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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2022】

原発廃止のイデオロギーは間違い

2022-07-06
  2011年3月11日の東日本大震災により、福島第一・第二原発が津波により甚大な被害を受け、結果として冷却しポンプが電力停止により止まったため、原子炉が暴走を初めて炉心溶融を起こし、その結果水蒸気爆発などにより建屋が吹き飛んだ。これにより原子炉の上部にあった核燃料貯蔵プールにあった核燃料も吹き飛び、大量の放射能が風に乗って周辺町村に拡散し、住民は避難を余儀なくされた。この未曾有の大災害ではいくつもの教訓を残したが、その中には誤った教訓も作られた。以下ではノムの主張とその論拠、そして誤った教訓を国策に適用した日本とドイツの悲劇について述べたい。

  人類はアフリカにその原初が誕生したと言われる。そして多くのヒト族を生み出したが、大地溝帯の放射線により環境変動による進化速度が速まり、ホモサピエンスが誕生したことで知能がより高まった(2.25「人類史」)。やがてサピエンスは出アフリカを果たし、全世界に拡散したとされる。それ以後大きな進化は起こっておらず、せいぜい20~30万年前に誕生した人類は、多少の形態上の変化は環境に合わせて起こったものの、別種は誕生していない。世界に拡散したサピエンスは同族ヒト族を滅ぼしていき、ついに世界の隅々を支配するようになった。自然界には自然放射能が存在し、常にそれは進化の機会を与えているはずであるが、ここ20万年以上に亘って大きな進化が起きていないのは不思議でもある。

  だが大量の放射線というものがもたらす致死的な状況はこれまでにも自然界にあったかもしれない。それは現代に至ってサピエンスが生み出した人工的放射線が証明した。言わずと知れた核兵器である。その開発過程や原発開発過程でも、いくつもの隠された放射線事故があった。だが最も明瞭であったのは、米国による核実験で兵士がモルモット代わりに放射線を浴びたことである。軍はこれを機密としたためにその実態はまだ十分究明されていないが、明らかに短時間に大量の放射線を暴露すると、遺伝子に致命的傷を負わせることにより、発癌などによって健康被害や寿命短縮が起こる。そして決定的な証拠は、米軍が広島・長崎に投下した原爆によって証明された。だがその記録も封印されているために、実態はまだ不明である。

  一方、放射線が健康に与える良い影響については積極的な研究が余り行われていないようである。それは原爆などの核兵器が世論に与えた衝撃が余りに大きく、反核兵器論が反放射線論を生み出したからである。日本では米国によるビキニ環礁での水爆実験などで発生した放射能を浴びた第二福龍万事件が国民に大きな衝撃を与えた。それらによって日本人には世界でも顕著な核アレルギーが生じた。それをノムは核アレルギーイデオロギーと呼ぶ。それが特に日本に強いのは当然であるが、多くの世界の科学者や民にも広がった。原子力発電というものが発明されて、一時は夢のエネルギーともされたとき、これは核絶賛イデオロギーを生み出した。だがこの2つのイデオロギーの対立は、3.11事故により核アレルギーイデオロギーの勝利に終わったと言えよう。だが核エネルギーについて科学的に考えれば、その平和的利用には多くの利点もあることは明確になっており、特に電力を生み出す発電が化石燃料で行われるよりも、CO2を複成しないという点で圧倒的に有利であるとされる。問題は事故を如何にして防ぐかであり、技術というものは進歩することが明瞭に分かっていることから、原発技術というものを放棄することは誤りである。既にこれはイデオロギー化し、政治化してしまっており、議論の対象にすらならなくなっているが、もう一度冷静に科学的視点から原発の功罪を議論する必要がある。

  現在、福島原発は廃炉に向けて未経験のチャレンジをしているが、日本では新たな原発開発は事実上できなくなった。それは技術進歩を止めたことに匹敵する。一方フランスは原発を推進する政策を推し進めており、原発大国とも称されるようになった。ドイツはメルケル首相の時代に3.11事故に衝撃を受け、以後原発全廃を国策として採用した。現在3基がまだ可働しているようだが、今年の年末までに停止される。だがここに至って世界にエネルギー価格変動が生じた。プーチン戦争が引き起こしたEUとの制裁・報復の連鎖が、ロシアにエネルギーを6割も依存してきたドイツに最大の試練を与えている。そしてドイツが期待して進めてきた風力発電が、天候異変で風が余り吹かなかったことにより電力需要逼迫が起こった。聞くところによるとドイツではガソリンが1L当たり260円(日本では168円)だそうである。電気料金もうなぎ上りに上がっており、ドイツは反原発で政策を大きく誤った日本も同様の失敗をしており、これからそのツケを払わされることになる。

  さらに日本は放射能対策でも過ちを犯した(民主党政権)(21.3.13「菅直人元首相を弾劾する」)。大量の住民を一時避難させたのは当然であったが、放射線レベルの高い地域への帰還を許さず、廃村・廃町ということが起こったのである(21.11.8「放射能問題は全くの虚構」)。10年以上を経て帰還可能になった町村もあるが、すでに社会インフラが復活しているにもかかわらず、帰還する人は少ない。コミュニティが破壊され、戻っても孤独と不便な生活が強いられるからである。既に避難先で生活を確立した人も多いという。原発事故が一段落して安全となった時点で、全ての人に帰還の自由を選択させるべきであった、というのがノムの主張である。少々の放射線レベルの上昇は、発癌率を高めるという負の側面と、人体を活性化させて健康を増進させるという善の側面を併せ持っている。悪い面だけを強調するのは科学的とは言えない。

  日本でもドイツと同様なエネルギー問題が起こりつつある。再生可能エネルギーへの転換政策と原発縮小政策がプーチン戦争によるエネルギー高騰によって行き詰まりを見せている。東電の電力価格は毎月上がっており、尋常ではない。日本政府は原発についてまともな議論を避けてきたため、国民意識への忖度政治によってポピュリズムに陥っており、今さら原発建設を唱えることもできないドイツも日本もイデオロギーのトラウマに囚われており、現在の緊急事態に対応できていない。では本当に放射能は危険なものなのであろうか(21.11.8「放射能問題は全くの虚構」)。それをもう一度真正面から議論し、原発の有用性を見直さなければ、ドイツも日本もその繁栄は衰退へと向かうであろう。

  原子力発電というものの本質は、過去に蓄積されたエネルギーを現代で急激に解放しているという点では化石燃料と同様であって、決して推奨されるべきものではない。太陽光由来の再生可能エネルギーの方が優先されるべきものであることは間違いない。だが化石燃料を使用するよりは遥かにマシなのは、発電に当たってCO2を排出しないことにあるとされる。だがノムはそれは原理的な話であり、実際には原発施設の建設でも莫大なCO2を排出しており、運転でも可動重機などに化石燃料を使っており、放射能廃棄物処理でも同様に化石燃料を使用している。つまりトータルで考えた場合、全くCO2を排出していないわけではないのである。電力会社も政府もその計算をおこなっておらず、当然公表もしていない。不都合なデータは出さないのが常である。これではまともな科学的議論はできない。

  一方、脱原発を唱える政治家・科学者・専門家などの論理には、問題になるような重大な欠陥を指摘するという姿勢が欠けており、議論は情緒的・非科学的・イデオロギー的・政治的なものになっている。つまりリスクテイクにおける確率論が無いのである。仮に3.11大震災が1000年に一度の大災厄であったとすれば、我々日本人が原発によりここ数十年に受けてきた恩恵と比べて、どちらを優先すべきかを議論しなければならない。ましてやこれからの数十年を考えた場合、原発を無くして化石燃料に依存するような事態が起こったとしたとき、地球環境を破壊してでも火力発電に頼らざるを得なくなるかもしれないというリスクをどう考えるのだろうか。事実ドイツでは緑の党のハーベック経済・気候保護相が「石炭火力を稼働させる」と言わざるを得ない事態になっている。ドイツがフランスに見習って原発大国になっていたら、あたふたすることも無かったかもしれない。だがハーベックはイデオロギーから、原発再稼働には触れなかった。日本は残念ながらドイツを模範としてしまった。日本はドイツほどロシア産原油などに依存していないが、サハリン2も政治的報復で失うことになりそうであり、10%前後のエネルギーを失うことになるであろう(7.2「ロシアが日本からサハリン2の権益強奪」)。つまり電力料金は確実に10%以上跳ね上がるということである。

  日本はまだ、ドイツと違う道を歩む可能性は残されている(6.2「世界的エネルギーショックにどう対応するか?」)現在休止中の原発の再稼働をすれば良いのである。緊急事態が発生しているときに、安全性云々を言っている暇はない。当面の安全性を確認したら、すぐにでも再稼働に踏み切るべきである。可働可能な原発は17基ある。当面はその稼働でこのエネルギー危機は凌げるかもしれない。間違ってもドイツの真似をして、頑ななイデオロギーに振り回されることがあってはならない。かつてイギリスには「赤旗法」というものがあったそうだ。馬車の時代にいきなり現れた自動車というものに恐怖を抱いた国民は、市内を走る自動車の速度に制限を与えるために、車の前に赤旗を掲げた人が立って歩いて先導をする、という法律を制定してしまった。それによって蒸気機関を発明して産業革命を起こした国が、自動車ではアメリカのフォードに負けたのである。以後大英帝国はその影を潜めてしまった。日本でも蒸気機関車が登場したとき、その煙が煙害をもたらすと国民が騒いで鉄道敷設を拒否した市があったという。結局その市は田舎となり、県都の地位を失った。技術を拒否すれば、待っているのは衰退だけである。

  現代は未だ競争の時代にある。競争に負ければ衰退・没落の運命を甘受しなければならなくなる。それで良いならばそれも良しであるが、もしそうなりたくなければ、世界での正当な競争には勝たなくてはならない。そうした将来を考える上で、イデオロギーほど邪悪なものはない。これは固定観念に基づくものであり、決して他者の言を受け入れようとせず、妥協すらしない。イデオロギーは闘争を生み出すだけであり、健全な議論を妨げる。原発廃止論者のイデオロギーも同様であり、何ら科学的根拠がないのに国民の情緒的感情におもねって「原発反対!」を絶叫する。プーチン戦争が起こる少し前に、かつての日本の宰相を務めた5人のご老人が、原発反対の狼煙を上げた(21.3.13「日本の元首相5人の異常な脱原発思想」)。彼らの意図がどこにあるのか推し量りかねるが、今こうした状況に至って、彼らはどう考えているのだろうか。知りたいものである。




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