を与えられたようであり、両腕にビスケットの箱2つとリンゴを1つ持っていた。

  NHKがこの番組を編集したと思われるが、なぜこの動画を最後に持ってきたのか、その理由を探ってみた。もしノムが編集者であったなら、決してこうした肥えた子を選ばず、もっと痩せた子を選んだだろう。NHKの編集者は恐らくこの現場を見ておらず、番組制作者の指示に従ってこの画像を選んだのだろうが、その選択条件は、①女の子であること・②泣き叫んでいること、だったようである。普通ならば、空腹の子が菓子とリンゴを貰えば嬉しそうな顔をするだろう。なぜこの子が泣き叫んでいたのかは分からない。だがそんなことは編集者にとってはどうでもいいことだった。とにかく泣き叫んでいる子どもを映した映像を探したように思われる。これに続く最後の映像では、視聴者を見据える女の子だった。すなわちこの番組は、悲惨さを伝えるために作られたプロパガンダ番組だということである。そしてNHKは「人道主義」が破綻していることに警鐘を鳴らし、それを守らなければならないと番組の中で示唆しながら、その解決については何も示さず「人々の命や尊厳を軽んじた先に未来はあるのか? その問いと向き合う時が来ています」とナレーションした。無責任極まりない具体性を欠いた番組であった。

  NHKは明らかに「人道主義=人命尊重主義=基本的人権」という思想を振り撒いている。これはノムの考え方とは真っ向から反対の思想であり、イデオロギーである。ノムは現代の人道主義を否定し、道理主義を唱えている(20.11.27「法律主義から道理主義へ」・22.3.3「国連安保理の愚・道理主義を取り入れよ!」)。人命尊重主義は人間の勝手で傲慢なイデオロギーだと考えており、民主主義における基本的人権という概念も否定している(21.7.14「権利と人権」・23.6.24「人間生命尊重主義の蹉跌」)未来世界では、人は環境保全と社会に貢献すべき存在だと考えるからであり、利己主義から生じる基本的人権をいうものを認めない。それについては別項で詳しく説明している(9.17「超未来世界の妄想」)

  番組では人命尊重を人道主義に基づく優先的事項だとしているが、それではなぜ戦争を大々的に批判しないのか? 戦争を先に仕掛けたロシアやハマス、そしてこれから仕掛けようとしているイランや中国を名指しして批判しないのか? 戦争が最大の人命軽視であることは明らかであるのに、NHKは起こったことを淡々と伝えるだけである。イスラエルを一方的に批判しているのは現実を見ていない証拠である。仕掛けたのはハマスであり、ハマスが最大の戦争原因であることを伝えるべきなのではないか。ハマスは薬物を使ってまで残虐な殺戮をし、非道なことに人質を取ってイスラエルの報復を遮ろうとしている。こうした戦いの仕方に道理も大義もない(10.14「イスラエルとハマスのどちらに大義があるか?」)

  NHKによれば、チュニジア沖で避難民が多数乗ったボートや船が遭難して難破して、今年だけでも2000人以上が亡くなったという。難民は1億1千万人を超えた。20世紀末には4000万人台であったが、およそ3倍近くに増えていることになる。紛争や迫害から逃れようと、人々は国を棄てて海外・他国に逃げる。それが果たして許されることなのかをNHKは問おうとはしない。逃げることは当然のことであり、国を棄てることもやむを得ないこととしている。それは人命がなによりも大事だから、と考えているからである。第一次・第二次世大戦で人間界は多くの死者を出した。その反省を込めて、戦後は難民に対して寛容になった。日本は緒方貞子という傑出した元国連難民高等弁務官を輩出しているが、緒方は「人間の尊厳」を主張している。難民を守ることはその尊厳を保つために必要なことだという。だがその理想がかつてない試練に晒されていると番組は指摘する。

  番組キャスターの河野憲治は「紛争や迫害によって故郷を追われる人々」という言い方をした。それは事実とは言えない。むしろ「故郷を棄てた人々」というべきである。国家が危機に直面した時、人々はそれと命を賭して闘うべきであり、逃げ出すのは卑怯であり、人間の取るべき態度ではない。どんな苦難があっても、人間としてその運命を変えるために闘うべきなのである(20.11.7「運命論」)。「人道」を他者に期待するのではなく、自ら人の有るべき道、すなわち「人道」を自ら選択すべきなのである。

  人道主義を唱えた西側先進国では、難民の急増に対処しきれず、受け入れを厳しく制限するようになった。そのこと自体が現代が唱えている人道主義が破したことを示している。アフリカからの難民はまず最も近いイタリアを目指して地中海を渡ろうとする。シリアからの難民はデンマークなどに陸路で向かっている。南米からの政治的難民は米国に向かって押し寄せている。ドイツでもメルケル時代には100万人規模の難民を受け入れてきたが、最近になって難民受け入れ反対の右派政党が10月の選挙で得票を伸ばしている。イギリスでは特に厳しい制限措置を取り始めた。2023年3月、議会は不正規入国者を拘束し、国外追放することが論じられ、僅差で法案が通った。1年前にはルワンダに強制輸送し、そこで入国審査を行うことをルワンダ政府との間で協定を結んだ。こうした代替措置で、難民を海難事故から救うことができ、それは人道的措置だとイギリスは主張する。イギリスの当時の首相ジョンソンは、「私たちの思いやりは無限だが、人を救う能力は有限だ」と正しい指摘をしている。野党はこれを非人道的だとして対立が続いている。だがUNHCRも、保護を求められた国が自ら難民を受け入れるという原則に反すると批判している。勿論莫大な資金(1億2000万ボンド=222億円)を提供することを条件としている。既に難民保護条約自体が時代に合わないものと化していることを証明していると云えるだろう。 

  ウェールズ地方の町ラネリは人口3万余ほどの小さな町であるが、今年になって4つ星ホテルを国が借り上げ、難民収容施設にする計画が持ち上がった。つまり高級で高価な宿泊料を国が払ってでも、難民を優遇しようとした。これに住民が反対したのは当然のことである。観光収入がゼロになる恐れがあるからだった。事実地元の従業員100人が失業したという。住民と外からやってきた人権団体の間で言い争いも起こった。国論も分断されている。イギリスは難民申請者の滞在費に年間37億ポンド(6800億円)を支出しているそうだ。不法移民による犯罪(薬物売買・人身売買)も現実に起こっている。極右グループは「ヨーロッパは難民に侵略されている」というプロパガンダを流している。

  そもそもイギリスは戦後の1960年代、ヨーロッパの大国として難民や移民を積極的に受け入れてきた。植民地だった国々からの移民も多かったし、共産圏からの移民も受け入れた。イギリスの人口の15%は移民である。ロンドンに限れば55%に上る。外国にルーツを持つスナク首相も現れた。そのスナクでさえ、難民受け入れを拒んでいる。それはイギリスとヨーロッパ大陸の間のドーバー海峡の狭さに原因がある。2022年にはおよそ9万人が難民として押し寄せた。イギリスは「難民条約」(1951)に加盟しているが、この条約では、難民の滞在の不法性に対して刑罰を科してはならないことが明記されている。入国の方法を問わずに申請を受理しなければならない義務を負っている。そこでイギリスは2022年4月、一時的に難民をルワンダの収容施設で審査することとし、ルワンダ政府と協議書を交わした。だが6月14日に第1便が出立する直前にヨーロッパ人権裁判所が介入して移送は中止され、未だにイギリス政府との間で裁判が続いている。NHKは機内の難民が「あ々、アッラーよ」と叫んだと番組の中で声を放送した。これは難民の多くがイスラム教徒であることを示している。宗教が絡んでいるということは、事態をより複雑にしていると考えるべきだろう。ジョンソンを中心とする保守層は元々は移民寛容派であった。だがこうした状況の変化は、保守層を極右に近づけている。  

  難民支援団体の代表は「この政策は非人道的だ。これは民主主義ではなく、偽善だ」と指摘する。だが、国を棄てて他国に逃れること自体が、非人道的だとは考えない問題はそこにあるとノムは考える(22.6.26「人道を考える」)

  ウクライナではロシア侵攻以後、国民の1/3が国外に逃れたという。成人男性は法律上残らざるを得なかった。気候変動によっても多くの難民が生まれている。その正確な数さえ分かっていないという。

  スイスのジュネーブにある国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の建物は、大手会社の本社ほどもある大きな建物であり、とても事務所というようなものではない。難民問題のために、国連がこれほどの規模の建物と陣容を揃えなければならないことに、虚しさを感じる。もし難民問題がなければ、こうした建物も組織も必要ないからである。現在の弁務官(UNHCRトップ)はフィリッポ・グランディであるが、彼は言い訳するかのように問題は難民の数の多さではなく、政治状況が困難であること」にあると述べた。これは本質を突いている発言である。世界の体制を変えない限り、解決は不可能だし、止めどなく難民が増えることを示唆している(21.3.28「世界連邦の可能性」)

  UNHCRはイラク戦争の際に活躍した。180万人のクルド人の難民の中の40万人が、トルコが入国を拒否したために苦難に直面した際、当時の弁務官であった緒方貞子がキャンプを設営し、イラクと米国に働きかけた。だがそれが正しい選択だったのかについては検証は行われていない。その際に特別補佐官を務めていたグランディは、「人道主義は岐路に立たされている」と危機感を述べている。「かつては世界に結束があったが、私たちがいま目にしているのは、様々なグループや利害関係そして対立による分断です」と語る。

  だがこれは人道主義が持つ宿命的な結果が表れてきたにすぎない。そもそも人道主義の理念とされている、①命を救うこと・②難民を保護すること・③正しい解決策を見つけること、のどの点を取っても、それは最初から矛盾を孕むものであった。人間が競争関係にある限り、自己優先・自国優先になるのは止むを得ないことである。問題は人間がこの競争(経済発展競争・軍事拡張競争)を止めないことにある(20.9.16「競争はいつ芽生え、何をもたらしたか?」・21.1.7「制御思想」・23.10.13「競争の制御)

(11.13起案・起筆・終筆・掲載)



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