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【時事評論2022】

人間のサイボーグ化は人類進化なのか?(22.10.7・23.5.2追記)

2022-02-06
  NHKで1月31日に再放送された「ヒューマニエンス」というシリーズ番組のテーマは「サイボーグ 遺伝子進化との決別か?」というものであった。以前見たこともあったのかもしれないが、改めて人間のサイボーグ化は人類の進化なのか、ということを考えさせられた。NHKは2017年10月11日に「BS世界のドキュメンタリー」で「私のまわりはサイボーグ」という番組を放送している。2018年10月には「超人類 ヒトか? 機械か?」を、2022年6月3日には「光と闇の科学者伝」で「サイボーグの父 ラルフ・モシャー」を放送している。これらを参考に、サイボーグの現状を踏まえて、本質的な議論をしてみたい。

  番組の主旨は、「進化し続ける人と機械の融合技術は、それ自体が新たなるヒトの進化と言えるのか?」というものである。司会は井上あさひ・パネラーはいとうせいこう・ナレーターは藤井千夏・トークリーダーは織田裕二であり、解説は筑波大学の山海嘉之(よしゆき)である。

  人とマシンの融合をサイボーグと呼ぶ。ここでは人と道具(たとえばメガネ)との融合は扱わない。マシンとは動作する器械のことである。山海はこれを人類の「アップグレード」と考えている。これは人類が遺伝子進化に新たな進化の方法を加えたことになるかもしれないという。

  人間はかなり古くからメガネで視力を補い、義歯で歯を補ってきた。近年ではインプラントという手法で歯も人工的に埋め込んでいる。最近では義肢も装着型サイボーグと呼ばれるものに進化している。これまでの義肢は装着するだけで動作はしなかったが、最新の義肢は動作して人間の歩行を補助する。これは山海が2005年に開発したもので世界に先駆けたものであるという。すでに日本でも人間のサイボーグ化は始まっているということになる。重要なのは脳からの指令を神経を通じてセンサーに送って義肢をモーターで動かし、義肢を動かしたことを脳にフィードバックして伝えていることにある。これによって自分の脚が動いているような感覚が得られるという。これはまた、自分の脚でなくても構わないことになり、脳の指令を何らかの形でロボットに伝えて動かすことができることを意味する。

  サイバネティックスという言葉がある。これとオーガニズムが合成されたのがサイボーグである。現在行われている方法は、身体の神経に流れる情報を背中に貼った電極で横取りし、モーターなどが動くような仕組みになっている。山海が開発したHALという歩行補助マシンは、腰につけたモーター内蔵の補助具によって、歩行や物を持ち上げる動作を補助する。それは自分の意思と同時に行われるため、遅れが無いことで自分が動いている感覚となる。電動自転車とはその点が大きく異なる(そして電動自転車は装着型ではない)。

  サイボーグが発展したのは第二次世界大戦が切っ掛けだったという。原爆が発明され、原子炉が稼働し始めると、放射線から人間を守るために、ロボットの開発が進められた。米軍からの要請もあり、GEのラルフ・モシャー(ー2008)は油圧システムを使ったサイボーグの最初の原型の試作に打ち込んだ。1956年には「イエスマン」という最初の試作機を作っている。1960年代にはベトナム戦争が始まったことで、海軍から航空母艦で働く爆弾装着用のロボット開発も請け負っている。だが彼が作った装着型サイボーグマシーンは余りに重すぎたので結局計画は途中で挫折し、1971年に軍からの資金提供は打ち切られた。丁度その頃コンピューターが台頭してきたため、彼の古臭い研究は顧みられなくなった。機械を制御するのはコンピューターに替わったのである。2008年に彼は失意のうちに88歳で世を去った。だがその後のコンピューターの発展がこの研究の欠点を補い、現在はまたサイバネティクスは時代の脚光を浴びている

  また平和的利用として、戦争で負傷した人の機能回復のためにサイボーグが取り入れられた。最近では感覚器官の機能を補助するものまで登場し、全盲の視覚障碍者の歩行を補助している。大阪大学の不二門尚(ふじかどたかし)は電気的に網膜を刺激すると人工的に光を感じさせることができることを応用し、人工網膜を開発した。CCDカメラで映像をデジタル信号に換え、コンピューターを介して電磁コイルに信号を送り、これを頭蓋骨内側面に埋め込んだ電磁コイルで受け取り、網膜に繋がる視神経に送る。視神経に繋がるのは5mm角のチップであり、14×14個の電極を持つ。全盲の人の網膜は働かないが、この人工網膜の信号を視神経に伝えることで、人は光を感じることができる。現在のものでは視野20度くらいをぼんやりした形で見分けることができるという。

  イギリスのロボット工学博士のピーター・スコット・モーガンは、自身が4年前にALSと診断され、余命2年を宣告された。この時点でロボット工学の技術で体を機械化することを決断したという。家族の支えに加えて、アメリカの半導体メーカーや中国のパソコンメーカーが支援している。生命活動が無くなっていくのに合わせて、それを器械に置き換えていった。まず食事と排泄を、背中に負ったタンクを介して胃と腸に繋げて代用した。食事はタンクから胃に送られ、排泄で出る糞尿は腸の末端(肛門)から別のタンクに戻されて貯留される。呼吸は気管にチューブを接続して人工呼吸する。コミュニケーションは自身のアバターで顔の表情を作り出して行う。会話は目線を使ってパソコンで文字化して文章を作成し、音声変換してアバターが話す。声自体も音声データとして学習ソフトに取り込んでおり、自分の声として発することができる。彼は「ネオヒューマンとして未来に飛躍する最初の実験」だと話す。またピーターは「私は人間という存在に革命を起こしたいのです。AIとロボットは加速度的に進化しています。私は人類が技術の進化の波に乗り遅れてほしくないのです」と語っている。

  山海は、弱い人が共生できる社会を作れることで人類が強くなった、進化した、ということを意味すると考える。以前は空想であったものが、技術進化で現実になった。織田は「これは革命ですよね」と感嘆した。そして山海はこのようなサイボーグの誕生は人類の進化と考えて良いのではないかと言う。これまで生物進化は遺伝子を変えながら行ってきたが、人間は知能によって生み出した技術によって新たな進化の様式を生み出した、と言うのである。ホモサピエンスは誕生からこれまで遺伝子をほとんど変えていないと彼は言う。むしろテクノロジーが社会変革を実現してきた。人間はテクノロジーと共進化する途を選んだ、と考えている。

  井上は「肉体がサイボーグ化していくことで、社会はどう変化しますか?」という質問を投げかける。山海は、これまで身体に不具合がある人が、社会参画できるようになったことに意味がある、と答えた。日本では人工呼吸器を装着した人が国会議員にもなった、という事例を挙げた。そしてテクノロジーは社会制度も変えてきたと指摘。そこには試行錯誤のフィードバックがあるとも言う。

  ここで、サイボーグは人の能力を超えるということについて話題が進む。30歳で聴覚障碍を持ったエステティシャンは、人工内耳を取り付けたことで時計の秒針の音を聞くことができるようになり、仕事もできるようになった。蝸牛が働かなくなったことで人工内耳に切り替えた。哺乳類では障害を受けた感覚細胞は再生しないが、神経は機能しているという。感覚細胞を器械で置き換えれば、機能を取り戻すことができる。人工内耳の場合、外部音をマイクで拾って電気信号に換え、頭に装着した送信コイルで電磁波に変換し、それを頭蓋骨内に埋め込んだコイルで再び電気信号に変換し、人工蝸牛に相当するものを介して神経に伝える。手術は2時間ほど、包帯も5日で取れるという。メンテナンスは年に2回、聴力を確認するだけであり、100年は持つだろうという。この手術は40年前から行われており、今では1歳から可能になった。さらに聴こえ方をオーダーメイドで設定できるようにもなった。複数のアプリをスマートフォンに保存しておくこともできるので、環境に合わせた聴こえ方を選択できる。ブルートゥース機能との連携もできるので、スマホで音楽を自分だけで、イヤホン無しに楽しめる。

  これは人間の解剖学的・生理学的束縛から人間が解放されたことを意味する。それは弱者が強者に成れる可能性を生み出した。そのうち人生のどこかの段階で人工内耳に転換する時代になるかもしれない。またスマホに言語翻訳機能が搭載されるようになれば、外国人が話した外国語を日本語として聞けるようになるかもしれない。これは人間が能力を高めたということを意味するのである。弱者がサイボーグ化することで強者になるということは、最後にはその受益を受けることの出来る人に有利な状況が到来することになる。それは貧富と技術による新たな差別化をもたらすだろう。

  病気に対してもサイボーグ化は人類に大きな恩恵をもたらす。心臓病は日本でも死因の第2位であるが、心臓移植はドナーの不足から1/10しか期待できない。そこに登場したのが人工心臓である。遠心ポンプを内蔵した人工心臓を埋め込むことで、心臓病により亡くなる人はいなくなるのではないかと九州大学の塩瀬明は豪語する。電源はショルダーバッグに入れて持ち運びする。2011年から保険適用となっているそうだ。当時は心臓移植するまでの補助と考えられていたが、2021年から医師の判断で最初から心臓移植か人工心臓かを選択できるようになり、普及が加速化された。将来は心臓に不安を抱える人が予防的に交換することも予測されるという。人工心臓と自前の心臓との連動も可能になった。そして重要なことは、人工心臓の補助を受けた自前の心臓が機能回復する事例が出ているということである。その場合は人工心臓を外すことも可能だという。これは治療の一環となる可能性がある。

  織田が「人が死ぬということはどういうことになるのか?」と難しい質問を山海にしたが、山海は答えられなかった。「考えていかなければならない」というだけである。いとうはバカなことに、死を確認するために「医師・エンジニア・哲学者・行政・遺族が立ち会って相談する」などということを持ち出し、山海は「全くその通りです」と同意した。全ての人の死にそのような手間を取ったら、人間界は崩壊するだろう(20.4.27「人間の死生観と死の哲学 」・21.5.11「死の哲学の科学的根拠 」)

  サイボーグ化は人の心の有り様も変える可能性がある。東京都医学総合研究所の西村幸男(ゆきお)は人工神経接続という新手法をワシントン大学で学んで応用した。神経のサイボーグ化である。脊髄損傷を受けた人は下半身不随になるが、損傷を受けていない脊髄から電気信号を受け取ってそれを人工神経接続で下半身に伝えることで、下半身を動かせるようになるという。また下肢の感覚神経を脳の感覚部位に人工神経接続で繋ぐと、運動の感覚も分かるという。これはフィードバックに当たる。ある点から別の点に神経接続することで、体外の物を動かすこともできるようになる。これはある人の脳の意思を別な人に伝えることや、兵器に接続して遠隔操作することも可能になるということを意味する。良い応用としては、自分の意思を制御できる可能性があるということだ(21.1.7「制御思想」)。サルの脳の側坐核という意欲・報酬を司る部分と手の筋肉との間に人工神経接続を行うと、餌をもらうためのボタンの押し方が多くなるという。これは行動意欲を増したということを意味し、人間にも応用できるかもしれない。ただ自己制御にこれを使うならば良い効果も期待できるかもしれないが、他者の意思によって自分の心が操られるような風に応用されたとすると、恐ろしいことになるかもしれない。だが未来世界では悪用される懸念は極めて小さいので、良い応用が考えられるようになるだろう。

  西村は優秀なスポーツ選手の運動能力を他の選手にコピーすることが可能なのではないかと語ったが、それはスポーツの目的をはき違えているのではないかと思った。いとうは悪い応用についての指摘をしたが、それに対して西村は答えをはぐらかせた。彼は心を制御する方法を人間は持っていないと断言したが、それは間違った考え方である。人工神経接続はそれを可能にすると言うが、考えながら、迷いながら慎重に研究しているという。それは人工神経接続という手法が諸刃の剣になりかねない面があるからだという。彼は長期間にわたる刺激がどのような影響をもたらすかまだ実験していないため、不安を持っているようだ。

  井上サイボーグ化が軍事利用されている面を取り上げ、運動能力や精神能力を向上させたサイボーグ兵士を作るために研究されていることを指摘した。山海はこの研究は世界が倫理観・人間観・社会観という大きな枠組みを作って進めていくべきだと語ったが、それはいかにも日本人的な平和ボケした論に聞こえた。織田は「ハサミと同じでそれを悪いことに使おうとする人も出てくる」と指摘し、番組としてはこの問題について結論を出さないまま終わった。ノムとしては、結局番組は技術の素晴らしい進展を見せてはくれたが、その技術をどう考えるのかと言う基本的・本質的立場を持っていない、あるいは理解していないと感じた。

  そこで最後に、ノムとしてテーマとして挙げた「人間のサイボーグ化は人類進化なのか?」という問いに対してノムなりの結論を示したい。以前から考えてきたことであるが、知能を持った人間が作り出した技術というものは、それ自体が自然界の中で起こっている現象であるかぎり、それは人間の進化と一体であると考える。だがその制御ができなかった場合には、その技術が人間を滅ぼす可能性の方が大きくなるだろう。マンモスの牙が頭に刺さるほどに長くなってマンモスは滅びたというまゆつばな説があるが、それと似て、人間の力を伸ばしてきた武器である技術が最終的に人間を滅ぼすということは考えられることであり、今まさにそれが現実として目の前に差し迫っていることは、核兵器の脅威と言うものを考えるだけで十分理解される。

  未来世界では制御思想を持つため、まず競争というものを無くした上で技術を抑制しながら、技術を良い面にだけ応用していくことを目指す(20.9.7「人間は「競争」、および「競争心」を克服できるか? 」・20.9.16「競争はいつ芽生え、何をもたらしたか? 」・21.1.31「良い競争と悪い競争」)。その意味ではサイボーグ化は有り得て良いことであり、また実際現実を考えれば、それは避けることのできないことであろうと考える。筆者もこの番組を見て、自分の持つ主義には反することであるが、難聴から解放されたいと思った。それは大義よりも小義(自己欲求の満足)を求めることであるが、現代の社会システムの中で許されていることである限り、それを求めるのは悪い事ではないと考えるからである。だが未来世界では、そうした恩恵に与れる人間は、人格点の高い人にのみ許されるようなことになるであろう。

  最も懸念しているのは、現在から将来にかけて、サイボーグ化が可能な人は裕福な人や技術の高い国の人に限られてくるということにある。それは結局人間の能力の格差を生み出し、さらなる格差拡大に繋がるだろうと思われる。未来世界では決して世界的に同じレベルを目指すという平均化を推進するわけではないが、余りに格差が拡大することは好ましいことではないと思うのである。逆に未来世界では、各国間に存在する貧富の格差や技術の格差を、先進国から後進国に教育と技術を供与することによって縮める方向に向かうであろう。そして千年後には、世界全体がある程度の均質性を持つように持っていくというのがノム思想の考え方である(20.9.7「ノム思想(ノアイズム)とは何か? 」)


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