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【時事評論2022】

人類生態学は面白い

2022-12-25
  人類生態学という学問分野がある。勿論これより範疇が広い生態学(自然生態学)の中の一分野である。動物を扱う場合には動物生態学、植物を扱う場合は植物生態学ということになる。さらにこの人類生態学の中には、社会生態学・人間行動学などの分野が含まれてくるだろう。人間はもともと動物の中の1種に過ぎなかったが、知能を持ったことで他の動物とは一線を画す存在となった。そのため学問的にも対象を別に区分けしなければならなくなったのである。ノムは人類生態学を自然生態学の中の動物生態学と比較して考えてみたい。そうすると結構面白いことがいろいろ分かってくる。簡単に言えば、動物と人間はどこが違うのかということがテーマになってくるであろう。

  ノムはこうした分野については門外漢の素人であり、偉そうなことを云えない立場にあるが、本ブログが素人の視点を重視しているというスタンスを持っているため、堂々と以下に持論を展開したい。まず動物と人間の違いを項目ごとに比較し、その後で論を展開していく。

1.生きる目的:動物は子孫繁栄を第一としており、人間は必ずしもそうではない。むしろ個を重視する。
2.死の態様:動物は「個の死」を「群れ全体の生存」のために躊躇しないが、人間は個の死を恐れる。
3.生活:動物の生活様式は環境への適応で決まる。人間は知能により環境を改変して生活を向上させる。
4.行動:動物の行動は反射的・本能的であり、人間の行動は本能的であるとともに意志的である。
5.仲間との関係:動物は独立個体として行動する種と社会性を持つ種がある。人間は完全に社会性である。

  1.生きる目的:動物は生死に頓着しない。たとえ母親が子を失ったとしても、悲しみに暮れるというのはほんのわずかな時間だけである。そして次の子を産むための準備に入る。子孫繁栄を本能に仕組まれており、そのための体形の進化・生理的進化・生息領域(テリトリー)の拡大を行ってきた。だが人間は子の命に固執し、子を失った場合は親は生涯それを弔う。ノムの友人の中には、小学生ほどの年齢で男の子を失った父親が、等身大の写真を作って飾っていた。子をもたない人も多くなりつつあり、その場合は個人の楽しみのために生きている場合が多い。人間のみが、生きる目的を多様化してきた。そして現代のイデオロギーは「生きる目的の多様化」を是認し、奨励しているほどである。

  2.死の態様:動物は恐らく人間のような意志を持たないため、個の死には意味がない。それは自然界で繰り返される生命循環の一環でしかない。中にはカマキリの一種のオスは、生殖を遂げるとメスに食べられる運命にあるという。これはその方がメスの卵の発育が良くなる、という理由があるからだそうだが、明らかに子孫繁栄のために死を覚悟しているようである。サケは産卵のために川を遡上し、産卵後は死ぬ運命にある。人間の死の態様は様々であり、スターリンや毛沢東のように、国民を餓死させたような人物であっても、地位が高ければ死後に盛大な葬儀が行われ、遺体さえ永久保存されるという矛盾がある。北朝鮮ではリーダーの不徳のために、多くの国民が餓死した歴史があるし、現在もそれは続いている。現代では戦争・紛争に巻き込まれて、悲劇的な死を遂げる人が後を絶たない。動物では同種同士の争いは極めて稀であり、人間界特有の現象と言えよう(20.4.27「人間の死生観と死の哲学」20.11.7「運命論」・21.5.11「死の哲学の科学的根拠」)

  3.生活:動物は生まれた環境に適応して生存本能により生きる方法を探す。環境が生存に適切な場所ではなくなれば、生まれた子らも死ぬ運命にある。運よく生き残った個体から新種への進化が見られる場合もある。人間はホモサピエンスとして誕生してからまだ数十万年という短い時間しか生きていないが、知的本能から生じる好奇心によって瞬く間に世界に拡散し、それぞれの行先で環境に適応した。それも進化による適応ではなく、衣類・狩猟道具・家屋などを自ら作り出したことで生き延びてきた。動物には適応できない極寒の地や酷暑の地でも人間は繁栄できる(4.14「未来生活の想像図」)

  4.行動:動物の行動は生体に仕組まれた本能によって決まる。学習は誕生後の短期間に行われ、数時間~数ヵ月で一人前に活動できるようになる。生殖行動は繁殖期という特定の期間に行われる。オスが生殖のために特化していることもよくあり、オスもメスも生殖後に死ぬことが多い。人間は生殖後にも長く生き続け、それはおおよそ生殖可能期の2倍以上に達している。生物界の常識で言えば、生物は死の直前まで生殖能力があるのであり、逆にいえば、生殖を果たしたら死ぬ運命にある。だが人間はその寿命を薬や医療技術で伸ばし、日本では100歳時代を迎えたとさえ言われるようになった。40歳で女は生殖能力を失うが、その倍以上の期間を何をしているのかというと、もっぱら個人の楽しみのために生き続けるのである。それは地球環境に大きな負担となるようになった(8.11「物品購入で環境問題を考える」)

  5.仲間との関係:動物は群れを作って社会を作る場合もあるが、多くは独立した生活を営んでいる。群れを作る動物の方が圧倒的に少ないと思われる。人間は身体的には他の動物に比して弱い。牙も持たず、強力な爪も持たず、皮膚は薄くて傷つきやすく、何よりも体毛を失ったことで他の野獣の格好の餌食になり易い。だが知能が創り出した武器を持ったことで、野獣の恐れる天敵となった。仲間との声による情報伝達が狩りの精度を高めた。そしてその経験なり技術を文字を持つことで子孫に伝達するという動物には出来ない技を獲得した。人間は仲間との連携によって個の弱さを克服してきたのである。

  以上の考察から、人間は生きていく上で連帯を強化しなければならないことが分かる。だが現状では、国家内でさえ分裂が起こり、権力闘争に明け暮れる国家もあり、ましてや外国との連携を断とうとしている国(北朝鮮・ロシア)さえある。こうした種同士の闘争がもたらすものは破壊と滅亡への道しかない人類の叡智がまだ極みに到達していないとノムが見るのはそうした観点からである。それはより知的に進化したネオサピエンスの時代が到来するまでは無理なのであろう(21.4.8「ホモサピエンスからネオサピエンスへの進化」)。だがその時代が到来すれば、再び人類は連帯した世界を構築するだろう。それは連邦という形になり、主権は連邦だけが持つことになる(20.12.26「主権論」・21.3.28「世界連邦の可能性」)現代人がそうした未来への展望を持たないということが、ノムには不思議でならないのである。


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