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【時の言葉】外出を控え、資源消費を減らそう(2022.6.20))

【時事評論2022】

未来生活の想像図

2022-04-14
  これまでに説明してきた未来世界のシステムから想像される人の生活というものはどのようなものになるのであろうか。それを先に説明しておくべきだったのかもしれないが、結論を先に述べてしまうのは論理の逆転であると考え、先に人間の原理を考察して、そこから導き出される最善の人間の在り方を模索してきた(1.1「人間の基本原理」)。そしてそれをノム思想という形で統合し、一連の議論を曼荼羅のような絵模様の中に組み込んで整合性を取った(20.9.7「ノム思想(ノアイズム)とは何か?」)。これまでに矛盾するものはほとんど無かったことから、これらの理論はノム思想という大理論の中に組み込むことができた。そしていよいよ、未来世界に於ける人の生活の概略を説明する時が来たように思う。それは現代から観れば理想上の空想図、絵に描いた餅に見えるかもしれないが、科学的必然性から導き出されたものであることから、決して空想的なものではない。また現代から観れば過酷であるとも言える側面もあることから、決して理想的と言えるものでもないであろう。以下の「未来生活の想像図」を読んでもらえば、その意味する処は分かってもらえると思われる。

  未来世界には進歩はあっても発展・繁栄はない。これまで人類が求めてきた繁栄は、それ自体が人類を滅亡の危機に追いやったからである。だが人間が知能を進化させることによって、その存亡の危機は乗り越えることができるとノムは確信している。そんな未来世界の人の生活はどんなものなのだろうか。まずはそれを箇条書きにしてみたい。

 1.世界には貿易や交易が無くなる。地域主体で生活が賄われる自給自足の世界となる。輸入品という言葉は死語になるだろう。生産に必要な資材は連邦から支給されるが、各国に割り振りがあるので要望通りにはならない
 2.人の生活は自然界のサイクルに合わせることで、非常にスローなものになる1週間の労働時間は25時間程度になり、あとは自宅の整備やボランティア活動、そして趣味などに費やされる。だが決して人々は退屈することはないであろう。それはそれら労働・整備・ボランティア・趣味にそれぞれ意義を感じるようになるからである。
 3.1週間のうち1日だけボランティア活動に専念する日があるだろう。それは公共の道路・公園・施設などの整備・清掃に充てられる。そしてその義務を果たすことで、人は人格点を向上させることができる。
 4.仕事の時間配分は自分で決められる。たとえば9時から仕事をする人もいれば、朝の4時から始める人もいる。仕事の性質・本人の意思、によってそれは自分で決めれば良い。だが常識を超えた時間に仕事をし、それが怠けから出ていると評価された場合は人格点を損なう。仕事の開始時間は定時に定めた方が習慣化の原則から良いことだが、元気が出ないときや体調が不良なときは時間をずらすのは問題ない(4.15「習慣化の重要性」・4.16「労働の意味」:予定)現代のフレックス制に近いものになるだろう。
 5.給与は年収となるだろう。繁忙期・休閑期があっても、安定した収入が保証される。給与の大小は1:100程度の差に抑えられており、最低給与は年収300万円(現代日本基準)程度となる。最高給与はどんなに利益があっても高位の人物でも3億円以内となる。
 6.年功は給与に反映され、長く同じ組織に勤めるほど有利になるだろう。そのため人的移動は制約されるが、適材適所の原理から、抜擢されれば給与は上昇する。
 7.社会には競争が無くなるため、営利のために自分の誇りを売り渡す必要は無くなる。必要な仕事が生じた場合には、人はそれに全力を傾けるが、限界に達する前に人的補充が必ず為される。それは未来世界には人的保留(待機長期休暇制度)という余裕があるからである。
 8.人は整備・清掃によって公共のモノを長持ちさせることに貢献すれば、人格点を得られる。たとえば上記したボランティア活動による道路清掃・道路除草・道路整備、公園清掃・公園除草・公園整備、等々である。自分のモノを長持ちさせることも評価対象になり、表彰や人格点向上がされる場合もある。
 9.必要な場合はアルバイト(不定期就業・兼業)ができる但し学生はアルバイトは原則禁止される。学習に専念するためである。
 10.人の生活に必要な物資・食料は収入の範囲で自由に購入できるが、その数量が異常なばあいは理由が必要となる。
 11.人災・自然災害があった場合、それは全て国庫からの支援で賄われる。すぐに空き地に建てられる仮設住宅に住むことができ、必要な生活物資も配給される。ただし、それは経費として後日弁済されなければならないが、その期間は20年と長い。

  具体的にAさん(男性)の事例を取り上げよう。Aは一般家庭に生まれ、国の決まりで乳児期から保育園に預けられる。両親もAの将来を考えて躾に厳しく、保育園でも共同行動が重視される。養育期を過ぎて物心つくようになると、社会貢献に積極的に取り組み、ポイントを稼ぐことに熱中する。小学校まではそれが日常となっていた。道路には車がほとんど通らないので、もっぱら広場や公園の森で遊ぶことが多い。中学校に入学すると勉強に目が向き、成績順位を気にするようになる。結構一生懸命勉強し、成績も上位になった。徳行にも優れていたのでクラス委員を任され、指導力も身に付けた。だが凡人であったのでとても賢人候補にはなれず、自分の将来を夢見るようになる。

  高校に進学し、集団作業に精を出す。農家に泊まり込んで農繁期の作業を手伝い、人格点を向上させた。山林整備では落ち葉さらいをした。体力も付き、健康だったが、難病に掛った。運命を諭されたが彼は生きることに全力を傾け、人格点が上位であったので国から特別な治療を受ける資格を与えられた。難病から快癒したAはさらに国家に報いるため医者になることを志す。一生懸命勉強して医大に入り、無事卒業して医師となった。結婚は遅かったが28で結婚した。普通は学業が終わって就業するとすぐに結婚することが多い。子どもも1人生まれたので血統を重視して女性の家名を付けた。だが子育てで結婚相手に失望し、同時により良い相手が見つかって離婚を考える。離婚手続きは面倒だが問題は無かった。新たな相手とは暫く同棲することにして、男女パートナーとなった。結婚しても特別有利になることはなく、子ができれば子は両親・祖父母と社会が育てると言う考え方なので負担はごく少ない。

  Aが就労していた会社が倒産の憂き目に遭った。Aはかねてから誘われていた別の会社に勤務し、これまでの経験が役立った。子どもは成長して独立し、生活はパートナーとの2人生活に戻った。Aは他にもセフレ(セックスフレンド)は何人もいたが、パートナーとの生活には満足していたのでそろそろ籍を同じにしようということになり、結婚式を身内で行った。近所の人も参加できる休日の学校を借りた自由パーティー式である。飲み物とケーキくらいしか出ないが、誰もが祝福するために集まり、総勢100人くらいは来た。時間も半日掛けて、出入り自由である。

  Aは70歳の退職の時期を迎え、趣味に打ち込むために就業を止めた。不労者となり、ボランティアに明け暮れたので表彰もされた。趣味は農芸や動物飼育である。動物はハトとウサギを飼い、業者を通じて市場にも出した。この市場では飼育者・栽培者の名前で登録された商品が売られる。70歳を迎えて同時に余生を10年と定めた。80歳を迎える前に重い病気になり、特別な治療は施されないため安楽死を選択した。75歳で彼は家族・親族・隣近所・友人に囲まれて、やはり学校の体育館で2時間ほどのお別れ会を開いた。遠い地に住む人には案内を出さず、死後に通知を出した。総勢50人ほどが集まり、その夜にAは野菜畑に囲まれた映像を見ながらあの世に旅立った(4.15「安楽死における幻想映像の選択」)

  Bさん(女性)の事例も取り上げよう。Bは学者の家庭に生まれ、幼児から家庭と保育園で育った。両親は堅い雰囲気であったが、Bには優しく接した。物心つくようになると、社会貢献のための清掃活動などに取り組んだ。また踊りなどのパフォーマンスが好きだったので、児童演舞団にも所属した。勉強はそれほど好きではなく活動的だった。キャンプや遠足が好きだった。いつも野外で飛び跳ねていた。成績はそれほど良くなかったが、活動的な点を生かして奉仕活動で人格点を上げた。人並みの成績と人格点であったが、明るくて周りを人を喜ばせたので、演芸の方に興味が湧いた。高校生になって劇団に入ることになり、この方面でも人格点を稼いだ。

  この頃に男性に恋をしたため、比較的早く男性との同棲生活(セクシャルパートナー)を始めた。だが1年ほどでその関係は途切れ、再び演芸の方に集中した。勧誘を受けてテレビなどにも出るようになり、少しずつ名が広まった。地域のイベントにも参加したりして溌剌とした生活に恵まれた。そうした中に再び恋が芽生え、今度は大人としてパートナー生活を始める。やがて子が生まれたが、相手は認知を拒み、自分の子として育てることにする。多少苦労はしたが、それほど問題があるわけではなかった。貧しくとも子育てに熱中したことで、子もすくすくと育ち、やがて子が親を抜いて脚光を浴びるようになる。育て上げたBは十分報われたと思って子を独立させるように仕向けた。そして自らは再び社会活動に自分の生き甲斐を求めていく。そしてそれも報われ、いつしか地域にとって有用な人材となっていく。賢人ではないため議員に立候補することは難しかったが、その補佐的な仕事に従事することはできた。いつしか政治家の脇役として着実に成長を遂げた。高齢になって70歳に達した時、やはり寿命を80歳に目標を定め、元気なうちに生を全うしようと考えた。終活を完全に終え、残すものがないようにして、彼女もまた安楽死を選び、事前にお別れパーティーを開いて、その夜幸福感に溢れた状況で死を迎えた。

  他にもいろいろな人生を描いてみたいが、紙幅が限られていることからここまでにしたい。幾分かは、未来が自由で安定した希望に溢れる不安のない世の中であることがお分かりいただけたであろうか?



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