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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2023】

売国奴(9.23追記)

2023-01-12
  前項で「敵前逃亡」を取り上げたが、その事例の中で、指導者が自国民を見捨てて外国に逃亡した場合は「売国奴」となる(1.3「指導者の立場とその心」)。だが売国奴には他の要素も含まれるので、これについて改めて取り上げてみたいと思った。この項をアップしたあと、13日の韓国のニュースの中に、元徴用工問題で原告側から「売国奴」の言葉が飛び出したらしい。韓国政府に対する罵声の一つであるが、韓国ではしばしばこうした言葉が今でも使われている。

  「売国奴」という言葉は日本では古めかしいものになっており、近年では誰も使わなくなった。ある意味で偏見性のある一種のプロパガンダ用語であると見られるようになってきているからであろう。だが日用語の「おし(唖)」がパソコンの文字変換でも出てこなくなってしまい、「発話障碍者」というようになってしまったのと同様、言葉をイデオロギーで封じるファッショ的発想による言語文化否定であるとノムは感じている。「おし」が差別用語であるというのが理由になっているが、それは公的な場での使用で問題になるのであって、日用語として禁止されているわけではない日用語を禁止するというのはまさに言語文化や人々の日常を否定することに繋がることであり、ある意味恐ろしいことである。そうしたことから、ノムは敢えて「売国」や「売国奴」という言葉を使うことにした。

  「売国」には、①自国の重要機密情報・重要兵器を他国に売り渡す・②自国にとって害となることをもたらす商売をする・③自国が戦争などにより災厄状況になった時に、他国に避難する(自国防衛・復興に全く寄与しない)、などの事例が該当するだろう。たとえばウクライナのことを考えた場合、ロシアによるプーチン戦争が始まった当初、ウクライナ政府は兵士となり得る男性の出国を禁止し、女性と子どもの避難を推奨した。家族が分断される事態をもたらしたが、まだそのことによる離婚などの家族崩壊は起きていないようである。むしろ家族の絆が強化されている面が強いだろうと思われる。日本では戦時中に疎開ということが行われ、主として子どもが地方の親戚や疎開施設に移動した。その実態についてはよく分からない点もあるが、そうした話はよく出てくる。これらについては売国というものには当たらないと考えて良い。またウクライナには「自由ロシア軍団」と呼ばれるロシア人による軍団があるそうだ。彼らはロシアを本当に愛する人々であり、プーチンを腐敗した支配者と観て母国を救うために立ち上がった。数百人規模の部隊であり、参加希望者は数千人いるという。彼らもまた売国奴などではなく、真の愛国者である

  だがウクライナの場合、海外に避難した女性と子どもは一説では700万人に上ると云われ、他国に多大な負担を強いている。ウクライナ難民の9割が女性と子供であるとされる。のこりの1割は男の老人ということなのだろう。これは第二次世界大戦以来ヨーロッパ最大の難民危機を引き起こした。ヨーロッパでは1990年代のユーゴスラビア紛争でも同様な難民が多く生まれた(1999年のコソヴォ紛争だけで85万人の難民が隣国マケドニアに流出した)が、その後は平穏を取り戻した。だが現在の21世紀最大の難民危機がどうなるかはまだ予断を許さない(2.26「民族大移動」)。ノムはウクライナに限らず、戦争や政情不安によって母国から脱出した人を「難民」ではなく「棄国民」と呼びたい。本来なら自国に留まって、国家をより良いものにするための使命があるはずだと考えるからである(22.10.31「使命論」)。居住地の選択の自由を認める現代の考え方には反するが、未来世界ではこうした「自由」の考え方は否定されるだろう。人は出生国と運命を共にする運命共同体の一員だと考えるからである(20.10.4「「人類運命共同体」の嘘と真実」)。だがこれらの棄国民は決して売国奴と同じく扱われるべき人達ではない。そこに卑劣な心や野心はないと思いたい。ただ、「自分さえ助かれば良いという考え方」は、未来世界の理念に最も反するものだということだけは確かである。

  自身の売名欲のために国家に対して甚大な損害を与えたり、国民の間に分断を生じさせたような場合は、売国奴というレッテル貼りは相応しくないだろう。こうした人物には「売自奴」というレッテルが相応しい。これは自分を売らんがために事を為す者に与えられるレッテルである。最近のことであるが、日本でそうした売自奴が現れた2022年1月27日、小泉純一郎・細川護熙・菅直人・鳩山由紀夫・村山富市の元首相5名が、「原発推進は未来を脅かす亡国の政策だ」と批判し、フォンデアライエン欧州委員長に原発推進撤回を求める書面を送ったのである(日本22.1.27「5人の元首相が福島事故による甲状腺癌をEUに訴え」・22.2.3「日本の5人の亡国元首相」)。当時、これら元首相経験者らには「亡国の士」という汚名が捧げられた。ノムは「亡国奴」と呼びたい気持ちを持った。ネットでも「他国の政策に口を出すなんて恥ずかしい」という意見があったが、やってはならないことをやったのが元首相という肩書を持つ面々であったことは、日本の信用を数段階落とすに十分であったろう。そういう意味では売国奴に等しい。引退した元首相は国家の政策、ましてや外国の政策に対して公的な意見を吐くべきではない。それが政治家の矜持であるべきである。だが彼らはまるで血判状を突き付けるようなやり方で他国の政策を批判した。彼らはプーチン戦争によるエネルギー価格高騰をどう見ているのであろうか?(22.7.6「原発廃止のイデオロギーは間違い」)

  近年は売自奴・売国奴が多産されるようになり、これも国際化の弊害の一端なのだろう。2019年11月には、フィリピン拠点に日本の闇バイト応募者にネットで指示を与えて強盗・窃盗などを行わせ、35億円に被害を出した36人ほどのグループが2022年6月2日に逮捕された。フィリピンでどう報道されたか知らないが、日本に汚名をもたらしたことは間違いないだろう。

  2019年には国会議員(NHK党)の東谷義和(通称”ガーシー”)が芸能人の名を語る詐欺を犯し、その後彼らを脅した罪で起訴され、2023年3月には一度も議会に党院せず、議員活動をしなかったという理由で議会から議員を追放された。罪を認めたにも拘わらずまだ有罪になっていない(23.9.23時点)。途中、日本を脱出してUAEに雲隠れしドバイを拠点にしていた。所持金110万円で日本を出たというが、どんな生活をしたのか知らない。2023年6月4日に帰国したところを逮捕されたが、ニヤニヤして反省の色は全く見えない。

  2023年9月18日には極めつけの売国奴が出現した。現職の沖縄県知事である玉城デニーである。つい先ごろの2023年7月3日に訪中して媚びを売ったが、尖閣問題で苦言の一つも述べるかと思いきや、一切中国に不都合な事は云わなかった。恐らくカネをもらって懐柔されたと思われる。沖縄県知事なら中国海警局船の尖閣海域侵入について抗議するのが当然だが、何も言わなければ「黙認」したと受け止められかねない。そのデニーが、なんと国連人権委員会で日本の基地問題を批判したのである。各方面から「止めるように」勧告を受けていたにも拘わらず、彼は強行した。場違いな所で日本の恥を晒したとも言える。国政に属する防衛問題で、沖縄県は終始国に抵抗してきた。辺野古移転工事でもいちゃもんを付け、国を相手に訴訟をおこしたが、2023年9が4日、最高裁で敗訴となった。9月23日の産経新聞は '主張' で「日本の知事の一人が海外へ足を運び、自衛隊や同盟国の軍の存在をあしざまに語るのは間違っている。自衛隊・米軍と県民を分断するような演説を喜ぶのは、対日攻撃の可能性を考える外国(中国:ノム註)の政府と軍ではないか」と「日本の知事の資格を疑う」で書いた。むしろ「デニーの知事資格を剥奪せよ!」と云いたいところである。残念ながら、日本は国民の声を実現できる法律を持っていない

  玉城には前歴がある。2019年4月26日に中国の一帯一路への参加を唱え、沖縄を玄関口として提供する旨の発言をしている。2019年5月31日の記者会見では、八重山漁船が中国公船に追尾された件を「中国公船がパトロールしていることもあるので、故意に刺激するようなことは控えなければならない」と発言して中国を擁護した。2022年11月7日、中国共産党系機関紙、環球時報のインタビューに歴代の沖縄県知事として初めて独占インタビューに応じている。 その中で米軍基地の負担問題や普天間基地移設問題について語るとともに、沖縄と福建省の琉球王朝時代から600年以上の歴史を強調し、交流をさらに強化することの重要性を述べた。これは習近平に早速利用され、沖縄が古来から中国の領土であったという理由付けとされた。2013年5月16日には、中国共産党機関紙人民日報が突如「明清両朝の時期、琉球は中国の属国だった」という記事を載せている。2023年6月4日、習近平が初めて琉球(沖縄)と中国の交流に触れた発言をした、と人民日報が報じた。中国の尖閣・沖縄進攻への準備はまず認知戦から始まっているようだ。歴代沖縄県知事は翁長雄志知事の頃から完全に中国に飲み込まれている。  

  他にも歴史上には売国奴と呼ばれるに相応しい行動なり発言をした者は山ほどいるだろう。いちいちそれらをあげつらうことはしないが、少なくとも日本人は凛々しく国家のため、さらには世界のために献身していくべきであり、自分の欲に駆られて他国に情報を売るようなことをしてはならない。また自分の売名のために国家を貶めるようなことをしてはならない。売国奴と呼ばれることは人として最も恥ずかしいことであるだが世界の平和のために、より高い視点から自国を批判する人は勇気ある人であり、そうした義人は英雄である(21.1.30「英雄論」)特に外国からではなく、国内に於いて政府の腐敗や不正を批判するひとは本当の勇気を持つ人である。こうした人々を決して「売国奴」と呼んではならない。それは後世になって再評価されることであるが、勇気をもって不正や腐敗とは闘わなければならない。

(1.11起案・起筆・終筆・1.12掲載・随時掲載:最終9.23)


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